必死に馬を走らせる。愛馬も彼の存在を理解し、名を告げただけで目的地へと向かってくれるようになった。だが今回は違う。何処にいるのか正確な情報の無いまま彼女は走っていた。ただ一つ信じるのは、自分の勘。闇雲と言われても否定は出来まい。理性的な彼女には珍しく、今すぐに彼に会わなければ後悔すると心が警鐘を鳴らしていた。

「ごめんなさい、長い距離を走らせましたね。少し休憩しましょうか」

名前が地上に降りて愛馬に話しかければ、ひと鳴きして彼女へ擦り寄り静かに湖の水を飲み始めた。辺りはすっかり暗くなり、西の空では今にも夕陽が沈もうとしている。一刻も早く進まなければ、暗闇の中では方角すら危うくなることは明確だ。名前は深呼吸して目を閉じた。
彼の居場所は何処か。察するに各地の抗争に駆り出されているに違いない。此処から一番近く、大規模な民衆の反乱が起きているのは、と名前が耳をすませば辛うじて剣と剣がぶつかるような音が聴こえるような気がする。

「さあ、行きましょう。目的地はもうすぐのはずです」

名前が愛馬を優しく叩くと、長い睫毛を瞬かせてその声に応えるように体を震わせ、主が乗るのを待っていた。その鬣を撫でると、ゆっくりとふたりは歩みを始めた。馬で走るのは慣れていたが、頬を突き刺すような寒さは彼女にも堪え、既に体力を消耗していたがここで止まるわけにはいかないと手綱を握り締めた。

戦争が終わりエトルリアは動き始めた。ミルディン王子が王として即位するまで、その留守はダグラスやパーシバルをはじめとした将軍達が守り、王国貴族たちに付け入る隙を与えなかった。爵位を望むのはベルンへと寝返った貴族だけではない。人の中に潜む闇を見透すように、名前もまた彼らを一切内部に引き込むことはしなかった。

アクレイアに戻った名前は、今まで携わってきた地方の街の復興はもちろん、内部の情勢にも関わってダグラスやパーシバルを影から支えていた。ミルディンの即位と共にダグラスが大将軍の座を退くことは既に周知の事実であり、それまでに体制を整える必要があるため事態は急を要していた。だからこそ、地方の抗争にもパーシバルが派遣され鎮静化を図ろうしているのだ。

戦いの音が段々と大きくなってくるのを感じる。あの時の感覚は気のせいでは無かったのだと名前は早る気持ちを抑えて慎重に近づいて行くと、背後で何かが動く音を察知した。太陽はすっかり陽を落とし、辺りは申し訳程度の月明かりに照らされた闇が広がっている。

いつだったか、暗闇の中を逃げ回る盗賊を捕らえたことがあった。パーシバルと二手に分かれて挟み撃ちにしたのだったが、名前の頭にはその時の情景が過った。暗闇で視線を交しただけで互いの意図することを汲み取り、行動に移すのは決して容易ではない。だが難なくこなしてしまうのは、それが2人だから、ということなのだろう。

「……」

暗闇の中での騎馬兵は不向きだ。馬がひと鳴きでも身動きでもすれば敵に勘づかれる。まさかこんな近くにまで迫っているとは、と名前は自分の浅はかな考えを猛省したが、もはや後戻りはできない。息を潜めて相手の出方を伺う以外に術はない。何かを察知してか愛馬も静かに主の号令を待っている。
張り詰めた空気の中、時折戦いの音が聞こえる。そして、敵将沈黙!という兵の声も併せて聞こえた。エトルリア兵の有能さに彼女は口角を上げたが、それよりも背後にいる者の存在が気になって仕方がなかった。
このままでは埒が明かない、と名前は声を上げることを決意する。

「…敵将は討ち取られました。貴方もここで……あら?」

ファイアーの魔法を唱えようとした瞬間、それの姿が浮かび上がって名前は暗唱を止めた。ガサガサと動く音の正体は思いもよらぬもので、彼女はその事実に口元を緩めた。
敵将が討ち取られたということは、パーシバルも此処へ間違いなく戻ってくる。探しに行く手間が省けましたね、と名前は愛馬から降りてその背を優しく撫でて所持していた松明に火を灯した。

「……名前…?」
「パーシバル!」
「何故お前がここに…」
「貴方に何かあったのではと嫌な予感がしたのです……。その直感でこの子を走らせてしまいました」

恥ずかしい話、ただ会いたかったのかもしれない。それを直接伝えるのは憚られるため、名前はそれ以上何も言わなかった。
アクレイアに戻ったとて2人が共に過ごせる時間は限られており、城内で会ったとしても私用の話はほとんどしない。それ故に信頼も厚いのだが、名前にしてみれば長らく離れていた彼と思いを交わしたのにも関わらず2人の時間が無いというのは少しばかり寂しさもあったのだ。
すると、パーシバルは彼女の持っていた松明を自然に奪い取ると、そのまま名前を軽く抱き締めた。

「パーシバル……?」
「もう少しだ…もう少しで、ミルディン様が戻られる。こうして私たちが離れる生活も……きっと、あの方の即位とともに終わる」
「……はい。私もそれを信じます」
「ああ、それまでの辛抱だ」

見つめ合う2人を照らす松明の灯がちらちらと揺れると、不穏な影がその火を吹き消した。何事かと2人が暗闇の中で周囲を見回すと、背中を小突く感覚。驚いて背後に腕を回すと暖かい毛並みを感じる。忘れていてごめんなさいと名前がその頭を撫でてやると、パーシバルが口を開いた。

「こいつが名前を連れてきたのか?」
「ええ。この子が此処で貴方のことを待っていてくれたお陰です」

暗闇の中で聞いた物音の主を2人が優しく撫でていると、遠くで騎士軍将を呼ぶ声がする。そろそろ帰路につく時間だと2人が愛馬に跨ると、2頭は並んで歩き始めた。