01

 鬼と人間の間に生まれた自分が、まさか人身売買の商品として荷馬車に乗ることになるとは想像していなかった、とミズキは込み上げそうになる笑いを嚥下した。
 がたごとと揺れる荷馬車の中に響く中年男の鼻歌のオラショが耳障りだ。
 一寸四方ほどののぞき穴のような窓から差し込む太陽の光は、痛いほどに眩しい。
 馬車の揺れが止まった。現地を確認するため、ミズキは真正面の小窓の外を一瞬睨み上げる。すると、光の向こうに猛禽類に似た灰色の瞳を見た気がしたが。しかし海楼石の鎖に首と四肢を繋がれた身体は、倦怠感に襲われてすぐに目を閉じてしまう。
 意識を暗闇に投じると、鼻歌男が人間をまた一人荷台に押し込んで、馬車は再び動き出す。その揺れに合わせ、同じように鎖に繋がれ俯き生きる気力を失った少年少女たちの頭が、ミズキの肩に触れた。
 先ほど見えた瞳の色はこの国では珍しいく、思い出すように顔を上げると鎖の音が大きく響いてしまった。すると鼻歌をやめた男が「動くな!」と過剰に金切り声を上げた。
 言いようのない苛立ちと疲れから小さくため息をつき、ミズキが静かに視線を伏せると、おとなしくなったことに気を良くした男がまた鼻歌を歌い出した。

 調子外れの不気味なオラショと共にミズキたちが運ばれていく場所は、“エケレジア”と呼ばれる闇市だった。





 木々に囲まれるようにできた小さな砂浜にポーラータング号を碇泊させたハートの海賊団は、一部のクルーを見張りとして船に残し、各自が街まで物資調達に出た。
 記録(ログ)が溜まるまでおおよそ二日ほどという島“パライソ”に、ちょっとした観光も兼ねてローもベポを連れて街を散策すしていた。
「キャプテンキャプテン」
「なんだ」
「この島の人は、みーんな背が低いんだね」
 物珍しそうにベポが見渡す人々たちは、男でさえ皆一様にローよりも頭二つ分ほど小さく、なんだか巨人になったような気分だ。
 顔の知られた指名手配犯の身であるため、どんな島であろうと自分の存在を知る者には恐れられて遠巻きにされることも致し方ない。しかし、体格の違いから奇異の目を向けられるのは、どうにも居心地が悪いと感じたローは舌打ちをした。
 ワノ国にあると言われている建物の雰囲気を醸した街並みは、それでも煉瓦造りであったり、西の海で見かける街灯がずらりと並んでいたり、足元は石畳であったりと、各地の文化が混沌としているようにも見える。その建物一つ一つの出入り口も小さく、ロー達では鴨居に頭をぶつけそうだ。
 一息つくために、朱赤色の布が掛けられた店外席の長椅子に腰を下ろす。恐る恐るといった様子で注文を取りにやってきた店主は、ローが懸賞金四億円以上の海賊だと知っているらしい。
「ご、ご注文は……」
「なんでもいい。不味くないものを寄越せ」
「はっ、はいぃぃ!」
 刀を抱えて腕を組んだローの隣で、ベポはちゃっかり団子を注文している。
 日が傾き始め、足から伸びる影が長くなってきた。このまま散策を続けるか一旦船に戻るかを考えていたとき、馬車と思しき音がローの耳に届いた。
 砂埃を上げながらゆっくりと迫ってくるそれを、街の者は避けるように道を開ける。
 やがてロー達の前で馬の足を停めたのは大きな荷馬車だった。荷台にはほんの小さな窓があり、なんとは無しにその中を覗き込む。
 薄暗い荷台の中で強い光を放つ瞳とローの視線が一瞬だけかち合った。しかしそれはすぐに薄闇の中に形を潜めてしまったようで、もう見ることは叶わない。
「今日はいつもより大きな荷馬車だね」
「ほら、明日は典礼の日だから……」
 荷台の中から意識の逸れたローの耳に、街の人々の潜めた声が流れ込んできた。
 帽子の影に顔を隠し、辺りの不穏な様子を窺っていると、向かいの建物から出てきた幼い少女が鎖に繋がれて荷台に押し込められる。その表情は魂を無くし、この世のなにもかもを失ったように、感情を浮かべることすらもしなかった。
「見たかい、あんなにたくさん」
「ああ、見えた見えた。みんな死んだような顔しちまって……」
「そりゃあ、これから死んだほうがましだと思えるような場所に行くのさ……魂なんかすっぽ抜けちまうよ」
 荷台の扉近くにいた若夫婦が顔を顰めてそんな会話をしていることから、かなりの数の人間が積まれていることを悟ったローも眉間の皺を深くした。
 鞭を放つ音と共に馬が嘶き、荷馬車が去っていく。
 ローの呟きに不快さをにじませた顔でベポが驚いた声を上げたが、静かにするように窘めると、店主が差し出してきたコーヒーをすすった。
「おい」
「はひっ!」
 店主はローに声をかけられて竦み上がる。
「さっきの奇妙な荷馬車はどこに向かった」
「そ、それは、ぼくのくちからはとても言えな、」
「答えろ」
「え、えええ、エケレジアという市場にっ!」
 今にも腰を抜かしそうな店主が指差した先にあったのは、すでに日の当たらなくなった薄暗い森で、その奥に小さく教会のような屋根が見えた。
「ちょっとそこのあんた。どこのだれか知らないけど、あんなところに行くなんておよしよ」
 上品な着物を身に纏った白髪の夫人に声を掛けられ、ローはその人を見た。
「あんたらが言ってた典礼とやらは、一体なにをやってる」
「……人身売買さ」
 忌々しいものを吐き捨てるかのように夫人は言った。
「明日には、あの子も……」
 ぎり、と音が立ったのではないかというほどの強い力で、夫人は拳を握る。口ぶりからして知り合いが連れて行かれたのだろう。しかしローは余計な同情は無用だとばかりに口を開かない。
 いまにも泣き出しそうな老夫人を見かねた若い娘が、老いた肩にそっと両手を添え、彼女の話の続きをくちにし始めた。
「十年ほど前に突然やってきた海賊が、貧しい家から子供を騙して安く買ったり、身寄りの無い美しい女性を攫ったりして、闇市で貴族や政治家に売っているんです。最近は、外からやってきた海賊もその闇市に参加してるって噂まであります……」
 海賊という単語に眉尻をピクリと動かしたローは、立ち上がりコーヒーを飲み干すと、店主に空のカップと札束を握らせた。
「ベポ、エケレジアとやらに向かうぞ。シャボンディ諸島の人間屋と繋がりがあるかもしれねェ」
 その言葉から、今のローの頭に浮かんでいるであろう王下七武海の男を察したベポは、団子の串を持ったまま「アイアイキャプテン!」と元気よく返事をした。
「あんたたち、およしよ!」
 自分よりもずっと背の高いローの迫力に臆することも無く、老夫人は歩き出した逞しい背中に声を掛ける。
「なにを勘違いしてるのかは知らねェが、おれ達も海賊だ。そんなおれ達が人間を買いに行こうったって、なにもおかしなことじゃ、」
 そう言ったローの背中に、ごつんと勢いのあるものがぶつけられた。それが石だと理解するのに時間はかからなかった。
「キャプテン!」
 慌てたベポが後ろを振り向くと、顔を真っ赤にした老夫人が制止する娘を振り切って腕を振り上げながら激昂している。
「この外道! 二度とこの街に来るな!」
 わあっと泣きだした老夫人はその場にへたり込み、見ていた周囲の観衆達も、次々とロー達に罵声を投げかけた。
「キャプテン、」
「ほっとけ。あのばあさんの口ぶりからして、知り合いか身内が連れて行かれてんだろ。人助けなんか頼まれでもしたら面倒だ」
「……うん」
 遠ざかっていく民衆の声と夕日を背に、ローとベポは自分たちの足から伸びた影を見つめて歩みを進めた。

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