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ガルグ=マク修道院の星のテラスから見渡す景色は平和そのものに見えるのに、近くには帝国軍が迫っている。不思議だ、と名前は眼下に広がる景色を見つめていた。帝国と袂を分かってからというものの、様々なことに目を向けられるようになった。王国、同盟、そして他の諸国。様々な人々がこの世界には生きていると言うのに、どうしていがみ合い憎しみあってしまうのだろう。どうして手を取り合って生きていけないのだろう。土地の裕福さや国力の差は勿論あるだろう、だがそれだけでは無い根本的な問題がどこかにあるはずだ、と名前は息を吐いた。
「何処にいるかと思えば…こんな所で何してるんだ?面白いものでも見えるのか?」
「そうね、此処からはこの世界が見えるわ」
「ははっ、そりゃそうだろうな。その言い草、何か気づいたんじゃないのか?」
「残念ながら貴方が期待することは何もないわ。私はそれほど策士ではないもの」
そうかそうか、とクロードは笑って名前の隣へと移動した。行き交う人々の活気も、鍛錬する声も、いつもと何ら変わりない。すぐ近くで戦争が起こる可能性があることを彼らも分かっていて今の生活を続けていることが不思議で仕方がなかった。家が攻められると分かっていて何も出来なかった過去を思い出して、名前は薄目を開けて人々の様子を見ているとその頭にぽすんと手が置かれた。
誰のものかを確認する必要などない。何事かと思いながら目線だけを動かしたが彼の表情までは見えなかった。
「お前が俺の野望を何処まで察してるかは分からないが…俺も同じ気持ちだ」
「それは、期待していいということ?」
「さあな。それはお前次第だろ?俺に一票を投じるか、投じないかだ」
「何よそれ、クロードはいつも秘密主義で自分勝手ね」
名前が彼の手をそのままに顔を上げようとすると、その頭を引き寄せられて表情を見るのは叶わなかった。逞しい腕に抱かれて名前は驚きながらもクロードに身を任せた。彼の野望の目指す先がどんな世界なのか見てみたい気持ちは強く、様々な人種の人間が行き交う街の姿を目を瞑って想像した。
優しい世界になるだろうか。傷つけ合う世界から抜け出すことは出来るのだろうか。
「俺は止まらない。名前はどうだ?」
「貴方が止まらないのなら、私も立ち止まってなどいられないわ」
「そう思ってくれるなら何よりだな」
「だって明るい未来なんでしょう?貴方の野望は」
買い被りすぎだ、とクロードは言ったが満更でもない雰囲気を醸し出している。恐らくそれは茨の道だろう。理解されず、受け入れられず、苦労するのは目に見えている。フォドラとパルミラの血を引く彼だからこそ、こんなにも世界が広く見えているのだ。フォドラの帝国生まれの自分がその隣にいて良いのだろうかと思うこともあったが、クロードは悩む名前を問題なんてある訳がないと一蹴したのだった。
「明るいかどうかはさておき、ひっくり返るだろうな、世界が」
「ふふ、楽しみね」
「楽しみ?こんな道無き道が、か?お前は本当に変わってるよなぁ…」
「変わってて結構。寧ろ変わり者じゃないと貴方には付いていけないんじゃない?」
くすくすと笑う名前にクロードは全く堪らないと言いながら軽くその額に口付けを落とした。エーデルガルトが正しいのかクロードが正しいのか、元より歩む道に正解などない。どちらに進んでも茨の道だったはずだ、と名前はエーデルガルトの時折見せる苦しげな表情を思い浮かべた。彼女も次期皇帝として大いに悩んでいたし、クロードも、ディミトリも然りだ。この士官学校で共に学んだ人物と戦う事になるのだ、自分がどの道を進むか悩まなかった人物など一人も居ないだろう。名前は抱き寄せられた頭をそのままに、クロードの背中に手を回した。
「ねえ、クロード。前に姉さんの話をしたでしょう?」
「ああ…最期まで抗い続けたお前の誇り、だったな」
「姉さんね、きっと義兄さんのことを愛していたの。だから信じたかったんだと思う。許すことなんて出来ないけれど、今ならそうかもしれないって」
「あんな酷いことをされても、か?」
名前は彼の背中に回した手できゅっと服を掴んだ。この世界にいない姉の心を調べる術はないが、あの献身ぶりを考えるとそうだったのかもしれないと思うだけだ。名前にとっては憎らしいだけの義兄だったが、姉にとってはそうでは無かったのかもしれない。
クロードはそんな彼女の心情を察知してか、横抱きしていた彼女の体を正面から抱き締めた。唯一の家族との悲しい別れを語らせたくはなかった。彼女の心の強さが姉の死によるものだとしても、だ。
「愛してる、名前」
「あら?それは何の言葉の代わり?」
「おいおい…勘弁してくれよ。名前にはお見通しってか?折角の告白が台無しだぜ」
「貴方がそんなことを突然言うなんて、悪い予感しかしないわ」
名前がやっと顔を上げるとクロードはその頬を片手で包んだ。彼女を失う訳にはいかないからこそ、この道を照らしてから導きたいと思っていた。元より名前はパルミラには縁がなく、連れていくのをクロードは悩んでいた。だが、別れを告げることは許さないと言わばかりの彼女の表情に、参ったなとクロードは頭を掻いた。
「私は最後まで一緒に行く。そう決めたの」
「全く困ったお嬢様だ…言うことなんか聞きやしない」
「貴方だってそうでしょう?」
「分かったよ、分かった。俺の負けだ」
その代わりどんなに弱音を吐いて帰りたいと言っても帰してやらないからな、とクロードは名前の唇に口付けを落とした。ガルグ=マクで迎える夜は、あと何回あるのだろうか。
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