さよならヒーロー


この世界は、この日本は、オールマイトに依存しすぎている。
それは、わたしがヒーローになる前も、なってからも、ずっと変わらず根底にある気持ちだ。

No.1ヒーロー。平和の象徴。
彼を意味するその言葉たちは、同時に皆が無意識に持っている彼に対する絶対的信頼を表していた。

華々しすぎる、衝撃的なほどのデビューから数十年。彼は国民全員からの期待と信頼をその身に背負い、生きてきた。辛い時や苦しい時も笑みを浮かべ、もう大丈夫、私が来たと声を上げる。その言葉を彼が口にするだけで、不動の安心感を得られると彼自身も知っているから。

そんなオールマイトが、ヒーロー業を実質引退した。

"神野の悪夢"と称されるあの事件から一ヶ月。世間ではまだ、平和の象徴の喪失を受け入れきれていない。絶対的強者であった彼を失った国民の不安感は、そう簡単に拭えるはずもなかった。

あの日、彼の本当の姿が白日の下に晒されるまで、誰がオールマイトの弱体化に気づいていただろうか。
オールフォーワンという凶悪すぎる敵と戦い、呼吸器半壊、胃袋全摘という重すぎる傷を負い、それでも血を吐きながら笑って人々を救い続けてきた彼に。日々衰えていく自分の体に怯えながら、それでもなお皆に背を向け戦っていた彼に。私は、今、素直に笑みを向けることは出来ない。

「……お疲れ様、俊典」

ベッドに横たわり、苦しげに眠る俊典の頭を優しく撫ぜた。
この包帯の巻かれた、今にも折れそうなほどに細まった体で、今までどれほどの重圧や苦難に耐えてきたことだろう。彼は紛うことなきこの世界の柱だった。オールマイトなくして今の日本はないと断言出来るほど、彼は文字通り身を粉にしてこの世界に尽くしてきた。

どんなに体調が悪くとも、事件があれば彼は飛んでいく。救える命は必ず救う。どんなことよりもヒーローとして生きることを最優先してきた彼は、これからどうしていくのだろう。

ヒーローとは、彼の生きる指針だった。
桁違いの力を持ち、それを使いこなせるだけの実力もあった。だからこそ、それを失った彼は、これからどうなるのだろうか。自暴自棄にならないだろうか。そんな不安が、私の心に色濃く映った。

「……あかね?」
「…ごめん、起こしたね」

うつらと目を開けた俊典は、私を視界に納めふにゃりと笑った。昔から、この男は私に対して滅法甘い。けれど、ことヒーローのことになるともちろんそれはどこかへなくなる。わたしがヒーローを続けてることに、俊典は未だ反対し続けている。

「今日は、もう終わったのかい?」
「うん。事後処理は相棒に任せてきたよ。それに、明日はお休みをもらったんだ」
「そうか。なら明日は、一緒にゆっくりできるんだね」
「…うん」

普通なら何気ないこの会話も、相手がオールマイトとなれば意味は変わってくる。

年中無休なんて言葉では生易しいほど、休みのなかった俊典。仮に休みの日であっても、事件が起きれば彼は一言「ごめん」と言い残し、わたしを置いて現場へと向かった。それはいいんだ。了解したうえで俊典のそばにいたんだから。だからこそ、今のこの、当たり前にあるともに過ごせる時間を、素直に喜ぶことができない。

「…何か、言いたげだね」
「…っ」
「おいで、あかね」

ベッドの上で上体を起こした俊典は、ひょいひょいと手招きをして私を自身の隣へと誘った。それを受け入れ腰を下ろした私に、俊典は至極優しい声をかけた。

「私がヒーローを引退してから、こうして二人で過ごすのは初めてだね」
「…うん」
「君には、今までたくさん我慢をさせてきたと思う。本当に申し訳ない」
「…そんなことないよ」

そう言って頭を下げる俊典に、私は有り体の言葉しか言えなかった。言えるはずもなかった。

「君も知っての通り、私はこれまでずっと、オールマイトであることを最優先にしてきた」
「…うん」
「君との約束があっても、困っている人がいれば黙っていられなかった」
「…わかってるよ」
「だから、これからをどうすればいいのか。私はどう生きていくべきなのかを計りかねている」
「…っ」
「……でも、君の顔を見て決心がついたよ」
「!」

そんな俊典の言葉に俯いていた顔を上げると、彼はいつになく優しい顔で、その空のような蒼い瞳をわたしに向けていた。

「これからは、君との時間を大切にしたい」
「…っ」
「だが、私は教師でもあるし、教え子もいる。君との時間も大切にすると約束はするけれど、後進の育成にも力を注ぎたい。ヒーローとして生きられなくとも、私が今まで経験し培ってきたことは消えないからね」
「……うん」
「今まで君にはたくさんの心労をかけた。きっと、私のこんな言葉で償いきれるものではないと思う」
「…」
「だから、この私の命ある限り、君を大切にすると約束する」
「…っ、俊典…」
「…もう、君を泣かせたりしないさ」

そう言ってぐいっと片腕で引き寄せられたわたしは、その骨ばった胸に顔を埋めた。
気付けば涙が出ていた。それは、俊典がわたしを大切にすると約束してくれた嬉しさからなのか、それとも新たな道を選び歩んでいくと決めた安堵からなのかはわからない。けれど、それでも、わたしは思う。

「俊典…」
「なんだい?」




ずっと、わたしのそばにいて。

fin.