平和に行きましょう。

そのさん


夕食

 噛む程甘くほんのりと色付いた雑穀ごはんに、柔らかく香りの良いひじきの煮物。主菜はぽってりと煮込まれた鯖の味噌煮と、白ネギが鮮やかな小さな鴨鍋。山菜や茸の酢の物や、とろみをつけた餡が湯気立つ揚豆腐は、膳の端にちょこんと小鉢で添えられている。
 これらの広間全体に並ぶ食事の顔ぶれは、このこじんまりとした田舎旅館で毎食丁寧に調理された手作りだと一目で分かる物だ。
「……………」
「ま、日頃の行いには勝てないよね」
「うるせ」
 腹の音響かせる男子高校生には毒のような夕食に舌鼓を打ちながら他人事のように隣を見ると、担任の多々良と副担任の滝川に両隣をきっちり確保された問題児、もとい赤彦の不機嫌面がそこにあった。


「あははは、あ、赤彦があはははは!はは、けほ、あははは!」
「そのまま窒息死しろ」
「だって、先生達が何も言わずにあんたの引っ掴んでっ…!」
 普段馬の合わなさそうな文系と体育会系による見事なコンビネーションと、その間で借りてきた猫のように大人しくしていた赤彦の様子が余程おかしかったのか、夕食後の自由時間が始まってから既に五分も笑い通しだ。目端に涙すら浮かべて腹を抱える様子は微笑ましいと言えば微笑ましいが、自分の情けない有様を見ての様子だと思うと流石の赤彦も楽しくはない。
「素行不良だから目を付けられてるんだよねえ」
「不良っつっても、やってるの制服のホック留めてないのと居眠りだけじゃねーか」
「喧嘩してないだけマシだと思うけど、やっぱ悪目立ちしてるから先生達からすればアウトでしょ。ほら、顔面怖いし」
「あ、そう言えばスカート短くしてた子さっき指導入ったって言ってた」
「へえ、誰が?」
「多々良先生」
「…沙良、そっちじゃなくて、クラスメイトの方だよ…」
 何が悲しくてスカート丈で指導される中年の姿を想像しなけてはならないのだ。
 修学旅行というよりは単なる旅行に近いせいか普段より大抵は大目に見られはするが、やはり教師は教師で仕事はしているのである。
「…さーて、こんなもんか」
 と、間の抜けた会話をしている内に一通りの何かが済んだのか、見た目懐かしいブリキのバケツを二人の前に掲げてみせた。
「赤彦、バケツ用意して何するの」
「コイツを見ろ」
 律儀に首を傾げてみせた沙良へ、赤彦は妙に勿体ぶった大仰な仕草で派手派手しい色彩の袋を取り出した。
「花火?まさか赤彦、持ち込んだ?」
「まさか。雑貨屋で買ったんだよ」
「あー、あそこ意外と色々新しいの揃ってたよねぇ。安かったし」
 生活用品が意外と流行り物を順に揃っていた辺りに感心している十影だが、沙良の記憶にあるのは気のいい女店主からこっそり貰った棒付きキャンディ位である。
「…でも火ぃ使うなら先生か寧々さん呼んだ方が良くない?」
 そんな至極全うな問い掛けに、赤彦の隣にいた十影が吹き出した。敢えて赤彦が避けた部分に果敢に挑む姿勢は挑戦的だ。本人には一切悪気がない辺り、更にタチが悪い。
「…多々良以外なら誰でもいいわ」
「出たよ赤彦の多々良嫌い…」
「多々良先生、良い人だよ」
「さっきまで右側固められてりゃ嫌いにもなるわ。逆に副担好きだわ、たっきー」
「あぁ、あの鬱陶しい体育会系ハイテンション先生」
「沙良、本名より長いあだ名覚えるなら、ちゃんと滝川先生って呼んだげようね」
 新任教師でもある滝川はその容姿こそ爽やかとは言い難いが、屈託のない笑顔やノリの良さは歳の近さもあって男女問わず人気な体育教師だ。だが当のベテランとはそれ程馬が合わないのか、熱意が空回りしやすい滝川を宥める多々良の様子は普段のホームルームで度々見られる光景でもある。
「じゃあ十影、多々良先生と滝河、呼ぶならどっちが良い?私多々良先生」
「俺たっきーな」
「とりあえず滝川先生を敬う気全く無いんだね。…じゃあ僕も多々良先生ね」
「なら十影、呼びに行こ。赤彦は準備よろしく」
「へいへー」
 必要な荷物諸々をブリキバケツに詰め込み一人階下へと降りていくのを見届けてから、沙良は「さて」と男子区域とされた廊下を見渡した。多々良が寝泊りする部屋は、当然ながら男子区域に分けられた中での最奥の角部屋だ。鶯張りとは違う老朽により軋む廊下を進みながら、「教員」と張り紙のされた襖へと辿りつく。
 そこで下座へと正座し、定規を差し込んだように背筋を伸ばす。
「多々良先生、失礼します」
 訝しむ十影を無視し、沙良は引き手で僅かに襖を開いた。次いで引き手から手を離し、僅かに下の部分で中央まで押し開く。決して全て開かず、軽く覗く程度だ。部屋は六人部屋と比べ大分狭いが、それでも多々良一人が使うとなればそこそこに広い。机も荷物も隅に片付けられており、多々良は出窓の縁に肘を突き煙草を吸っていた。
 視線は既に手元の携帯から沙良と十影へ移っていた。
「兎山たちか」
 じゅ、と熱が水に触れる音と共に煙草が潰される。「入りなさい」と手招きされ沙良はようやく襖を開け放ち、一度立ち上がって部屋へと踏み入れる。十影が中途半端な中腰のまま恐る恐ると室内へ踏み入れると、入室とは違う所作で襖が閉じられた。彼女の丁寧なそれは付け焼刃などの辿々しいものではなく、経験に裏打ちされ、手馴れた風でさえある。
「どうした?ついに虎杖がやらかしたのか」
「いえ、まだ何もやらかしてません」
 あくまでも素直に頷く沙良と、その隣で顔を引き攣らせる十影。二人の様子に多々良がくつくつと笑うが、先を促すと十影が口を開く。
「えーと、花火がしたいんです。火を扱うから、先生に引率をお願いしたくて」
「別に構わないけど、そういうのなら先に滝河先生が駐車場でやってるよ。面倒だから僕が押し付けたようなもんだが」
 朗らかに吐く微量の毒は、どちらかと言えば滝河と生徒達へ向けてのものだった。目立たないだけで、この人結構性格が悪いよなぁ…、と十影がしみじみと実感していると、こてんと小首を傾げた沙良は
「…多々良先生が良いです」
と言った。
 一瞬固まった多々良を見、必要最低限過ぎた言葉の補足として慌てて十影が口を開く。
「確かに混じった方が良いんですけど、僕達ちょっと…結構滝河先生が苦手というか…えーと」
「あぁ、そういうことか」


「…暇だし君達は大人しいしな。」
「やった」
 あくまで素直に口を漏らす沙良に気を良くして、多々良
「先に行ってていいぞ。玄関先の所でいいんだな?」
「はーい」






「先生、質問いいですか?」
「どうしたんだ、兎山」
 線香花火の小さな火玉を落とさないように、と幼げで健気な努力をしている沙良へ多々良は促す。
 山中に程近い位置にあるこの旅館は、空を見上げれば少なくとも都会よりは輝く夜空が臨める。鈴虫と蛙による涼やかな合唱の他には、聞こえる他の生徒達の喧騒が遠くより響いてくるだけで、かえってこの場の静寂が目立った。
「先生、ここのご出身ですか?」
 足元にしゃがみ込み、線香花火を見つめる沙良の表情を窺い知ることは多々良には出来ない。声も淡々としたもので、恐らく顔を見ていても彼女の真意を探るなど難しいのだろう。しかしそれは沙良も同じことだ。きっと頭上の多々良が今一体どんな間抜け面を晒しているのかも知らず、線香花火に夢中なのだ。
 口内にある苦味は、決して紫煙だけではないのだろう。
「へぇ?どうしてそう思ったのか、教えてくれよ」
「んー、何となく?妙に楽しそうな感じがしたので」
 あ、落ちた。そんな無感情な声と共に、その場を照らしていた光源が潰えた。少女の頭は立ち上がり、背伸びをしようと目線より遥かに低い。ただ、普段感情を窺わせない無表情は何故だか羨望していて、今にも泣きそうで、そこにいたのは単なる親の手を無くした迷子の子どもだった。
「………昔」
 紫煙混じりの言葉が、ゆっくりと思考しながら成されていく。
「山の大事な神社の巫女さんにちょっかいかけて、バレて村長と長老にこっぴどく説教されたことがある」
 突如始まったそれは、先程の不躾な質問への肯定だった。
「あの頃は教育方法も容赦なくてなぁ。あと、君らは落盤跡に行ったかな。あそこの落盤事故にも巻き込まれて死にかけたりだとか、親と山菜採りに行ったら猪に追いかけ回されたりだとか…結構ろくでもない思い出はあるなァ」
「…波乱万丈ですね、意外と…」
「それ、さっき赤城にも言われたよ」





この場所に軟禁されて2日が経った朝、隣で寝ている友人が突然ら家に帰らないといけないと言い出した。ここからの脱出が困難であることは承知のはずだが、彼は家はすぐそこだから大丈夫だと言って出ていった。彼の家は東京だし、実家も近くどころか北海道だ
私が止めるのも聞かずに出て行ってしまった。見張りの村人と話しているのまでは聞いたが、どうなったのかは分からない。だが夕方にはその理由が私にもなんとなく分かってきた。私もずっとここに住んでいた気がしてきた。父も母も今もここに住んでいる気がする
そんなはずが無い
私が私である内にこれを残す。ここはおかしい。時間はそれ程ないだろう。これを見つけた後の者が無事本当の故郷に戻れることを祈る

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