目が覚めた時、目に入ったのは、自分よりももっと辛そうな顔をしているレイジの顔だった。
「……レイジ」
「! サラちゃん!」
起き上がろうとするサラを、レイジは無理しないでと止めてそのまま寝かせた。どうやら二日ほど眠ったままで、その間ずっとレイジは傍にいたらしい。
「もう、目が覚めないのかと思って、ずっと心配してたんだよ……」
そう言ってサラの手を握る。
その手の力は強くて、でも微かに震えていて、それだけで彼が不安と恐怖という感情を抱いているのが伝わってくる。
こんな場所で、医者など呼べない。
それ以前に、吸血鬼に呼ばれて素直に着いてくる人間自体などいない。おまけに彼も彼女も、医学の知識など無くて、こんな場所で病に伏せれば、終わりへの時間を数えるだけというのも過言では無い。
「ねぇ、サラちゃん。君をこんな風にしたのも、ぼくが君の血を強請ったせい? 美味しいご飯を食べさせて、たっぷり寝させて、自由にしていても、ぼくが君の血を望む限りこんな風に苦しむのかな」
それなら、君の血なんてもう、なくてもいいからさ。
――ぼくを、独りにしないで。
サラの手を両手で包み、己の額に付け目に涙を浮かべる。まさに、懇願そのものであった。
余裕があって、大人らしいところもあれば元気に彼女を振り回すことだってある、吸血鬼なのに底なしの明るさのあった彼ではなく、目の前のレイジはただ寂しがり屋の子供のように見えた。
そんな彼にサラは、片方の空いている手で彼の頭を優しく撫でた。
「……私、貴方にはお腹いっぱいでいて欲しい」
どうしてかと聞かれたら、それはきっと愛だと思う。だけど、それが本当に愛なのかどうかを、正確に判断する知識や経験は、彼女には無かった。
元々死ぬつもりでこの森に入った。
そして、吸血鬼であるレイジと出会って、そのまま成り行きで、関係も深まってここまで心を開いていった。それでも死への願望が拭えないのは、彼が人間では無いからなのかもしれない。
だってこのまま生き続けたってどちらにせよ、サラの命が先に尽きてしまうのだから。
「私は、最後の一滴まで貴方に捧げたい。それで死んだとしても、悔いは無いわ。願わくば、素敵な女の子に生まれ変わって、また貴方と出会って、こうやって暮らしていたい」
「……今のままだって、素敵で世界で一番可愛い女の子だよ」
「でも、過去は拭えないもの。それに、好きな人の為に可愛くなりたいと思うことが乙女心なのよ」
レイジは、すぐには頷けなかった。
彼女を失いたくない、ずっとそばにいたい、その体の温もりも、ずっと感じていたい。そう思うのはきっと、愛しているからだと。
「……私は、貴方に私を死なせて欲しいの。この人生に幕を下ろさせて欲しい。私はきっと私が思っている以上に、生きることに、この世界に、疲れてしまったみたいなの」
そう語るサラの瞳は、出会った時と同じような色を浮かべていた。この部屋で、初めて彼女と会話した時も、同じような目で、死なせて欲しいと、確かにそう言っていた。
そして、それに了承したのも、レイジ自身だった。
その判断が、後に自分を苦しめることになるなんて知らずに。
「……約束、だもんね」
「そうよ。あの日確かに、ここで、お願いしたもの」
「それじゃあ、ぼくからも、お願いしていい?」
「……いいよ。あのお願いを撤廃すること以外でね」
レイジの目に浮かび溜まった涙は、枯れることなくそのまま頬を伝って流れていく。
「キス、させて欲しい」
今まで、この短期間でそんなこといくらでもしたというのに。なんなら、それ以上のこともしたというのに、改まってお願いされるとは思わなかった。
でも、そんな彼の姿も、愛おしいと思うのだった。
「……いくらでも」
そうして、近付いて、重なる二つの唇。
そのキスは、触れるだけであっても、今までで最も深く愛を確かめ合うキスだった。
◇
それから、少しだけ時間が流れた。
生活を変えることも、レイジが血を飲まなくなるなんてことも無かった。今まで通りに過ごし、サラの血を吸って、同じベッドで寝た。
時間が経つにつれ、サラの体調は悪化していき、最終的に一日の殆どをベッドの上で過ごすようになった。それでも彼女はレイジにその身と、血を差し出して、レイジはそれを飲んだ。
他の誰でもない、愛する人の最初であり最後の願いだったから。
一分一秒を大切に、惜しみながらも彼女と共に過ごしていた時間はあっという間だった。最後に彼女が眠りにつく時、自分はちゃんと彼女にいつも通り微笑みかけられていたのだろうか。生憎、自身は無かった。
「……サラちゃん」
屋敷のすぐ側の空き地に作られた、不格好な墓の石を撫でて、その名を呼んだ。外部から人を呼べない以上、全てのことを自分で済ませる必要があった。
本当はもっと綺麗で、オシャレで、彼女らしい可愛い墓を建ててあげたかったのに、自分の技術には限界があった。所詮、ただ不老不死で血を吸わなければならないだけの、人間のようなものだ。
彼女の眠るその土の上で、レイジは寝転んだ。
見上げると夜空が目に映る。こういう何気ない景色を眺めながら、彼女と他愛もない会話をして、それが終われば部屋で二人で温まって。そんな日々を思い出す。
――素敵な女の子に生まれ変わって、また貴方と出会って、こうやって暮らしていたい。
彼女の言葉を、ふと思い出した。
本当ならば自分だって、街中を二人でデートしたり、他の国へ旅行へ行ったり、レストランで美味しい料理を二人で共有したりしたかった。恋人らしいことを、もっとしたかったし、してあげたかった。
「……ぼくも、生まれ変わったら、君をまた虜にできるぐらい素敵な男の子になりたいな。そして、今度こそはずっと、ぼくの傍にいてもらうんだ」
そう言いながらレイジは、愛おしそうにその地面を撫でた。
いつもなら屋敷に戻るはずだが、それでも彼はその場から離れようとしなかった。まるで、彼女の元を離れたくないような、そんな甘えたような素振りを見せる。
今この場で寝てしまえば、朝が来る。そうして朝日を浴びた吸血鬼は簡単に消えてしまうだろう。それでも、彼は今、安らかな表情を浮かべて、今、目を閉じた。
そうして、太陽は昇る。朝が来る。
風に揺れた木々が音を立て、木漏れ日を浴びた小鳥が小さな歌を紡ぐ。そんないつも通りの森の中で、静かに、彼はその姿を消した。
こうしてこの国の吸血鬼伝説と、森の伝承は、人々に知られることなく、密かに幕を下ろした。