平和に行きましょう。

さらさん2


「ッアァああああぁぁあアああああああああ!!!!」
 跳ね上がった魚のような絶叫は居間からだ。理由は既に分かっているし、対処の仕様も理解している。最初の頃はあまりの声に襲撃かとドアを蹴破ったもので、訳も何も知らないでいれば何事かと思うのも仕方が無い。
 居間に入れば、狭い室内を圧迫する豪奢な長椅子に収まる程度の小さな毛布の山が真っ先に見える。収まりきらない長い黒髪は流水のように零れ落ち、廊下から盛れた僅かな光源で照る程艶やかだ。
「嫌だっ嫌だぁああぁあぁぁあああ!!!!」
 絶叫し続ける毛布の小山に近付き、毛布を剥げば、抵抗もなく簡単にめくれた。中にいるマスターは虫のように丸まって、頭を抱えて「何か」にひたすら怯え続けている。目は開いているのに、やってきた自分のサーヴァントにも気付いていないらしい。刃物じみた目は見開かれ、ポロポロと大粒の涙を零しながら揺れている。



「ねえ、先生」
 胡乱に濁っていた瞳は凪いでいる。最早何にも揺れない水面に、澱は底に沈み切って澄み渡ってさえいた。
 娘は、珍しく年相応の可愛い表情を浮かべていた。少しはにかんで、照れたような様子で改まって立っている。
「呵呵、お主もそれぐらいの可愛げがあれば良い」
「無茶言うなぁ。へへぇ、じゃあさ、お願いしていい?」
「聞くだけ聞こう」
「この戦争が終わったら、聖杯に先生の受肉をお願いしていい?」
「ッ呵呵呵呵!あの腑抜けたマスターがそこまで言うようになったなら、儂も一層張り切らねばなるまいな!」




 生活感のある調度品はそれぞれ使い古しているものの、丁寧に清潔感を保ったまま骨董品とは異なる情緒と味わい深さを感じさせる。3人がけの長椅子や、洒落たカップを並べた食器棚、どれもこれも10代半ばを過ぎたかも怪しい子どもには不相応なものだろう。
「マスター、お主に家族はおらんのか」
「んん?いるけど」
 ランサーの一抹の不安は、あっさりと即答で掻き消えた。あっけらかんとした沙良は、何やら用意している用途不明な品々を点検しながら、いつものように過ごしている。
「この家のこと?それとも、私が聖杯戦争に参加してる理由?」
「両方だ。マスターが参加していることを承知しているのか?」
「承知も何も、その親が放り込んだからなぁ。私が死んでも、家にはもっと優秀な才能の養子がいるから無問題モーマンタイ。勝てば勝てばで名誉と名声が手に入って万歳ワンスェイ








「ほぁあ…」
 黒髪の少年とも少女とも見える子どもが、眠気眼を擦りながら今しがた目覚めたとばかりに大きな伸びをしながら欠伸をかます。
「んん…?んー…?」
 やたらと大きな毛皮のコートに収まりながら、見るからに“巣穴”のような大樹の根本に形成された洞から顔を出したその子どもは、思わず覗いていた立香に顔を向けて鼻をひくつかせた。見た目は12歳前後の人畜無害な子どもだが、人を喰らいながらも崇拝される邪神が住まう密林に、まさか堂々と住み着く人間はいまい。いや、ワンチャンはぐれサーヴァントのような、
「くぁああ…なんか動いて…んー?おっかしいなぁ、今はご飯いらないからぁ、追い返さなかったっけなぁ…んん?違うかぁ、確かどっかにあげたんだっけぇ…?」
 ッカンカンカンカン!!アウトォオオオオオ!!プロレスのゴングが超高速で叩かれ、脳裏でレフェリーの絶叫が響き渡る。その勢いたるやゴングがひしゃげて鉄くずになる勢いだ。
 未だに意識が半分夢に傾いているらしい子どももとい邪神は、徐々に逃げ腰で後退し始めた立香から既に視線を外してブツブツと何か呟いている。どうやら独り言で頭を整理しているらしいが、どうやら諦めたらしい。カッと目が開いたかと思えば「何だお前!!」と絶叫した。
「人間!?なんでいるの!?えっ、こわ、超こっっわ!!まだお供えの日じゃないのに!なんかいる!動いてる!」
「あっ、どうも、お邪魔します」
「あ、ご丁寧に…じゃねえ!どこから入ってきた!?」
「正面からは流石に無理だったので、空から」
「もう玄関からってレベルじゃねえよ!!土足で居間どころか寝室まで入ってきてるようなもんだわちくしょう!!つーか途中適当に放ってた信者とうちの眷属がいただろ!?」
「あ、なんか所々欠損して目が虚ろだった人もどきとぐにゃぐにゃしたスライムみたいなのは倒しました」
「っぎゃあああああああああ!!道理でなんか神性微妙に下がってる気がしたあああああ!まぁ大陸の奴らが奉ってるからあんま関係ないけどな!!」
 ハイテンション系ヤンキー、それも子犬属性が付きそうな喧しさだ。最初のちょっとした神秘性は取って代わって、見た目相応の子供っぽさが如実に現れている。少なくとも、ウルクにいた女神達の最初の頃より、初手で殺そうとするよりはかなりコンタクトが取りやすい状態だ。
 …というより、これではまるっきり──
「まぁ、この際なんでもいいや。そこの飛来物、お前、なんか用があるんだろ。聞くだけ聞いてやるからちゃっちゃと話せ」
「…え、話聞いてくれるの?悪い神様なのに?」
「邪神サマでも一応この大陸に住まう種族から崇められてるし、きっちーんとお供えもあるし、威光もあるし!飛来物の謁見は予測してないけど、ぶっちゃけたまに勝手に来る人間たまにいるからな。それにうちの信者と眷属堂々と殺れるんならその勇気位は買ってやる。飛来物にうちの加護の気配ないけど、それも後で与えりゃ特に気にしない」
 毛皮のコートを着直した邪神は、洞から出てくると本当に子どもくらいの背丈だった。艶やかな黒髪は高く結われているが、恐ろしく長く足元に絡みついている。立香と目線が近いが、12歳位の子どもらしい低さで、しかも随分と細い。ジャックやナーサリーのように幼児の身体故に薄い訳ではなく、栄養不足による貧相で肉がついていない、とさえ言ってもいい。事前に仕入れた地元民による「怠惰で大食らいの神」とは、今の所対極だ。しかも、邪神の割に神よりも大人しいかもしれない。


「まー、うちは今んところはこの依り代になった人間に限りなく同調してるんだよね。この身体だと肉受け付けないんだぜ!?やばくね!?だから直接信者にした奴は精神ちょっと食べてー、ついでに魔力も吸ってー、たまに身体の直接的な栄養として信者の肉食ってたんだよね。肉食えないのに胃に詰め込むから毎日グロッキー!超辛い!でも他に食べ物ない!他にやばそうな植物食べて身体殺したらやばいじゃん?多分腹ペコだから本体に戻ったら大陸丸ごと殺戮パーティーだよね。だから、うちは仕方なくカニバルハンニバル。でもきちんと奉ってるから加護与えてるんだよ、超偉いでしょ」
「え?お肉食べられる依り代?考えたけどー、どの時代どの世界だろうと依り代足り得る身体ってこの子どもしかなかったんだよ。術者がどう用意したかは知らんけど、その場にいたの掻っ攫って適当にやったらまさかの大当たり、的な。普通に生きててもかなり悲惨な死に方してたろうし、生存って1点だと利害一致!え、意識?あるよ!というか、人間らしい意識や思考回路、言い回し諸々はこの身体のお陰だね!意識担当と機能担当的な!分からねぇけど、まぁお陰でお供えの消費はかなりゆっくりだし、みんな幸せ。うちの食事事情さえどうにかなりゃな!!ツァトゥグァだから正直めんどい!そのお陰でこの身体は児相案件レベルの貧弱!お前のワンパンで沈む気しかしないけど、装甲あるし本体だと死なないから問題なし。ってか今更だけど、多分オルタだねこれ!反転、だっけ?怠惰だから超アクティブ!ついでに弱体化!それでも地球誕生からいるから強いよ!へっへーん!!」




「──…李、書文?」
 ゾァ、と一瞬にして入江が引いた。この場に御座す神の怒りを感じ、それに触れまいと水すらも恐れたのだ。
「呵呵、懐かしい顔だな。しかし、そのナリを見るに“死に損なった”のか。難儀なことだ、お主も」
「…は、」
 あぁ、何が子どもだ。
 どこが優しい神だ。
 “これ”は既にそんなものじゃあない。人をやめさせられ、邪神と同一となり、狂気にも陥ることが許されないまま狂気そのものと化した正気の化け物だ。
「っははははハははははハハはははハハハハハ!!!あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
 たかだか12歳の子どもが持てる記憶ではない。怠惰な神の血濡れた悍ましい崇拝と衰退による記録は最早1000年3000年の規模ではない。
 ケタケタと笑い始めた神に表情はない。人の声が失われ始めた音波に、精神を穢す汚泥じみたものが入り乱れる。忘却によりバランスを保っていたサラは、李書文という鍵を見て記憶を開いてしまったのだ。連鎖に続く連鎖により、意図して忘れ続けていた忌まわしい人としての記憶と、そして神としての1面も。
「書文、しょぶん、せんせい…あァっはははははは!!せんせェじゃないか!あはははは!先生!先生!先生!!あっれぇ、おっかしいなぁ!あんたは最初に喰ったんじゃなかったっけ!!?」
「生憎、儂は喰われてはおらんよ。ふむ、座で情報として記憶しているが……そう不仲ではなかった筈だ」
「でも見たまま死ぬ程恨まれてますね」
「恨んでないよ!大好き!愛してる!だから、“先生”を最初に食べてあげたんだよ!!大好きだったんだよ!おとーさんとおかーさんよりもずっとずっとずううううううっと!!!」

「呵呵、呵呵呵呵呵呵呵!!すまなかったな、サラよ!お主の死に時こそ、救いこそが我が凶拳であったか!ならばこれ以上の問答は不要、今こそ儂の前に立ち死合うぞ!!」
「は、は、いいよ、じゃあ今度もまた腕から食べるね!先生が抱きしめてくれた手と指と爪と骨も一緒に残さないで、全部!顔と霊核しんぞうは最期まで置いといてあげるから!もう1度上手に、綺麗に、全部食べてあげる!」







「…ちぇっ、ちぇっ、ちぇーっ!!たーべーそーこーなぁったー!!!」
「阿呆め、喰われると分かって差し出す奴はおらんわ」
「うっううううううう…!」
 ゴロゴロゴロゴロゴロ、と地面をローラーのように転げ周りながら、神性存在としての威光を潜めたサラは叫びながら悔しそうに手足を暴れさせている。正直その、それだけで地が震え大気が轟くのだが、つい先刻までのツァトゥグァモードを思えば、見たまま子どもの駄々に思えて、特に害がないように見えるのが不思議だ。
「でも気は済んだ!!マジでごめん!ちょっと思い出が内臓みたいに飛び出して記憶混乱しちゃった!!」
 それかなり大惨事ですが、ああ大惨事でしたね…。
 立ち直りの早さは1級品らしい。即座に立ち上がって頭を下げるが、そもそも土足で寝床にまですっ飛んできた闖入者はこちらであることを忘れてはいないだろうか。
「具体的には、食べたのは学校の担任してた先生だった。書文先生じゃなかったや。飛来物の人間もごめんね、邪神だけど、ご飯的に人間は嫌いだから食べないよ」









「えっへへ…すっげー端折るけどね、その人がうちの給餌器に入ってた生贄の1人だったんだよね。でもその給餌器、実は契約してから400年くらい全然機能してなくて、あーこれ管理してた信者死んだのかー残念ーって思ってたら、ある時給餌器壊れて大暴走。勝手に繁殖してた生贄たちは今更食べられたくないから、その場にいた人間の子どもになんやかんやの悍ましい儀式をして見事ノリと勢いだけでツァトゥグァ大✩召✩喚!でもタイミング激悪で、暇でお腹すいてたうちは見事その場にいたやつらを手当り次第に食べたのでした…」
「…えっと、つまり、君を攫って神下ろしをしたのは、大好きだった学校の先生ってこと…?」
「おーぅいえーす。でもあの給餌器管理してた巫女が死んだのは残念だったなー。あいつらの母親、慎ましやかだけど割と敬虔な信者でよかったし、その娘達も話わかる人間だったのに」









































prev next
Back to main nobel