松明の灯りをともすと、それはおだやかに周辺を照らした。ちらちらと燃える明かりを頼りに彼女は長い廊下を進んでいた。その度に揺れる松明の炎で照らされた廊下に置かれる装飾品の影が、まるで命を授かったかのように動き回る。
そんな慣れ親しんだルネス城の暗い廊下を名前は歩いていた。目指す場所はただ一つ、今やこの国を治める人物となった彼が一日の大半を過ごす部屋だった。
その廊下の途中には歴代の王の肖像画が飾られており、名前はある人物の前で足を止めた。

「ファード様…」

それは先代の王、つまりエフラムの父の名だった。幼い頃からルネス城に身を寄せていた名前を娘のように大切にしてくれた人物で、彼女にとっては恩人であり同時に父であり、彼の死は名前に大きな悲しみをもたらした。そんな彼女を救ったのが、隣に飾られる現王の彼であった。

「名前、そんな所で何をしているんだ?」
「エ、エフラム様…!」
「また…父上の絵を見ていたのか」
「……はい…。ファード様のお陰で、今私はここに居られますから…」

二人で見上げる先代の王はやはり偉大で、暗いはずの廊下でもその存在は眩しく感じた。民や臣下に対して親切に接する姿や、力強い言葉、優しい笑顔が印象的だったと名前は気難しい顔をする肖像画の王の表情を見つめた。
この偉大な王の後を継ぐのは決して簡単なことではないだろう。たとえその息子に人望があり、強い信念で皆を導いて戦って来たという功績があったとしても、先代の王とは違う時代が訪れるに違いない。そして過去を懐かしむ民がいることも当たり前のこと。

「エフラム様、私は…」
「いや、分かっている。父上が偉大なことは…。だからといって諦めたりはしない。俺はこの国を二度と失くしはしない」

名前が彼の顔を見上げると、肖像画へ視線を向けるエフラムの姿があり、彼女はそんな彼の肩に頬を寄せた。
偉大な王のお陰でルネスに居られたことは確かだったが、今のルネスが王国としてこの大陸に鎮座出来るのは紛れもなく現王エフラムの功績であった。

「ファード様が成し遂げられなかったことは、沢山あるでしょう。そしてエフラム様なら、それをきっと叶えられるはずです」
「名前……」
「ずっと、お側にいさせてください」

エフラムは名前の持っていた松明を廊下の明かりへと押しやり、驚く彼女を自室へと連れ込んだ。暖炉によって暖められた部屋の空気が冷えた二人の体を優しく包む。エフラムは扉を閉めながら、本来その言葉を言うべきは俺だったのだが、と笑みを漏らして名前の方へと向き直った。
彼女がエフラムを見上げると、部屋の明かりが差し込む瞳が、まるでガラス細工のようにきらりと光る。

「名前」
「はい、エフラム様…」
「愛している。この世界で誰よりも名前のことが好きだ。俺の妻に…そして、ルネスの王妃になってくれ」

エフラムの素直な言葉が名前の胸に突き刺さっては弾けた。感動の波に飲まれてうまく息ができない、と名前は俯いて大きな瞳に涙を溜めた。そんな彼女の様子を見て、こんな時まで女性の扱い方が分からないなどと言ってられないが、触れて良いのか迷っている自分がいる、とエフラムは彼女の肩に置こうとした手を宙で迷わせて小さく息を吐いて頭を掻いた。

「エフ、ラム様っ…!」
「名前…正直な気持ちを伝えたのだが、お前を困らせて…」
「ち、がいます…!私、嬉しくて…こんなにも、胸が痛くなるなんて、思わなくて…、」

そう言いながら涙を拭いて笑う名前をエフラムは迷うことなく優しく抱き締めた。頭一つ分ほど小さな彼女は腕の中に収められるほどの存在だが、彼の心の殆どを占めていた。武芸に秀でて勇王とまで呼ばれた父が成し遂げられなかったこと。命を投げ打ってルネスを守ろうとしたあの時はどれほど後悔しただろうか、とエフラムはルネスに残ると言った父の表情を思い出した。
自分がもし同じ立場になったらどうだろう。彼女を遠くの地へ追いやり、一人でこの城の王座に腰を落として敵を待つだろうか。いや、きっと違う。

「この国も、名前のことも、俺が守る。必ずだ」
「はい…。精一杯支えます…エフラム様…」

俺ならここで待つことはしない。敵が潜む場所に自ら武器を振りかざして向かっていくだろう。そして、全てを終えてから名前の待つルネス城に帰るんだ。エフラムは彼女を強く抱きしめて心に誓った。