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離ればなれになったとしても、この空の何処かで繋がってるからきっとまた会える、と彼は言った。なんの根拠もないと分かっていながら、当時はその熱い言葉に感動したのを覚えている。
じりじりと地を焼く太陽はすっかり息を潜め、今では黒雲が空を覆っていた。この重い空の向こうの何処かに彼がいると思うと、不思議と心が温かくなるのを彼女は感じた。
戦争が2人を引き合わせ、平和が2人の道を分かつことになった。皮肉な結末だ、それが辿る道なのだと人は言う。しかし彼女にとって彼以上に特別に思う異性が現れることはなく、貴族からの縁談も全て断り続けていた。
終戦後もベルンとエトルリアの間に刻まれた溝は埋まることがなく、そんな国同士の抗争は2人の間にも影を落としているのだ。そして彼女自身はその事実を見抜いたところで何も変わらないことを十分に理解していた。
どんなに美しく積み上げたとしても、一瞬の波で全てが崩れてしまう。2人の関係はまるで儚い砂の城のように繊細で脆弱なものであった。
ふと彼の名を口にすれば、出会った時や想いが通じあった時の感情がいとも簡単に蘇り名前の心はじんわりと熱くなる。彼の感触は、匂いは、消えることなく体や脳へと刻まれており、他人のものに上書きされることはなかった。
だが同じ砂の城は2度と作れないことを、彼女は理解しなければならなかった。叶わない願いを諦められないことがどんなに虚しいことか彼女は何度も理解しようと試み、彼女に理解させようとした人がいた。
それでも、彼女の中から彼の存在が消えることは無かった。
どろりと膨らんだ黒雲が大地に恵みの雨をもたらす。粒は次第に大きくなり、地面の色を変える。彼女はその様子をただ見つめていた。
ベルン王国は変わらず人々が行き交い賑わいを見せていたが、以前ほどの活気は感じられなかった。即位したゼフィール王は民衆からの支持が強いものの強いベルン王国を掲げて軍隊へ注力しており、国が潤っているかといえば決してそうは見えなかった。
“凶星は、ベルンの地よりくるだろう” “エレブの地は再び血にまみれることとなる”という大賢者の言葉を思い出し名前はふうっと息を吐き、ベルンの街に行き交う人々の姿を見つめた。
何も知らずに過ごしている人々の中に凶星となる人物がいるかもしれない、それでもベルンで生まれ育った彼らに罪はない。
空から落ちる雨粒のお陰でいつしか人通りは少なくなり、道を行き交う人も足早に建物の中に走っていく。名前は一人その道をゆっくりと歩いていた。
「君が来たから、雨が降ったんだな」
「……恵みの雨になれた?」
「そうだな。少なくとも、俺にとっては」
ばしゃばしゃと水溜りをものともせず走ってくる足音が近づき、それが名前の後ろで止まったかと思えば懐かしい声が彼女の鼓膜を揺らした。
忘れられなかった。どんなに忘れたいと願っても、彼の姿が、声が、表情が、脳裏にこびり付いて離れない。深緑の髪の人間を見つけるだけで心が跳ね上がる思いがしたものだ、と名前はゆっくりと後ろを振り向いた。
「ヒース」
「名前」
「会いたかった、貴方に」
「ああ、俺もだ」
雨音が周囲の音をかき消していく。強い雨のおかげで広い道に人影はほとんどなく、商店の扉もとざされている。まるで絶望の世界に2人が取り残されてしまったようだ、と名前はヒースの元へと歩みを進めた。彼の緑色の髪もぽたりと雫を垂らすほど水分を蓄えてしまっているが、彼女自身もそれは同じで、雨に濡れた手でその緑色に手を伸ばした。
「変わらない…」
「ああ…君も変わらないな、名前」
自分は亡霊を見ているのかもしれない、と2人は互いに思っていた。二度と会うこともないはずだったのに、2人に数年間の経過があったなどまるで感じられない。別れのあの時が昨日のように思える。ヒースは名前の金色の髪に手を伸ばし、雨で濡れるその髪をひと房手に取り、口付けた。
「ヒース、貴方にお願いがあって来たの」
「奇遇だな。俺も君に言わなければならないことがある」
雨は変わらず強さを弱めることなく地面を叩いており、人の気配もすっかり消えてしまった。向かい側にあった花屋の扉はぴったりと閉ざされ、閉店の看板が掲げられている。2人はそんな街の変化に気が付くことなく、1歩ずつ距離を縮めた。
「私と一緒に…生きてくれませんか?」
「俺と共に、ベルンで暮らしてほしい」
どんな凶星とて、2人の間を分かつことなど出来はしない。史実に残らない軍師と騎士の愛が、ようやく実を結んだ。
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