02
鼻歌のオラショが止んだのは、“荷物”が森の奥深くの教会に到着したときだった。
ギギ……と軋んだ音を立てて開かれたから入り込む月明かりでさえ、薄闇で目を閉じていたミズキには眩しく思えた。
扉の近くに座らされていた者から順に外に連れ出されていく様子が、朦朧とした視界の隅に見える。海楼石の鎖に、着々と体力を奪われていっているのを感じていたが、自力で動けないほどになるとは思っていなかったミズキは、内心で舌打ちをしたと同時に意識を手放した。
「貴様も早く降りろ」
ミズキが壁に背をつけたまま、ぴくりとも動かないでいるのに苛立った男が彼に近づき、首につながる鎖を乱暴に引き上げる。すっかり身体に力の入らないミズキの青白い手足は、重力に逆らうことなくぶらりと力なく垂れ下がった。
「おい、そいつは丁寧に扱え。傷の一つもつけるなとボスに言われただろう」
男の仲間だと思しき別の男が荷台に顔を出して彼の行動を嗜める。
「しかし、ほかの女子供と違って、でかくて重いんじゃ運びづらくてしかたねェ」
「これを使え」
金属と金属が擦れる嫌な音を立てて、車椅子が荷台に放り込まれた。男はミズキの脇の下に腕を差し入れ、力の抜けた体を車体に乗せる。
壁一面真っ白な教会からは、パイプオルガンの音色が不気味に響きだした。男達はその音に合わせオラショを口ずさみながら、完全に意識を失ったミズキを連れて教会の中へ消えていった。
「ヤシロ様、連れて参りました」
ヤシロと呼ばれたカソック姿の男は部下の声に気づかないままオルガンを弾き続けている。彼は身長もあるがそれ以上にでっぷりとしており、正確に鍵盤を叩けるのが不思議なほどに大きな手をしていた。
「ヤシロ様!」
「ヤシロ様ってばー!」
ゆらゆらと上半身を前後左右に揺らし、気持ち良さげに己の奏でるメロディーに酔いしれているヤシロの背に、部下は額に汗をかきながらいま一度声を張り上げるが、やはり彼は気付かない。
「……ん」
男達の大声に頭が傷んだのか、意識が無いながらもミズキは半開きになった唇から、小さな声で呻きを洩らした。するとそれまで部下達の声など聞こえていなかったはずのヤシロが、耳聡くミズキの声を捉え、ぱたりと演奏をやめる。そして目にも留まらぬ勢いで車椅子の前に膝を折った。
ヤシロは荒い息をミズキに吹きかけながら、彼が身に纏う着物の合わせをゆっくりと開くと、巨体を小刻みに震えさせる。
「こ、こ、これは……」
なにか失態があったのかと心配になり顔を見合わせた部下達は、次の瞬間パイプオルガンよりも大きなヤシロの声に後方へ吹き飛ばされた。
「スバラシイ!!!!」
フンフンと大きな鼻の穴から噴出されるヤシロの鼻息が、ミズキの前髪を揺らす。意識が無いというのに不快感を身体が察知したのか、わずかに身じろいだことでヤシロの興奮をさらに仰いでしまうこととなった。
「あなた達も見なさい! この美しさを!」
吹き飛ばされて尻もちをついていた部下達が目を開けると、そこにはシャンデリアに照らされた、まさしく『生きた宝石』が座っていた。
「サクラ貝の爪、真珠の歯、珊瑚のクチビルっ! 鎖骨の間に嵌まったパライバトルマリン! 耳には翡翠! そして、そしてっ、桜色ロードクロサイトのようなこの、にゅ、乳頭!」
今にも眼前の宝石を頭からむしゃぶり尽くしそうな気持ちの悪い笑顔に、部下達はミズキの美しさなど忘れ、背筋に嫌な寒気が走る。
「ああ……漆黒の髪から覗く角も、まるで象牙のようになめらかで……なんとスバラシイ……。あなた達ィ!!」
「は、はいっ!」
「なんでしょう!」
悦に浸っていたはずのヤシロに呼ばれびしっと背筋を伸ばした部下達に、溢れ出る涎をレースのハンカチで拭った彼は、ミズキの身を清めるよう命じた。
「その者の美しさに惑わされておかしな気をおこさないように!」
「もちろんですヤシロ様!」
「ところでヤシロ様、この者は明日、高く売れそうですね」
「いいえ、この者は売りに出しません!」
「な、なぜです、これほど美しく、しかも人間と鬼の間の子となれば……、」
「わたくしの傍に置くと決めました。しかし、この者を使って下賎な海賊達から金品を搾りとります。明日の典礼は特別ルールで行いますので、あなた達も楽しみにしていなさい」
御意をくちにした部下達が車椅子に乗せたままミズキを沐浴場へ運んでいくと、ヤシロはフフフ……と薄気味の悪い笑いをこぼしながら、上機嫌で再びオルガンの鍵盤に指を滑らせ始めるのだった。
ミズキが目を覚ましたのは、天蓋付き寝台の上だった。
身体に倦怠感が残ってはいるものの、海楼石の鎖や錠などでの拘束は一切されていない。辺りを見回しても人の気配は無いので、すかさず飛び起きて扉に手をかけるが、外からしっかりと施錠されていて逃げ出すことは叶わなかった。
「っくそ……!」
なにか逃げ出す方法は無いかと思考を巡らせて部屋の中をうろついているうちに寒さを感じ、己の身を抱きしめたミズキは、自分がなにも着ていないことに気付いた。
そうしているうちに鍵が外される音がして、ミズキは身構える。ゆっくりと開けられた扉から、自分の数倍もの巨体をしたヤシロが現れ、ごくりと息を飲んだ。
「お目覚めかね。しかしまだ日も替わっていない時間だよ、眠りたまえ」
「お断りだ……」
「言葉にはお気をつけなさい。眠っているあいだは子羊のように可愛らしかったというのに……。まぁいい、これを首につけるので、じっとしているように」
ヤシロが手にしていたのは、ナンバーの着いた木製の札だった。
「形だけとは言え、あなたにも明日の典礼に出ることになるのです。ほかの商品たちのようにナンバーを下げておかないと不自然ですからねぇ」
「一人でなにブツブツ言ってんのか知らないけど、おれは人身売買の商品になる気は、」
「ええ、実質あなたは商品ではありませんよ。なにせ、このわたくしの傍に一生置いて差し上げるのですから」
「っ!?」
ぞっとするようなヤシロの悍しい笑顔に見下ろされ、ミズキの身体から血の気が引いていく。
「あなたを欲しがる輩はたくさん現れるでしょう。しかし誰にも落札はさせません。上手にお金だけいただく予定ですがね……」
「どういうことだ……」
「あなたに何重もの着物を着せ、轡をして、目隠しをして、落札者たちが支払う金額に応じて一つずつあなたを裸にしていくのですよ。もちろん、即金です。そうですね……最低五百万ベリーから始めましょうか。ただしあなたが身に纏うものが一つでも残っていた場合は落札失敗とします。あなたが生まれたままの姿になる頃には、皆財産が尽き果てているでしょうから、だれも落札することができないまま典礼は終わりを迎えるということです」
「随分と悪趣味なおっさんデスネ」
「生意気なくちのきき方はおやめなさい!」
ガシャン! と音を立てて一瞬のうちにミズキの手に海楼石の錠がかけられた。
貧血になったように身体から力が抜けていく感覚に顔を顰めている内に、ヤシロがにじり寄ってくる。能力者ではないため、海楼石に触れてもすぐに動けなくなるわけではないミズキは後ずさっていくが、やがて背中にひやりとした窓がぶつかり、奥歯を噛み締めた。
「さ、観念なさい」
ナンバーを首に掛けてくる太ましい指が肌に触れる動きには明らかな下心が感じられ、嫌悪感に吐きそうになる。ミズキは、咄嗟に窓の外を確認した。
茂みの中にわずかに人影が見える。普通の人間であればきっと見えないだろう。
鬼と人間の間に生まれたからこその視力が捉えた相手が、どんな人物なのかをしっかりと確認したミズキは、ヤシロから逃れるための作戦を思いつく。半分運任せのようなそれに、緊張混じりの笑みが口元に浮かんだ。
そして景色の様子から、自分のいる場所が建物の中二階だと判断し、海楼石の錠を自分の腕ごと窓に振りかざし叩き割る。
「海楼石だからって、すぐ動けなくなるわけじゃ、ねぇよ!」
派手な破壊音と共に窓を大きく破損させるや否や、なにも身に纏わない身体に硝子辺が刺さることにほんの少しも躊躇せず、ミズキはその身を外に投げ出した。
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