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※英雄戦争後(新・紋章)
王権を取り戻したマケドニアは毎日慌ただしく、休む暇など無いほど忙殺されていた。マケドニア王ミシェイルは勿論のこと、彼に付き従い自国へと舞い戻った名前も同じように周辺諸国や諸侯、民からの文書の処理に追われていた。
一息付くと同時に扉は叩かれ、次の用件を伝えに兵士たちが現れては書類を置いていくものだから、名前は苦笑してそれらを手に取ると、見慣れた国から送られた郵便物が名前が目に入った。
「オレルアン…王国…?」
オレルアン王国は前王がマルスへと王位を譲渡して王国として消滅したはずだ。なぜ今この名前が、と差出人を見て彼女は笑みを漏らした。
ウルフはハーディンに忠誠を誓い続ける純粋な騎士で、純粋な草原の民であった。我が王ミシェイルとは親交すら少なかったが敵視するような関係ではなく、マケドニアとオレルアンは昔から反アカネイアという思想は共通していた。
「このお手紙、ミシェイル様宛ね」
にしてもハーディンの片腕的な存在であった狼騎士団の元隊長のウルフが何故手紙を寄越したのか理解は出来ず、名前は手紙だけを手にして自室を後にした。彼女に自室が与えられたのはミシェイルの計らいであった。一時期アカネイア連合王国に統合されたマケドニアに付いてくる兵士は少なく、その中でもマケドニア側に残り王家の兄妹に仕え続けた者はその忠誠を認められてそれぞれに地位を与えられたのだ。
名前がミシェイルの自室の扉を叩くと、中から返事がして彼女は重い扉を開けて中へと体を滑り込ませた。
「名前、どうした」
「ミシェイル様宛のお手紙が紛れておりましたので、お持ちしました」
「そうか」
そう言って書類に目を落としながら持ってこいと言わんばかりの手の動きを見せるミシェイルに笑みを見せつつ、名前は彼の側に寄った。
するとすぐに手の中にあった手紙だけを抜き取られ、それはそのまま机に置かれて彼女はミシェイルに引き寄せられた。
「ミシェイル様…!」
「顔を良く見せろ」
「…お疲れですね」
「同じ場所に居るのに、こんなにも顔を合わせないとは思ってもいなかった」
頬を撫でられ擽ったくて身をよじろうにも体はがっちりと彼に抱き留められていて適わず、すりすりと頬を寄せてくる子どものような彼に名前は笑って長い髪に指を滑らせた。
実父の命を奪って王に君臨し、冷酷非情と言われる長男の彼が甘えられるのは名前だけであり、それは妹たちにも見せない姿であった。
彼女の細い体を抱きしめてその胸に頬を寄せる。そんな彼を名前は思いきり抱きしめ、ミシェイルからの愛情を受け取った。
「ふふ…ミシェイル様、擽ったいです…」
「名前…」
「はい…?」
「愛してる…お前だけだ」
素直に甘えてくる時は疲れている証。机の上には主にアカネイア連合王国からの文書と、国内の諸侯からの信書が山のように積み上げられている。知らぬ振りは出来ないが、少しの間目を逸らしたとしても真面目な臣下に怒られることはないだろう。名前はミシェイルを少し離して寝台に向かうように話し掛けると、彼は頷いて彼女の体を抱えた。
「ミ、ミシェイル様…!」
「お前も共に来ることが条件だ」
「それでは、文書の確認が進みません…!」
「そんなものは後だ」
じたばたと暴れようともびくともしない力で抱えられ、名前は観念したように大人しく彼に身を委ねた。こんな風に毎日の業務に忙殺される日々すら幸せに思えるようになったのだ。もう戦いも起きはしないだろう。あの時には感じなかった幸福感に包まれ、彼女は口角を上げた。
「何を笑っている」
「いえ…幸せだと思ったのです」
「今が、か?」
「はい。戦争に怯えなくて良い日々が続くことは、ミシェイル様にとっても幸せではないでしょうか?あの手紙が、何よりもの証拠です」
机に無造作に置かれた手紙を指さすと、ミシェイルはそれに視線を送って目元を緩めた。旧友と言うには親交がなく、しかし他人と言うほど親しくなかった訳でもない、微妙な距離感の人物からの手紙。
それが何の障害もなく届くようになるのは、マケドニアに平和が訪れた何よりもの証拠であった。
「そう、かもしれんな」
「はい…」
「名前」
名を呼ばれて視線を戻すと、そこには真剣な眼差しで名前を見つめるミシェイルの姿があった。昔のようだ、と彼女は咄嗟にあの時のことを思い出した。マケドニアが潰え、ミシェイルが命を落とすつもりで戦っていたあの時。その覚悟を話された時と同じだ、と。だがあの時と違うのは、彼の目の奥に希望が見えていること。
「この国は、また強くなる。再び戦火に焼かれることもあるかもしれん。それでも、お前は」
「ついて行きます。前にもミシェイル様に捧げた誓いの言葉は、生涯変わることはありません」
「すまん、苦労をかける」
珍しく謝罪の言葉を口にする王の背中に手を回し、名前は彼の背を優しく撫でた。何度戦火がマケドニアを襲おうとも、命が尽きるまで彼と共にいるという決意は変わることは無い。
だって、こんなにも貴方を愛しているのだから。返事の代わりに強く抱き締められ、その息苦しさに名前は笑みを浮かべた。
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