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変わらない時代などない。人は平穏が変わることを恐れつつも、変わった時代を賞賛する。こんなに良い時代はない、と幾つもの時を過ごしてきた。その変遷は必ずしも良いものだけでないことは明らかだが、それでも人は何故か変わることを恐れるのだ。それは、何にしても同じことだった。人の心は移りゆくものだというのに、やはり同じことだった。
「エルトシャン…様。お疲れ様です。今日の鍛錬は終わりなのですか?」
「ああ、シグルドとキュアンが明日出掛けるということで早く切り上げた。ところで名前。他の臣下がいない時は敬語を解けと言っているだろう。」
「いえ…私はノディオンに仕える身ですから…。以前のようにとはいきません。」
めまぐるしく変わる環境に、私は慣れてきていた。裕福な家庭も経験したし、今と同じように人の元で管理された経験もある。ノディオンで過ごす日々は温かく、冷えきった私の心をじわりと溶かしてくれる。
かつての家が崩壊した後、エルトシャンは私を臣下としてノディオンへと招いてくれた。あれがなければ、私は各地で放浪を繰り返していただろう。
彼への恩義は深く私自身としては友人として接するつもりはなかったが、彼はそうではなかった。
「構わんと何度言ったら分かる…。勿論、立場が違うのは十分に理解しているが、あの頃がなくなるわけではないだろう。」
「ええ、消えてしまったなんて…そんなことはありません。しかし、それでは曖昧になってしまいますから。」
貴方との境界線が。私は心の中で付け加える。今は主君と臣下という簡単な主従関係で結ばれているに過ぎない。彼はいつだって私を駒にして戦乱の世をくぐり抜けなければならないのだ。ノディオンを守るため、否が応でもその時が来れば彼はそうしなければならない立場にある。
「いい加減にしないと俺の堪忍袋の緒が切れるぞ」
「…エルトシャン様、私に何をお求めですか?」
「名前!」
行く手を彼の腕で塞がれる。左側は壁で逃げ場がない。どうやら本気で彼の逆鱗に触れてしまったようだが、私とてこればかりは折れるつもりもないし謝るつもりもなかった。ここで関係を曖昧にすることでノディオンが揺らぐようであれば彼の器を計る機会にもなるが、私はシャガールの手先ではないのでそんなことをする必要は無い。
エルトシャンは怒りと悲しみを交えた視線を私に向けた。分かっている。言いたいことはわかっているけれど、貴方の願う関係にはなれない。
「名前」
「はい」
「お前がそこまで言うのならば、無理矢理でも俺の側室に迎え入れる。ラケシスが反対しようと関係ない」
「エルトシャン様…!それはなりません。私はノディオンに仕える外様です。そんなことをして周りからの反発を買うのは…」
逃げ道を作っても口答えするなとその道を塞がれる。正妻がありつつ側室を置くのは珍しくなかったが、エルトシャンはそのようなタイプの人間ではない。キュアンが許すものかと思ったが、あのお人好しな友人はそれさえも寛容的に受け入れてしまうのかもしれない、と思えてきた。
しかしどう考えてもレンスターからやってきた彼の妻を差し置いて側室になるなど、私には考えられなかったのだ。
「名前、お前は俺の臣下だ。何と言おうが俺が命じたことに従ってもらう」
「……出来ません。この場で私を解雇していただいても構いません」
「それは認めない。俺はお前を側に置くと決めているからな」
「貴方は…ずるいです。エルトシャン様…」
珍しく強情なエルトシャンに降参すると、ふっと彼の口元が緩んだ。彼の空いた腕が視界の端で動くと、それは私の体を優しく抱き締めた。誰が来るか分からないのに、と拒んだ腕まで綺麗に丸め込まれる。
とても長い間が経過したような気がするほど抱擁は続いた。何も言わないエルトシャンに私は困り果てたが、言葉では言えないことだからこそ行動で示してくれているのではないか、と思う。
何故なら私達は二度となれないのだ。
友人にも、恋人にも、家族にも。
「俺の側にいるだけだ。それだけなら、頼めるだろう?名前…」
「……はい」
何の関係にもなれなくても、互いを想い合うその心だけで私はきっと彼の側にいられるだろう。どんなに季節が移り変わっても、この世界が変わっても、この心だけは変わることがないからだ。ノディオン王エルトシャンのことを、私の全てを懸けて守ると決めた、この心だけは永遠に色褪ることなくユグドラル大陸に生き続けるだろう。
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