>
雨上がりの空、夕刻を告げる橙色の太陽が西に沈もうとしていた。どんなに世界が変わっても素知らぬ顔でやってくるのね、と彼女は太陽へ語りかけた。黒い牙には不穏な空気が漂っており、それは幹部でない名前にも伝わるほど強いものであった。
不安がる者を鼓舞しつつも彼女は要因を探ろうとしていた。兄弟とその周りであれば知っているはずだと嗅ぎ回るも、どうも彼らと接触出来ずにいることに気が付いた。
「名前、止めといた方がいいぜ」
「ラガルト…」
「何をこそこそやってんだ?ロイドはあんたの行動にいち早く気付いて先手を打ってるってのに」
やっぱりそうかと名前は肩を落とした。リーダス兄弟の兄、ロイド。黒い牙に所属する者からの信頼が最も厚く、彼女自身も彼の器の広さには関心することが多かった。住んでいた集落が山賊滅ぼされて行く宛のなかった名前を黒い牙に誘ったのも、他ならぬロイドであった。
「だって、こんなにも不安になる空気…。どうにかしたいと思うに決まってるよ」
「まあな。あんたの言いたい事も分かる。でもな、今回ばかりはあんたの手に負える簡単なもんじゃない。悪いが従ってくれよ」
そう言うとラガルトは薄紫色の長髪を靡かせて去っていった。そんな理不尽なことを突然言われて納得できるはずもなく、名前はロイドへ直に問うしかないと彼のいるであろう場所へと足を向けた。
たとえ手に負えなくとも、彼らの手助けがしたい。きっと自分にしか出来ないことがある、と。
「…かもしれない。俺はそれでも此処に残るつもりだ。ライナス、お前は付いてくるか?」
「兄貴、今更バカ言うなよ。当たり前だろ」
ふと耳に飛び込んできたのは兄弟の会話であった。名前は天幕に耳をそばだてるも、話の途中からでは全く意味が分からず更に落胆した。しかしこの向こうにロイドがいると思うともう一度決意を固めた。
避けられているのかと思うほど最近はロイドと顔を合わせることがなくなっていた。初めは偶然だと思っていたが、どうやら故意的に会わぬように仕組まれているようだと気が付いたのはついこの前のこと。
「きゃ!」
「おお!?名前かよ、びっくりさせんな…」
「あ…ライナス…ごめんなさい…」
「お前のことだから、兄貴に会いに来たんだろ?入れよ。中にいるぜ」
避けられていた今までを考えるとすんなりロイドの元へと通してもらえるとは思わず、彼女は驚いた顔でライナスを見上げた。すると彼は心配するな、と笑顔で名前の頭をがしがしと撫でた。
「ラ、ライナス…!髪がぐちゃぐちゃになるよ…!」
「おう、悪かったな!」
陽気に片手を上げて背中を向けた彼の様子を不審に感じつつ、名前は明かりの灯る天幕へと足を踏み入れた。案の定そこにはロイドがおり、特に驚く様子もなく彼女の瞳を見つめていた。
「あ、の…ロイド…」
「お前の言いたいことは分かっている。名前、心配させてすまなかった。だが、俺達はもう後戻りできない。何が正しくて、何が間違っているか分かっていても、それでも…」
「ロイド、私は……ずっと、黒い牙にいる」
「名前、今の黒い牙はもう…」
お前の知ってる黒い牙じゃない、というロイドの言葉の続きは紡がれること無く天幕の中にもやりと消えて彼の側へと落ちた。それは名前自身がそれを十分に理解した上で此処へ来たことに気付いたからであったのだが、不安げな表情を隠せない彼女にロイドは目尻を下げた。
黒い牙が変わったとしても、ロイドと名前の関係値が、今まで積み上げてきた信頼が、変わる訳では無い。
「死ぬかもしれないぞ」
「分かってる」
「後悔することになる」
「うん」
「それでも来るのか」
少しだけ間が空いて名前は頷いた。ロイドは彼女の真っ直ぐな瞳に目を合わせ、その視線から感じる強い意思を受け止めた。救えなかったことを悔やむのは自分の方だ、と名前へ投げかけた言葉がそのまま返ってくるのを感じた。
それでも立ち止まることは出来ない。黒い牙のために、父の遺志のために、散った友のために。ロイドがひと回り小さい名前の手を取り天幕を出ると、輝く月の光に照らされた水溜まりがきらりと光った。
>
→