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世界に平穏が訪れてからも名前は変わらずにルネスに留まり続けていた。木々が囁き小鳥が鳴く、優しい森が戻りつつあるこの国から離れるなど今更考えられるわけがない、と彼女は水を飲む小鳥を見守りつつ考えていた。
エフラムが王に即位してから、ルネスはフレリアを始めジャハナやロストンと協力することで徐々に復興が進んでいった。しかしそれと同時に、民のエフラムへの期待は募るばかりで、彼がゆっくり休む時間が無くなっていくのを彼女は感じていた。
「あの、エフラム…」
「なんだ?」
「たまには休んでくださいね…?」
「名前は俺がそんなにひ弱だと思っているのか?」
ち、違います!とぶんぶんと頭を振って否定する名前を見てエフラムはふっと息を吐いて笑った。幼馴染みの彼女の存在は彼にとって心休まる存在であり、苦しい状況でも彼女がいることで乗り越えられたことも多い。
どんな薄っぺらい言葉よりも、彼女が笑顔で隣にいてくれることの方がよっぽど大切だとエフラムは感じていた。
「お前はずっとそのままでいてくれ」
「え…?あの、それは…?」
「何も変わろうとしなくていい、という意味だ。ルネスが今後侵されないという保証はないが、軍師であるお前が力を持つ必要はない」
名前が隠れて鍛錬をしていることをエフラムは知っていた。一度陥落したルネスを建て直したのはいいが、この平穏が永劫続くとも限らない、だからこそ自分も戦えるようにと周囲には話しているらしい。彼女が戦うなど考えられないとエフラムはそれを牽制した。
たとえ再び荒んだ時代になるとしても、彼女に武器を持たせるなど有り得ない。
「どうしてですか…?エイリークだって戦っていたのに、どうして私だけ…。そんなこと、出来ません!見ているだけなど…」
「お前に武器を持ってほしくない、それだけだ」
「エフラム…!」
ばたんと閉じられた扉。中にはルネスやフレリアの重鎮が集まっており、平和に向けた会議が予定されている。勿論名前はその扉を開くことなど許されず、一人その重い扉の外で項垂れていた。
すると彼女に近づく一人の足音がして顔を上げると、大丈夫?と声をかけてくれたのはこの国の王女であった。
「何かあったの?兄上は会議でしょう?」
「あ、いえ、何も……。何も、無いです…」
「名前…!私で良ければ話を聞くわ。ね?話してくれないかしら…」
エイリークをひらりと躱そうとしたが、彼に似た真っ直ぐな瞳から逃げられる訳もなく名前はその視線から逃れるように再び俯いた。エフラムやエイリークはその手で未来を切り開き、それが民衆に支持される元となっているのを名前は十分に知っていた。そんな2人の力になりたいと思っていたからこそ、非力な自分が悔しくて堪らなかった。軍師だからとて戦わない理由は何一つないはずだと信じて。
「エイリーク、私も戦いたいのです…。力を持てば私も、ルネスを守れます…」
「……名前。私も当時はそう思い、鍛錬に励んだわ。力が、どうしても必要だったから…」
それでも、とエイリークは言葉をつまらせた。名前は彼女もエフラムと同じことを言うのだろう、と逆説に繋がる言葉を予期して落胆した。もし剣が使えたら、魔法が使えたら、どんなに有能な軍師になれるだろうか。戦況を見極めつつ自分で道を切り開くことが出来れば、ルネスを守ることは難しくない。
エイリークは名前にかけるべき次の言葉を悩んでいた。それは彼女の存在自体がルネスの騎士や民にとって癒しであることも勿論だったのだが、兄から約束されたことがエイリークの心に引っ掛かっていた。
「名前、兄上を信じてほしいの」
「それは……どういう意味ですか?」
「私の口からは言えないけれど…。兄上は貴女のことを想っているわ。だから…お願い、待っていて」
エイリークに不思議な念押しをされて名前は戸惑い、そのまま彼女と別れると再び気落ちしている自分がいることに気が付いた。自分がルネスにとって必要とされていないのではないか、いつか出て行けと他国に売られるのではないかと、そんなことまで考え始めて名前は会議室に背を向けて中庭へと足を伸ばした。
色とりどりの花の芳醇な香りが名前の鼻腔を擽ったが、今の彼女には何の意味ももたらしてはくれなかった。それどころか1人でこの美しい庭園にいることが余計虚しく感じられ、名前は椅子に腰掛けてぼうっと地面を見つめていた。
すると徐々に近づいてくる足音が耳に入るのを感じた。
「……っ、はぁ…、名前…っ!」
「…?エフラム……?どうし…」
「好きだ……名前!俺はお前が好きだ。だから、お前を戦場に出したくはない。俺がお前を守る。お前のことも、国のことも、全て……!」
急いでやってきたのだろう、エフラムは激しく呼吸をしながら名前へと愛の言葉を紡いだ。一方の名前は会議中のはずの彼が何故ここにいるのか、何を言っているのか理解出来ず、混乱した頭でエフラムをただ見つめていたのだが、ふうっと息を吐いてこちらに歩み寄る彼から目を離せなくなっていた。
「愛している、名前」
「エフ…ラム…」
「お前に力を求めないのは、俺がお前を守りたいから……俺の側にいて欲しいからだ。ずっと言えずに、不安にさせて…すまなかった」
エフラムは名前の前まで来ると膝を着いてすっと手を髪の間に差し込んで彼女の髪を撫でた。そしてその瞬間、美しく咲いた花を彼女の髪に取り付けたのだが、彼は想像以上の美しさに言葉を失った。
まるで花から生まれた妖精のようだと。
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