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フウマに寄っていけという言葉がまさか兄から発せられるとは思わず、スズカゼは驚いていた。その言葉にカゲロウやオロチも賛同し、いよいよカムイの耳にも情報が入り背中を押される。
「しかし、私も白夜王国に戻らなくては…」
「スズカゼ。何を強がっておるのじゃ。お主の顔にはフウマ公女に会いたいと書いてあるぞ。」
「オロチさん…!私は決して……」
「身分の違いも最早関係ないであろう。公女殿がどんな気持ちでリョウマ様へ属国の申請をしたかは知らぬが、それが現実になれば結ばれることも難しくはないだろう。気張るのだぞ、スズカゼ!」
オロチにかかればスズカゼが敵わないことは明らかであったが、フウマ公国の内情を知る者としてカゲロウも心から彼女の意に賛同していた。今のナデシコを支えられるのはスズカゼだけであろう。
その時、強い風が白夜平原をすり抜けていった。スズカゼを後押しするようにフウマ公国へと向かっていく風はまるで、かの大公のようだとカゲロウは思った。
夢の続きが再び始まったのだろうかとナデシコは目の前の忍の顔をもう一度見上げた。もちろん夢などではなく、間違いなくスズカゼは彼女の元へと帰ってきたのだが、ナデシコにはどうも実感がなく自分の孤独な心が見せる幻なのではないかとまだ疑っていた。
「ナデシコさん?」
「本当に、スズカゼさん…なのですね」
スズカゼが膝を折ってナデシコの顔を見上げる。優しい瞳に映る自分の顔の情けないことといったら、とナデシコが自嘲気味に笑うと、その目の端から涙が零れ落ちた。
その涙はスズカゼの指に絡めとられ、頬に彼の体温を感じた。
ナデシコはずっと寂しかった。
子どもの頃から兄弟も母もおらず、父と叔父や臣下に囲まれて公女として大切に育った。いつか自分が父のようにこの国を治めなくてはならないという重圧が、だんだんと彼女を追い詰めた。民からの期待を失望に変えるわけにはいかなかった。
叔父が政権を握るのだろうと察した時は、少し安心したものだ。自分がやらなくてもいいと。しかしそれは単なる甘えでしかなかった。彼が間違った道を歩んでいたことは十分に分かっていたのに、正すことが出来なかった。自分のせいで、傷付く必要のない人が傷付き、命を落とした。
自責の念が影のように着いてきた。
だからこそ完璧な公女でいたかった。信じてくれる臣下は絶対に自分が守るのだと。しかし自分の力不足で大切な臣下が命を落とした。
「ナデシコさん」
スズカゼはそんな寂しいナデシコの心の隙間を少しずつ埋めてくれた人であった。二度と名前を呼ぶことが叶わなくなるかもしれないという不安に駆られながら、ナデシコは公女としてフウマ公国へ向き合っていた。彼がいなくても出来るのだと臣下に思ってもらえるように。信じてもらえるように。
「私は、貴女を愛しています。」
しかしスズカゼの存在はナデシコの中から消えることはなく、むしろ日々大きくなっていった。彼を失うことを想像すると眠れないほどに心が苦しくなった。頼りない面を見せたくないとどれだけ繕っても臣下はすぐにナデシコの心に気付き、その心を労わってくれた。情けない、公国を治める人間がこれではいけないと何度も思った。
「私たちが結ばれるのにはたくさんの障害もあるでしょう。しかし、私はナデシコさんのためならどんな壁も乗り越えてみせます」
誰かに側にいて欲しい。
父も、叔父も、信頼していた臣下もいない。民は反乱を起こし、国は荒れる。どうしたら良いか分からない。それでも自分が強くいなければ、この国は壊れてしまう。
「スズ…カゼ…さ………」
柔らかい物腰と優しい声。
一番に顔が思い浮かぶのは彼だった。
挫けそうだったナデシコの心を支えてくれた。孤独という名の暗闇に閉じ込められていた心を救ってくれた。
「大好きです。ナデシコさん」
スズカゼの温もりがナデシコの体を包むと同時に部屋へと一枚の花びらが舞い込んだ。彼女の両親が愛した庭園から風に乗ってきたその花びらは、まるで彼らの愛を祝福しているかのように二人の元へと舞い降りた。
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