降り止まぬ雨に全てを流して

序章


夕飯の材料の買い出しを終えた時の事だった。その日は、朝から雨が降り続き、憂鬱な気持ちを抱きながら買い物袋をぶら下げて、人の気配が無い道のりを傘をさして歩いていた時だった。
突如、深い霧が辺り一変に漂い私の視界を遮る。「またか……」私は溜息を吐きながら、止むことを知らなかった雨が晴れた世界で、自身のお気に入りの傘を閉じる。傘に付いた雨の水滴を払いながら、私はすぐ側から感じる慣れ親しんだ気配へ視線を向ける。
 
「エンティティ……」

声を出さずメモ用紙で彼の名前を呼ぶと薄暗い雲天模様の空から、およそ人間では無い異形の形をした節足動物が姿を現す。

「やあ、蓮。御気分はどうかな? 私の作った世界に良く来てくれたね」
「……私を連れてきたのは君だろう。それと、気分は良くも悪くも無いよ」

相変わらずのお調子振りといい加減な態度のエンティティに、私は溜息を一つ溢す。

「それで、私を此処に連れてきて、何か用事でもあるの?」
「んー。用事って程でも無いよ。ただ、単純に君に会いたかったから連れてきただけだよ」

呆気なく簡単に意味も無く伝えるエンティティへ、私は本日3度目の溜息を溢す。エンティティとは古い付き合いの中だ。だからこそ、エンティティのこの性格が今に始まった事では無い事も理解している。だが……この節足動物と話していると些か疲れる。

「用事も何も無いんだったら、此処に居ても意味ないし。私は帰らせて貰うよ」
「……やっとの思いで君を捕まえられたのに、そう易々と私が帰すと思う?」

 私の身体に節足動物に似た脚が無数に絡み付く。腕、脚、身体を強い力で絡み付き、まるでこの世界から逃がさないと言う様に。相変わらずの私へ向けるエンティティからの執着さ。私は、買い物袋を持って居ない方の手でエンティティの強い力等、物ともしないが蓮は無数に絡み付く脚を引き剥がす事はせず、優しく彼の脚を撫でた。彼の身体の一部が少しだけピクッと震える。

「……まあ、ほんの暫くの間であれば君の世界に閉じ込められても良いよ」
「……蓮は相変わらず優しいね。そんなんだから、何時も良い様に利用されるんだよ?」

 私の身体に無数に絡み付いていた節足動物に似た脚が離れて、今度は優しく私の頬を撫でた。エンティティの脚は、少し冷んやり冷たくてゴツゴツしてるけど、嫌いじゃ無い感触。私は、頬を撫でるエンティティの脚を優しくギュッと握り返した。

「……エンティティ。一つだけ、約束して」
「……何を?」
「暫くの間、私が此処にいる条件と引き換えに、私が現世に戻りたいと思った時は、何も聞かずに現世に戻して。この条件を聞いてさえくれれば、私は貴方の元に帰ってきてあげる」
「……本当は君を現世になんか返したくは無いけど……良いよ、その条件飲んであげる。私は、君には優しいからね」
「……有難う」
「けど、私の元にちゃんと帰ってきてね? でないと、私はこの世界を滅茶苦茶にしてまで君の事を探すよ」

 離れて居たはずのエンティティの脚が、また私の身体に絡み付く。邪神に執着されるのも楽じゃない。けれど、彼を無理に引き剥がせないのは、私にも彼に対してほんの少し情けを抱いているから何だろうか……。