マケドニア王の部屋に向かう途中に具合が悪くなり、名前は壁に手を付いてその場に座り込んだ。立っていられないほど酷い目眩で吐き気がする、と目を瞑り浅い呼吸を繰り返していると、光が遮られるのがわかった。誰かが見下ろしているのだろうが、それに構っていられるほどの余裕はなく、変わらず名前は気分を落ち着かせていた。

「どうした、どこか悪いのか」
「…ミシェイル、様……」

顔を上げるとそこには主君の姿があり名前はすぐに立ち上がろうとしたが、ミシェイル本人がそれを制した。他の臣下がこのような状態であってもきっと声を掛けることすらしなかっただろうと思いつつ、顔が真っ青だと彼は彼女の膝裏に腕を伸ばして軽々と抱き上げた。

「大人しくしろ。悪化したらどうする」
「……は、はい…」

されるがままだ、と名前はしゅんと逞しい腕に体を預けた。どちらにしても具合が悪すぎて抵抗することも出来ない、とくらくらする頭で息を吸うとミシェイルの匂いが鼻腔を擽り、名前の顔に熱が集まり余計に頭痛が酷くなる。
うっと顔を顰めると、ミシェイルが彼女の顔を覗き込む。いつもの険しい表情から一変して眉が少し下がり心配そうに見つめる主君の表情に、名前は情けなくなり項垂れた。

暫く休んでいろと言われて降ろされた寝台で柔らかいキルトに包まれると、再び彼女を襲うミシェイルの匂い。しかしそれは頭痛を助長するものではなく、むしろ眠りへと誘うもので、名前が目を閉じるとすぐに夢の世界へと落ちていった。

「名前…」

ミシェイルは彼女の傍らに腰掛けると、汗ばんだ額にかかる前髪を流してやった。そのまま額に手を当てると、やはり熱い。こんなにも熱にうなされるまで気が付かなかったのか、と仕事に追われる名前の様子を思い浮かべた。

「俺のせいだな…すまない、名前」

苦しそうに息をする名前の唇を指でなぞり、そのまま自身の唇を合わせると彼女の熱い息がミシェイルの口内に入り込んだ。
名前の苦しみであればいくらでも貰ってやる、と彼は眉間に皺のよる彼女の眉間に優しく口付けてその場を後にしようとした。

「ミ…シェイル、さま……」

不意に呼ばれた名に彼が振り向くと名前は先ほどよりも穏やかな表情で眠っており、ミシェイルは安心して部屋を出た。

名前が体調を崩したと分かったマケドニア兵達はさぞかし王の機嫌が悪いだろうと必死に仕事を片付けていたが、現れた王の様子はいつもと変わらない――どころか、少しばかり表情が柔らかくも見える、と恐る恐る小隊の兵士が近況の報告をすると、厳しい言葉を一つも掛けられることなく、さらりと次の報告へと移された。
拍子抜けとはまさにこのことだ、と彼らは何事も無かった報告会を不気味に感じながら持ち場へと戻っていった。

一方ミシェイルは名前のことを気にかけつつその日を過ごしていた。自室には飲み水や薬、食料も置いてきたため、起きたとしても困ることはあるまい、と彼は部屋に戻ることなく職務をこなし、太陽は沈みかけた頃に部屋へ戻ると、夕陽に照らされながら眠る名前の様子が視界に入った。

「名前」
「……ミシェイル、様…?」
「起きていたのか。熱は下がったようだ。気分はどうだ」
「すみません、私…ミシェイル様のお部屋で…」

起き上がろうとする名前を制止してそんなことはどうでもいい、と言葉を両断すると、気分は大分良くなりましたと彼女は大人しく微笑んだ。ミシェイルが寝台の端に腰を下ろすとそれは少しだけ軋んだ音を立てた。
マケドニア王の寝台は大きく、小柄な名前が伸びをしても足や腕がはみ出すことはない。その寝台で彼の匂いに包まれていると、まるで腕に抱かれているようだ、と名前は改めて感じて赤面してキルトを目元まで引っ張った。

「どうした?」
「いえ、なんでもありません…」

では顔を見せろとミシェイルが布切れを剥ごうとすると、名前は嫌ですと抵抗する素振りを見せた。
夕陽は既にほとんど沈みつつあり、ここで明かりを灯されてしまえば赤くなった頬が見られてしまう、と名前がキルトを死守していると、諦めたミシェイルが立ち上がろうとする。
まずい、と名前が彼の腕を掴むとミシェイルは不思議そうな表情で彼女を見つめた。

「まさか、俺を誘っているのか」
「そ、そんなつもりでは…」
「無意識で俺の腕を掴んだとでも言うつもりか?お前がその気なら構わんが」

きらりといたずらに輝く瞳。もはや敵うはずもなく、名前は寝台に滑り込んでくるミシェイルを受け入れた。彼のひんやりとした手を両手で包んでいると、開いた手で顔を上げさせられ、開いていた口にそのまま深い口付けが贈られた。