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窓の外はいつもと同じ景色が広がっている。主のいない家は役目を終えたかのようにシンと静まり返っており、名前はその中で荷物整理を行っていた。時折遠くで物音が聞こえるのは、親戚たちが何かを漁っているものだろうと思いながら、数少ない写真や思い出をカバンに詰めていた。
扉を叩く音がして振り返ると、アッシュが顔を出しており名前は部屋に入るように促した。
「名前、これ、ヒューベルトさんの部屋で…」
「私宛の…手紙?」
「うん、本棚の隙間に入ってたんだ。見つからないようにしていたのかも」
「兄さんが…。アッシュ、ここで読んでもいい?」
もちろん、と応える彼から手紙を受け取った。宛名も紛れもなく兄の字で書かれており、封筒は丁寧に封蝋で止めてある。開封された形跡はなく兄が残したものであることに間違いはなさそうだったが、名前はまさか自分宛に兄が手紙を書くとは到底思えず、恐る恐るその封を開けた。
彼女の動揺が伝わるように、アッシュもその手元を緊張した面持ちで見つめていた。
親愛なる妹 名前=フォン=ベストラ、そう書き始まった手紙は2枚に渡っていた。その内容は要約するとベストラ家の隠し財産、つまりヒューベルトが父から隠していた資金の在り処が書かれていた。何故こんなことをしていたのかは綴られてはいなかったが、おおよそベストラ家の相続を名前自身が放棄するであろうという予測によるものだろう、と彼女は考えた。相続を放棄すれば当然ベストラ家の財産は他の親戚に渡ることになるが、それを十分に考慮した上で名前が家を継がないことに確信を持っていたのだ。兄らしくさっぱりした内容だ、と名前が手紙を読み進めていると、最後に綴られていた名前に驚いた。
「アッシュ…!これ、これを見て…!」
「何?どうかしたの?」
「此処を…!」
アッシュが名前に言われた通り彼女の指さす手紙に目を向けると、そこには自分の名前とともに一言ヒューベルトからの言伝が書かれていた。
アッシュ=ディラン殿、我が親愛なる妹と貴殿に多幸あらんことを。
2人は目を見合わせて再度手紙を読み直したが、そこには紛れもなく彼の名前が書かれていた。
「驚いたな…ヒューベルトさんにこんなことを言われるなんて…」
「私もよ。まさかあの人がこんな言葉を残すなんて」
「名前のことを大切に思っていたんだね」
「周りから見ると冷徹な人だったかもしれないけれど、あの人は一度たりとも私を特別扱いなどしなかったの」
たとえ紋章を持っているとしても、兄は名前をただ一人のベストラ家の人間としてしか扱わなかった。出来ないことは注意されたし、周囲には許されていた我儘を矯正してくれたのも兄だった、と名前が切なそうに微笑むのでアッシュは眉尻を下げて彼女の手に触れた。
道を分かつことになってからこの手紙を書いたのか、それともディミトリへ手紙を用意したのと時を同じくして書かれたものなのか、今となっては分からない。ただ明確なのは、ヒューベルトが彼女のことを大切に思っていたということ。
「僕は名前に沢山迷惑をかけるだろうし、君も王国で居心地悪く感じることも多いと思う。それでも、僕と一緒に来てくれるかな?」
「何よ、今更…。あの時貴方の手を取ってから、私の覚悟は決まっていたわ」
「それじゃ僕の格好がつかないじゃないか…」
「ふふ、いいじゃない。今日のところは兄さんに免じて許して」
そう言って2人は部屋を出て隠し資産の在り処である書庫へと向かった。何の変哲もない書庫裏には隠し部屋があり、ヒューベルトは一度だけ名前へその部屋の開け方を教えたが、彼女も足を踏み入れるのは初めてだった。父がいない隙を狙って時折出入りしているのは知っていたが、そこで何を行っているかは聞いたこともなかったし、聞ける雰囲気でもなかった。それがこんな形で開けることになるとは、と名前は決まった場所に設置された仕掛けである本を動かした。
「うわ、すごい…!動いてる…」
「こんな手の込んだ仕掛けを家に作るなんて兄さんらしいでしょ?この後はこの本を此処へ入れ込んで…」
「名前も手順をよく覚えてるね」
「理由がなければこんな部屋は作らないし、私に教えたりしないはずだもの。二度と教えてくれない気がしたというのもあるわね」
名前が扉を押して松明を灯すと、隠された薄暗い部屋はその姿を現した。一見何の変哲もない普通の部屋だが、何かが隠されているのであろうと名前はアッシュを手招きして入口の扉を閉じた。すると奥で仕掛けが動いている音がして本棚が元に戻っている様子を2人は想像した。無機質な部屋に机と椅子が置いてあるだけのようだったが、 その机は机ではなく大きな荷物で、被せられた布を剥ぎ取るとそこには積み上げられた金と帳簿、そして密かにヒューベルトが集めていたのであろう様々な事件の資料が重ねられていた。
「真実を明らかしてくれ、ということなのかな…」
「そうでしょうね。フレスベルグ家に起きた悲劇についても書かれているようだから…。こんな危険なものをこの家に置いているなんて思わなかった」
「名前はダスカーの悲劇についても知っていたの?」
「ええ…大筋は、ね。でも、知っていたとて私にはどうすることも出来なかった。父が政変に関わっていたからこそ、兄さんもその事実を陛下に対して引け目に感じていただろうから…。それに、兄さんの手前私が言えることでもなかった」
「そうだね……僕が君の立場でも、きっと言えなかったと思う」
ありがとう、と名前は力無さげにアッシュに微笑み返してフレスベルグ家について、と書かれた資料を元に戻した。この金塊を使うのはまたの機会にしようと言って再びその塊に布をかけて部屋を出た。
親戚たちは当主の部屋をせっせと漁っているようで、こちらの様子には気づいておらず、名前は荷物を持ってアッシュと共に彼らに挨拶して家を出ることにした。部屋は平気なのかと彼に問われたが、今まで一度も知られたことも無いし、当主が知らない部屋の可能性を他の者が察知するとも思えない、と名前はさっぱりとした表情で言った。
「また来たらいいのよ、落ち着いた頃に。この家が無くなるわけじゃない」
「え、でも…」
「大丈夫、ベストラ家の領地は全てフェルディナントに任せてあるから。此度の活躍ならエーギル家の再びの繁栄も決して夢物語ではなくなる。必要ならあの資金を渡せば良いだけよ」
「名前……」
「もちろん、私たちに必要ならそれはそれで使えば良いわ。兄さんが私のために残してくれたものだもの」
アッシュは領地をエーギル家に任せることを然もありなんと言い放つ名前に驚いたが、彼女がその先を見据えてフェルディナントに依頼したことに納得せざるを得なかった。無論、リンハルトがヘヴリング家を正当に継ぐとは思い難く、カスパルには兄がおり、ベルナデッタに任せるのは不安が残る。消去法でフェルディナントが浮上するのは理解出来たが、エーギル伯の失脚によって家の地位が危ぶまれているのも事実だ。
だが、名前はそんな心配など全く意に介さない表情をしていたので、アッシュはこれ以上深読みすることをやめた。
「次此処へ来る時は…きっと誰かが困った時ね」
「それを言われると、なるべく避けたい気がしてくるよ…」
「そうでしょう?」
「えぇ、わざと?」
「もちろん」
ふふ、と笑う名前に敵わないなとアッシュは肩を竦めた。彼女の兄が残した資金、そして家は、2人の背中を押すように凛とそびえ立っていた。
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