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波打ち際は不思議な力を持っているような気がすると誰かに伝えても、馬鹿げたことを言っていると思われるだけで、彼女の考えは何一つ語られはしなかった。だがやはり此処に来ると心が落ち着くのだ、と名前は砂浜に腰掛けて白波がやって来ては去っていくその様子を見つめていた。
時折砂に埋もれた貝殻がその頭角を現し、何度目か分からない波で沖へと流されてゆく。このまま自分のことも波に乗せて運んでくれたらいいのに、と名前は波打ち際に手を伸ばした。
「名前、何やってんだよ」
「あ、ヒュウ。どうしたの?」
「それは俺の台詞だって」
「ちょっと、ね…。全部終わったんだなあって思って。あんなに毎日忙しく皆と一緒に過ごしてたのに、もうばらばらになっちゃうんだね」
押し寄せる波に手を伸ばしたが引き潮は彼女を連れていってはくれず、ただ砂の感触だけが手のひらに残った。
戦いがいずれ終わることは初めから分かっていることで、初めから終わらせなければならないものだ。
なのに、どうしてこんなに寂しい気持ちになるんだと思う?と名前はヒュウに問いかけた。
彼は彼女の隣に腰を降ろすと、はぁっとため息をついて押し寄せる波を掴んだ。
「分からなくはないぜ、お前の言ってること。別に二度と会えねぇわけじゃないだろ?また会いに行けばいい」
「うん、そうなんだけどね。分かってても、簡単に会えないのって寂しいなって」
「誰のことだよ、それ」
彼女が仲を深めている人物がそう多いとは思えなかったヒュウは核心を突こうと質問を投げかけたのだが、予想外の質問に名前は驚いて彼の方へ振り向いた。
「えっ、別に、そんな…誰とかじゃなくて…!」
「ふーん。お前にそんなに仲良い奴、いたっけ?」
「な、何それ!」
にやりと笑うヒュウが悔しくて名前は波打ち際に寄せてきた白波を掴んで彼へと投げつけた。すると彼からもお返しと言わんばかりの海水をかけられ、結局2人とも気づけば水浸しになっていた。
波に攫われたいなんて馬鹿げたことを考えていたものだ、と名前はヒュウと笑い合いながら思った。でも、彼なら遠くの沖合まで助けに来てくれるかもしれないと一人ほくそ笑んでいると、ばしゃっと顔に海水がかかった。
「む!」
「ぼーっとしてんなよ!あー、俺はもう疲れたから休戦な」
「ヒュウばっかりずるい!」
「お、名前、見ろよ。此処こんなに月がでかく見えるんだな」
ふと気付けば太陽は対岸の向こうに沈みかけており辺りの空は橙色から藍色へと色調が変化しており、まん丸の月がその姿を煌めかせていた。
わぁ、と名前は彼に言われるままその美しい空を見上げた。
戦争中に空を見上げることはあったが、それは空から敵が降りてこないか見張るためで、このようにのんびりと太陽の沈む様や月の動きを見ている暇などなかった。
「こんなに、綺麗だったんだ…」
「もう戦争は終わったんだ。これからは毎日見れるぜ、この景色が」
「うん……そう、だね…」
綺麗な空をヒュウは誰と見るのだろう、と彼の方をちらりと窺うと、真剣な眼差しで月を見つめる彼の姿があった。その表情は戦争中の今までよりもずっと輝いて見え、名前の心はどきりと揺れた。
そしてその瞬間、そんな彼女の様子をヒュウの真っ直ぐな瞳が捉えた。
「あっ…」
「何、俺に見とれてた?」
「そ、そんなんじゃ……ない……けど…」
けど、ヒュウと会えるのも最後かもしれないからと名前は俯いた。足元に押し寄せる波が彼女の足を砂に埋めては流していく。もはや辺りには夜の帳が下りており、夜虫の鳴く声と波の音だけが響いていた。
「なんだよ、それ」
「だって…!そうでしょ?もう全部関係なくなってしまう。また次に戦争が起こった時、私たちは敵同士になるかも…」
「いい加減にしろ、名前!」
ヒュウが珍しく大声を出すので名前は驚いて顔を上げた。するとその瞬間、彼の長い腕がこちらに伸ばされて彼女の肩に触れた。
苦しそうな顔だ、と名前は彼の表情を読んだ。
「俺は、お前が好きだ。名前!」
「えっ…!?」
「だから、最後なんて言葉は死ぬ時まで取っとけよ」
額に柔らかい感触がした。それが彼からのキスだということにしばらく気付かず茫然としている名前に、ヒュウは居心地の悪そうな表情を浮かべた。
「なんで俺の方がこんな気持ちになってんだ…」
「あの…っ、ヒュウ…!あ…ありがとう…。私も……その…」
「あーもう!全部お前のせいだからな!」
がしがしと頭を掻くヒュウに、何がと名前が問を返す前に背中に彼の手が回っていた。密着する体が火照るのを感じ、名前はヒュウの肩に顔を埋めた。
波打ち際はやはり普段と違う空間を作ってくれるのだ、と彼女は実感した。きっとあの優しい音が互いに素直にさせてくれるのだと。
「これからは俺が側に居るから。だから泣くなよ、名前」
泣いてないよ、とか、私も好きだよ、とか、伝えたい事は山ほどあったがヒュウの優しさが苦しいほど嬉しくて名前はただ頷いた。そしてその行動を見て彼は背中に回す腕の力を強めた。
月夜の波打ち際で、2人。
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