―いいか、ナデシコ。力が無くとも信念だけは強く持つのだ。然すれば強い人間になれる。弱気になってはならぬ。お前は母に似て勉学に長けているのだから、自分の策を信じろ。いいな、心だけはいつ何時も強くあるのだぞ。

―はい、お父様。私、もっとたくさん学びます。そしてフウマ公国の公女として恥じない人間に、お父様に負けないくらい強くなります。

―お前の母も、体こそ弱かったが芯のある人だったんだ。力でなく、心で人を守れるような強い人間になれ、ナデシコ。

そう言って父は大きい掌で私の頭を優しく撫でてくれたのだ。母を幼くして失った私にとって唯一の家族であり、師匠であり、父であった。力が無くとも人を守ることが出来ると教えてくれたのも、私の長所を伸ばすため忍の訓練を辞めたのも、手裏剣の代わりに祓串を持たせたのも、全て父だった。
懐かしくて温かい思い出が私の頭に蘇る。あの掌はもう二度と私を撫でてはくれない。



第四話

触れられない温もりと空虚な感情
届かない言葉、焼き付く記憶



ナデシコが声を失ったことはもちろんコタロウの耳にも届いていた。新しく公王として玉座に座る彼は、姪の状態を心配するどころか幸運だとさえ思っていた。彼は自らの言葉で反対出来ないナデシコをはじめとした大公派を離宮へと追いやり、城を独占していた。

「ナデシコ様、最近のコタロウ様は見るに耐えません。民への圧政まで始まりそうな雰囲気です」

離へと移ったことはナデシコにとってはむしろ好機であった。叔父一派の手の届かないところで臣下と共に策が練られる、味方の少なくなったフウマ公国において離宮で住むということは不幸中の幸いであった。

―叔父様は私が強い人間だということを知らないのです。フウマの民を苦しめることは許せません。必ずこの国を、民を、公女の私が救ってみせます…。

臣下の言葉を聞き、ナデシコは静かにそう思った。強い眼差しで窓の外を見る公女を見て、臣下も心做しかその思いに気付く。
しかし臣下達の心配は彼女の声だけではなかった。それは勿論、大公の死である。

言葉のないフウマ公女に茶を入れるために部屋から下がった臣下達はやはりその心配事について語り合うのだった。

「ナデシコ様…涙は流されていたか?私はまだその様子を見ていないのだが…」
「はい…私もです。大公様があのような形で亡くなられたのに…。あまりに衝撃が強すぎて忘れてしまったのかと思ったのですが、そうではないようで…」
「と言うと?お前、まさかナデシコ様の前で大公様の話をしたのか?」

あれは完全に臣下の失態であったのだが、ナデシコの記憶を確認する最善の方法だった。
離に住んで暫く、毎日のように窓から見える景色を見つめているナデシコに対し臣下達は気を利かせて話し掛けていたのだ。



『ナデシコ様、今日も良いお天気ですね。ああ…お庭は大公様がお世話されていらっしゃったので少し荒れてきてしまっていますね…私が手入れしておきます』
『……』
『あっ…申し訳ございませんでした…!私としたことが、大公様のお話を…!』


するとナデシコは笑顔で、気にしないで下さい、父との良い思い出はいくらでも話していただいても構いません。と臣下に伝えたのであった。その笑顔は切なげで、話をした臣下が涙してしまいそうであった。






「全く、お前という奴は…。しかしナデシコ様、なぜ涙を流されないのだろうか…。昔はあんなにも感情豊かな方だったのに…」
「申し訳ありませんでした…。あまりにもナデシコ様がお庭を愛しげに見ていらっしゃるので、つい…」
「だからお前が庭の手入れを始めたのか…大いに納得したぞ」

大公の妻が存命であった頃、彼女が好んで植えたのだという庭には、四季折々の花々が咲き、父娘が節目に必ず時を共に過ごした思い出の場所であった。

涙を流さない理由はナデシコ自身にも分からなかった。受け入れ難い事実なのだろうと無理矢理納得させていたが、無残な父の最期は焼き付いている。今でもかつての大公の部屋を前にすると、扉を開ければあの笑顔が待っているのではないかと思ってしまう。その度に虚しさと悲しさに襲われるのだ。
それなのに、なぜ涙が出ないのか。これはナデシコにとっても苦しい現状であった。









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