平和に行きましょう。
寧々さん
「おどれ女の子に何しとんじゃああああああ!!」
怒号と共に寧々の脚が飛燕の動きで天高く上がった。
高く、高く上がった足は想像もつかぬ力と勢いを込めて落ちてくる。
「あーー」
誰かが叫ぶ。けれどあまりにも遅い。瞬きの内に眼前へと足が迫った瞬間、寸での所で多々良が頭を逸らしたが、強打した肩からは明らかに鳴ってはいけない軽い音が鳴った。
「っぶねぇ!」
「…お父さん?」
沙良の視線は赤彦らではなく、所在無くあちこちを見渡している。普段感情を窺わせない無表情は何故か今にも泣きそうで、そこにいたのは単なる親の手を無くした迷子の子どもだった。
「どうした?」
「お父さんとお母さんがいる、生きてる。帰らないと」
「生きてるって…、お前の親は」
意味不明な沙良の言葉に反論しようとした赤彦は、けれど沈黙せざるを得なかった。沙良の両親は、彼女が生まれて間もない頃に起きた交通事故で喪われているのだ。けれど沙良は「生きてる」と言った。
「…沙良、落ち着け。ここに親がいる訳ないだろ」
「でも、」
「でもじゃない。…冷静になれよ、お前は俺達と一緒にここに旅行に来たんだ。この村に住んでた事なんてないだろうが」
咀嚼させるような説得により、ようやく沙良は
「来るな馬鹿!」
「え?」
声もなく、殺意もなく、ただ鋭い衣擦れの音がした瞬間に。
襟首を掴まれ距離を詰められた赤彦が、吸い込まれるように池へ叩き込まれる様子を、沙良はスローモーションに補正された意識の中でただ呆然と見ていた。
大柄な青年に見合うそれ相応の重量を飲み込んだ池は派手な水柱を上げ、叩き込まれた赤彦は勿論、至近距離にいた多々良は投げた体勢のままその水をモロに浴びる。ほんの一瞬でずぶ濡れとなった赤彦はまとわりつく服により池の中でもがいていたが、多々良は濡れた顔面を簡単に拭うだけで表情は随分と涼しい。
「確かに特別鍛えちゃいないが、僕だって伊達に君らより長生きしてる訳でもないんだよ。…流石に少々無理はしたけど」
「…君は詰めが甘いな。後ろを考えて来るべきだった」
だろう、兎山。
小さな悲鳴と、物陰が軋む音が背後から聞こえた。
「沙良、来るなって…」
「それで納得する子だと思ってる辺り、虎杖、兎山を過小評価してるぞ」
「あんたは黙ってろ、知ったような口ばっか聞きやがって!」
「君よりは知っているから口を開くんだよ。あの時も、結局男友だちより僕を頼ったのは君だろう」
彼らは皆兎山沙良に「想い」を寄せ、「思い」上がり、「思い」悩み、「思い」巡らせ、「思い」半ばに「思い」残して死んでいった。それが恋、愛、あるいは嫉妬であっても、一様にそれらは普遍的とは言い難い、異常な形の想いだったのは否定のしようがない。
悲しい少年は気丈な彼女に弱さを求め、
失敗した男は同属の彼女に恋を押し付け、
気の触れた令嬢は友と彼女を重ね、
心に、肩に、首にそれぞれ傷を遺し消えていなくなった。
僕こと鳥楽青羽が思うに、沙良はそんな蔭のある人間を引き寄せる何かがある。才能でも性能でもなく、「兎山沙良」という人物の在り方そのものが誘蛾灯のような役割を果たしていた。
「まぁ不幸な目に遭ってきたからといって、あの子が不幸な訳でもない。本人なりに幸せに楽しく毎日生きてるってのも良いじゃないか」
「」
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