隣にあったはずの温もり、昨日見た笑顔は跡形もなく消えてしまった。見慣れた薄紫色の髪も、闇色のローブも見当たらない。

待って、行かないで、ラガルト…!

当たりを見回しても、走り回っても見つからない。あなたは一人で何処へ行ってしまったの?こうして私が慌てているのを見て、そろそろ顔を出してくれるのではという期待は悉く裏切られ、私は一人取り残されていた。
あなたが行くとしたら、誰にも見つからない場所?そこに私も連れて行って。



目が覚めてそれが夢だと分かったのは、彼の温もりを感じたからであった。随分と現実味があり悲しい夢だったと名前はまだ頬に残る涙を拭き取った。彼に先立たれるより、何も知らずに置いていかれる方が辛い、と名前は思った。

「ん…なんだ、悪い夢でも見たか?」
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
「泣いてんのか?」

むくりとこちらを向いたラガルトから逃げるように名前は体を壁へ向けようとしたが、それは彼の力に阻まれた。涙の跡は拭いたはずなのに赤い目がそれを物語っていたのだろうか、やっぱり泣いてるじゃねえかと彼は彼女の頬を包んだ。

「怖いやつに追いかけられでもしたか?ま、それは現実でもだけどな」
「それよりずっと、怖くて悲しい夢だったの。現実になったらと思うと、恐ろしくて仕方ない」

あの悲しみと寂しさを思い出すと胸が潰れそうになるほど苦しくなった。ラガルトがいなくなる現実はいつ訪れたとしても不思議ではなく、むしろその未来は明日にでも来るかもしれない。
名前は今の温もりを愛しく思い彼の胸に頬を寄せた。

「俺の胸で泣いてもいいぜ?」
「それは…いらない。でも、ラガルトの側にいさせて」
「どうしたってんだ、調子狂うな。死ぬ夢か?」
「私が死ぬなら構わない。死ぬよりも悲しい夢だったの」

ゆっくりと背中に回された腕のせいで、名前とラガルトはさらに密着した。彼が死んでしまう、それは容易に想像できた。今でも賞金首の彼を追いかける人は沢山いる。そんな人達から逃げて、明るい世界を避けて生きていくのは簡単なことではない。
それに死ぬ時は看取ってあげたい、と名前は思っていた。かつて愛した人を殺め、自分の正義を貫き、友人の命の最期を何度も見てきた彼だから、最期まで側にいたいと。

「そりゃ一体なんだ?」

問いを投げかけるラガルトに、名前は答えを返す気はなかった。その不安を語ったとして、それなら側にいろと言うような彼ではないし、いつか本当に一人で行方をくらましてしまいそうだ、と彼女は思ったからであった。

「大丈夫。今はラガルトが側にいてくれるから」
「あのな、名前。俺は……」

今“だけ”は、と名前は心の中で自分の言葉に付け加えたが、ラガルトはそんな彼女の心情を知ってか知らずか、彼女の背中に回す腕の力を強めた。

「俺は今更、お前を手放す気も、置いて行く気もねぇよ。俺も弱くなったもんだ。あいつのこと言えなくなっちまったぜ」

彼の言う“あいつ”が誰のことを示しているのかはすぐに察しがついた。彼が今でも緑色の少女と共にいるのか、一人でいるのかは分からない。同じ元黒い牙でもラガルトや名前にその情報が入ってくることは無かった。
そして名前は一番欲しかった答えをすんなりと口にされたことに口元を綻ばせて、きゅっと腕を回し直した。

「泣いてたと思ったらもう笑ってんのかよ」
「ふふ、あなたが嬉しいこと言ってくれたから…」
「何か特別なこと言ったか?」

この少し埃っぽい彼の匂いも、温かくて包み込んでくれる体も、全て失いたくないと名前は思った。一度こんなにも愛してしまったのなら、最早忘れることは叶わないのだ。たとえどんなに忘れたいと願ったとしても。