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彼女が僕の目の前から姿を消してから、5年の月日が流れた。クラリーネは変わらず彼の元とこの家を行ったり来たりの忙しい日々を過ごしており、僕は軍人を辞めて文官になった。
リグレ公爵家の跡取りとして早く結婚しなければという思いがあるものの、僕はまだその決意を出来ずにいた。そんな僕を見かねてか、父は彼女を探すことを了承してくれた。
「どんなに繕っても、人の心は簡単に変わらないが、諦めるのは簡単だ。クレインに想う人がいるのならば、彼女を追いかけるのもまた一つの道だよ」
「父上、僕は……」
「私はルイーズを残してナバタとエトルリアを往復していた男だからね。息子とはいえ行くなとは言えないな」
彼女の姿を忘れたことはない。どんなに美しい貴族の姫に出会っても心が揺さぶられるあの感覚は起きなかった。
ローブを深く被っていても、髪型が変わっていても、彼女であれば必ず気が付くはずだ。父の言葉を受けて、伸びた髪を靡かせながら僕は家を飛び出した。
どこから探し始めようかと向かった先は、彼女の弟の眠る墓がある静かな町だった。慣れた手つきで馬を走らせその町に向かうと、そこは五年前と変わらない姿で僕を迎えてくれた。
「変わらないな、此処は…」
まるで時が止まったかのようだ、と思いつつ彼女の弟の墓へと足を向かわせると、そこには茶色く枯れた花が添えられていた。この花を添えたのは間違いなく彼女だろうと検討を付け、定期的に此処に現れるに違いない、と僕は思った。
(君は律儀な人だ。弟の墓が再び汚れる頃に、戻っているんだろう?)
墓石に刻まれた名をなぞっていると、こちらをじっと見つめる鋭い視線を感じた。それだけで分かってしまう自分も自分だが、まだ知らないふりをしておこう、と僕は笑みを浮かべてその場に背を向けた。
どうして、とか。なんで、とか。また君は理由を問うのだろうね。理由なんてない、またはとても簡単なものだよ。それは、僕が君を追いかけているからだ。
「名前」
彼女が墓の前に膝を付くのを見計らって、僕は声をかけた。驚いたのか、肩がぴくりと動いたのを僕は見逃さなかった。聞こえていることは間違いないが、彼女はまだ僕の方へ向こうとしない。それもそうだ、彼女は五年前に忽然と姿を消したのだから。
「君と会えるのなら、此処しかないと思った」
僕が話し始めても彼女は何も言わなかった。最後にあったあの日と比べると、ローブからはみ出た彼女の髪は随分伸びたように感じる。
「名前…僕は…」
「人違いです」
俯きながら立ち上がって言い放たれた言葉は、苦しげにもがきながら僕へと届いた。そんなこと言われて、そうですかと簡単に言えると思うか?此処で君の手を離すわけにはいかないんだ。
足早に去りかけた彼女の腕を掴むと、彼女は抵抗する様子もなく足を止めた。
「人違いなわけない。僕には分かるよ。随分と髪が伸びたんだね、名前」
「髪…?」
フードから覗いた彼女の双眼が僕の姿を映した。いつかと同じく澄んだ瞳が、目の前に輝いている。
「僕は願掛けをしていたんだ。名前にまた会える日まで、髪を伸ばそうと。昔の父のようだと色んな人に言われるけれど…ね」
彼女は何も言わずに僕を見つめ、掴まれた腕を振りほどく素振りもなかった。昔と何も変わらないな、と僕はその瞳を見つめ返した。
「私は…貴方が探している人ではありません」
ふっと視線を逸らして言われたのは相変わらず僕を突き放す言葉のはずなのに、何故こんなにも心が踊るのだろう。僕は掴んだままの腕を離し、彼女の頭を覆うローブのフードを外した。
「君は変わらないよ。どんなに髪が伸びていても、僕が見紛うはずがない」
君が僕の元を去った時。
君の幸せを願うのなら、リグレ公爵家に留まらせる選択肢を捨てるべきなのかもしれないと考えて、追いかけなかった。
しかし僕はすぐに後悔することになった。文官となった僕に舞い込んでくる仕事を、ただひたすらにこなす日々から生まれるものは何もなく、楽しそうに彼とのひと時を語るクラリーネの話を聞く時間さえ虚しく感じるほどだった。
全て僕の我儘に過ぎないと思ってずっと心に秘めてきたのだが、父に背中を押されて一度走り始めてしまえば、止まれなかった。君に会いたい、君の笑顔が見たいという気持ちが。
暫しの沈黙の後、彼女はどうして、とゆっくり口を開いた。
「僕は愚かだった。世界で誰よりも好きな人のことを忘れることなんて、出来るはずがない」
だから君を探しに来たんだ、と続けるはずだったのに、その言葉は出てこなかった。それは僕を見つめる名前の瞳から大粒の涙が溢れていたからに他なからなかった。
「名前!?」
「私は…っ…!クレインを、忘れたかった…。釣り合わないって…分かっていたから…。でも、でも…っ!あなたを忘れるなんて、出来なかった………!」
ぽろぽろと涙を零しながら語る名前を僕はゆっくりと抱きしめた。もう忘れなくていいんだ。ずっと側にいるから。もう二度と、君を離したりしないから。
「大好きだよ、名前。世界で一番、君が好きだ」
「クレイン……。私も、あなたが好き」
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