平和に行きましょう。

うさぎ


lonely rabbit



テーブルの上には毒々しい色合いのスープとサラダが並べられていた。
黒いネグリジェから延びる病的に白い肢体に力は無い。白い兎の耳すら動く気配もないサラに業を煮やしたのか、シェフはその細腕を掴んで無理矢理スプーンを持たせた。

「…食え」

この少女に包丁での脅しは意味を成さないが、大抵の事は言えば何でもする。

シェフの言葉にサラは小さく頷き、銀スプーンを紫色のスープへ沈めた。満たされたスープは、桜色の唇を犯す様に汚し、暫く口内で味を楽しむ様に転がされた後、嚥下される。

「…おいしい」

か細い感想にシェフは満足した。
サラの殆どない感情が伴う数少ない言葉だ。同時に人形の様に虚ろな瞳が、ほんの少し人間らしい生気を取り戻す。

サラは二度、三度と次々とスープを少しずつ飲み干していくが、1/3が無くなった所で突然動きが止まった。
飲みかけだったスープが唇から漏れ、毒々しい紫が白い肌を伝い、ネグリジェを汚す。スプーンが掌から滑り落ち、テーブルに跳ねた後床に転がる。

「おやおや、どうやらお眠の時間のようですな」

「……みたいだ」

いつの間にやら隣にいたグレゴリーにさして驚く事もなく、シェフはその言葉に頷いた。ぎょろり、とグレゴリーの目が怪訝そうにシェフへ向けられる。

「…しかし、いつもより早いようだが?」

「…………」

無言の肯定をするシェフにやれやれ、と溜息をつく。
現世にさしたる未練もなく、恐怖を感じる感情が薄いこの少女に下味を付ける事は殆ど出来ない。魂自体は素晴らしい芳香を漂わせるのだが、実質はグレゴリーママすら飲もうと思わない程無味なのである。
どうやらシェフは逆に、そんな下味の付けられない“食材”に興味を惹かれたらしい。あの手この手で試しているようだが、あまり変化は見られない。

最早普通に座る事も出来ないのか、サラの頭は振り子の様に前に揺れていた。

「ほれ、食堂で寝ちゃいかんよ。部屋にお戻り」

「…ぅ、…」

グレゴリーが猫撫で声でそう優しく声を掛ければこくり、と再度頷き、サラは覚束無い足取りで立ち上がる。
そして、ぎこちない動きで身体の方向を変えて一歩を踏み出――

「あぅ」

「…………」

せなかった。
いつの間にか回り込んでいたシェフへ鼻をぶつけ、不思議な呻き声をあげた。
上を見上げれば仄暗い赤い瞳とかち合う。茫然としていると、シェフの左手がサラの腰へ回り、掬い上げる様にして抱き上げた。

「…………」

「…………」

そのまま食堂から出ていこうとする二人に、流石のグレゴリーも声を上げた。

「し、シェフ、どこへ行くつもり…」

「邪魔、するな」

象の骨をも断つ(最早鉈と言うべき)包丁がシェフの右手できらめいた。帽子に隠れる瞳も、剣呑な光を灯す。
グレゴリーが絶句し、そして呆れたように再度溜息したのを見て、シェフは何事も無かったかのようにして歩き始めた。

「“食材”に下味を付けるのは結構だが、あまりやり過ぎると」

ドスリ

包丁がグレゴリーの頬すれすれを通り、後ろの壁へ突き刺さった。その鋭利な切れ味の為か、込めた力の為か、殆ど刀身が壁の中へ沈められていた。もしかすると突き破っているかもしれない。

「…料理の文句は、許さない」

「おいしー」

シェフの被害妄想と殺意に満ちた言葉に、顎に垂れたスープを舐めとったサラが寝惚け眼で反応する。
しかし目の前の殺人未遂現場よりも睡眠を取るらしい。数回頭を振った後、死体のように遠慮もなく凭れかかり、穏やかな寝息を立て始めた。

シェフはそんな少女を抱え直し、今度こそ食堂を出ていった。






サラの部屋はキャサリンの隣にある。
広いとは言えない内部にはベッド、本棚、机…そういった必要最低限の家具すら置いていない。ただ部屋全体に柔らかな絨毯が敷き詰められ、中央にはベッド代わりらしい青いマットレス、その上に同色のクッションが山を作ってあった。
側には燭台が置かれてあり、唯一の光源として仄かな明かりを提供している。

シェフはそんな“寝る”為だけにある部屋へ勝手知ったると言わんばかりに入り、スープへ混入していた“何か”によって意識が殆ど無いサラをマットレスと大量のクッションの上に寝かせた。

傍目から見れば、非常に良く出来た美しい少女の人形だ。
しかし顔を寄せれば呼吸音が聞こえ、病的に白い肌には青い血管が浮かんでいるのが見える。

そして、何よりその香り。
甘やかな体臭もそうだが、その魂の芳しい香りは花の蜜のように周りを呼び寄せる。だが、非常に残念な事に、サラの感情は殆ど薄い。何かに執着する事もなければ大切な物もない。
ホテルの住人や出来事に驚く事は稀にあったが、恐怖する事はなかった。

だから、彼女は“ここ”にいる。

現世に疲れと疎ましさはあれど、執着しなかったサラはホテルの恐怖を感じず、ただその妙な安心感と包容力を甘んじ、受け入れた。

シェフからすれば願ったり叶ったりである。何たって、味さえ付けられれば最高級の食材ともなれるだろう逸材が自ら残ってくれたのだから。

その手がサラのネグリジェへ伸びる。黒い服から出ている肢体は酷く柔らかい手触りだ。なら食感は?舌触りは?
握れば折れそうな足首を持ち上げ、自身の肩に乗せる。裾が肌蹴て下着と太腿が現れた。
がぶり、とリンゴを丸かじりするように右の太腿へ齧り付く。肉付きはあまり良くないが、芳醇な香りが噎せ返る程強くなった。痛み、痛みが良いのだろうか、やはり包丁を使って…と考えながら、噛んだ部分を舌先で舐る。

「ぅ…」

サラの身体が震えた。表情も心無しか悩ましげであるが、苦悶のように歪められている。香りも、普段の比では無い程素晴らしい。
シェフは新しい発見に喜んだ。


サラの脚を下ろし、周りに散らばっていたクッションで窒息しない程度に埋める。

「…肉増やすか」

サラは菜食主義者なのだが、シェフは都合良く忘れる事にした。どうせ、食べろと言えば(かなり不本意そうにゆっくりと)渋々食べるのだ。それとも、デザートの方が喜ぶだろうか。

部屋を出る際、シェフは部屋に満ちる芳醇な香りに顔をしかめた。
普段通りに閉めれば、この香りは廊下にも漏れ出すだろう。そうなればジェームスなどの面倒な面々がちょっかいを出すかもしれない。
味も分からない奴らにサラという食材を台無しにされるなんて冗談じゃない。























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