最悪で最高の私が始まった夜を越え、荘園という特殊な場所へ辿り着いた。元の人だった体とは違うものになり、生活も変わった。
睡眠、食欲、排泄など生きるために必要だった行動が全て必要ではなくなった。嗅覚や聴覚はあるのに味覚がない、食べても飲んでも味はしない。サーカスにいた頃にはできなかった生活を試合に出れば手に入れれる。だが、それができるという事に喜びはなかった。


誰もいない深夜の荘園のキッチンで、私はパンを戸棚から取り出した。冷蔵庫にあったハムや卵、トマト、レタスやマヨネーズもカウンターに並べる。
誰かが置いて行ったのか、キッチンにあった料理本に書いてあったレシピ通りに材料を揃えた。


 早朝までに整備しなければいけない道具を一晩中磨いていた、あのクソみたいな日。
彼女は夜食だと言って、レタスとマヨネーズを挟んだパンを持ってきてくれた。レタスとマヨネーズだけだったが、あの人生で一番豪勢で美味しいと思った食事だ。
それがサンドイッチという名前だというのをこの荘園に来てから初めて知った。


ふと、作ってみたくなった。
作ったところで何かを得れるのかもしれないと思ってしまった。日々試合に出ては倒すことを目的として生きている。それはそれで楽しいが、それでは満たされない何かをあの時に食べた幸福感で思い出したかった。


料理本の手順通り進める。
フライパンで卵を焼く、フライ返しでぐちゃぐちゃにする。火を止めて皿に移す。
まな板に置いたパンの中にレタス、トマト、ハムをのせる。その上にぐちゃぐちゃにした卵を乗せ、マヨネーズを塗る。またパンを重ね、ナイフで斜めに半分切る。それを皿に乗せた。
一切れ、手に取り口へと運ぶ。匂いは美味しそうだ。焼いた卵のいい匂いが強い。口に入ったものを噛む。一瞬にして匂いの情報が食感に打ち消された。
例えるならスポンジと滑りのある粘土、少しシャキッとした厚紙のようなものを食べている感覚。得体の知れない何かへの嫌悪感だけが優って、彼女が作ったものを食べた時のような幸福感はなかった。
時間の無駄だった、こんなことをして何になるんだ。手で掴んでいたサンドイッチを皿に乗せた。皿を片手にもう片方の手でゴミ箱の蓋を開け、中に捨てようとした。

「何作ってんの?」

声をかけられたことに驚く。こんな夜中に誰も来ないと思っていたが、キッチンの扉からオフェンスがこっちをみていた。
試合以外では話した事がないし、初めて話しかけられ動揺する。

「まさかそれ捨てんの?」
「...お前はそこで何してる?」
「今日お前との試合でタックル外したから練習してた」


ゴミ箱の蓋を閉じると、オフェンスが駆け寄ってきた。皿を持っている方の腕を両手で掴み自分へ手繰り寄せ、サンドイッチに鼻を近づける。オフェンスの体が密着すると少し濡れて、汗臭い匂いがした。


「めちゃくちゃいい匂いがすんだけど...焦げた?失敗?見てる限り美味そう!」
さっき私が一口齧ったサンドイッチをパッと
手に取り、そのまま自分の口の中に放り込む。もぐもぐと大きく口を動かしながら何か唸っている。

「んーーーーーーー!」
「何を言ってるんだ、お前」

口の中でもぐもぐしていたものを飲み込んだようだ。私の方に振り返り、歯を見せてニッカリと笑う。すぐに興奮したように言葉を捲し立てる。
「すげえ!お前料理うまいじゃん!失敗してねーじゃん!なんで捨てんの?!いらねえならこれもう一個食べていい?!」
呆気に取られ、「あぁ」と返事すると待ってましたと言わんばかりに皿から一瞬でサンドイッチが消え、オフェンスの口の中へと消える。
口の中をサンドイッチでいっぱいにしながらも、こちらを見てはもごもごと何か言ってるが何もわからない。目を輝かせて訴えてくるが、全くわからない。

「食べるか喋るかどっちかにしろ!」
「もっとないの?!腹減った!」

カウンターに残っている材料と私を交互に見比べ、私の腕を掴んだまま催促してくる。

自分に味を感じられたら、こういう風になれるのか?わからないが、普段は憎き目の前の敵が今は可愛く見えた。
これは気まぐれだ。

「そこで待っとけ」

ため息をつきながら掴まれている腕を離し、カウンターの近くになる椅子を指差す。

「やった!」

嬉しそうに椅子に座るオフェンスを見て、悪い気はしなかった。












2021/10/30