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※ヒース長編の番外編要素あり
ルセア、と私が声を掛けると彼は微笑みを浮かべて振り向いた。彼はいつもそうなのだ。誰にでも笑顔で相対し、自分の意見を殺して人の話を聞いてくれる。悩みがある時、心に抱えている何かがある時、彼は決まってその人の力になっている。
では、そんなルセアを支える人は?
私が真っ先に思い浮かべたのは赤茶色の髪の傭兵。彼が最もルセアのそばにいて昔からルセアを知る人物であり、ルセアを守れる人に違いはない。桃色の髪のシスターは、ルセアを和ませてはくれるかもしれないが、支えになってはくれない。
「ルセア、少し話さない?」
「はい。私でよろしければ…」
「貴方がいいの。貴方でないと、意味が無いのよ」
「そう…ですか?」
自分を卑下してしまうのは彼の悪い癖だ、と私は彼の言葉を反芻して思う。他の皆も手隙になっている中でルセアに話し掛けているのだから、彼を選んでいることは状況的に見て分かるはずなのに。
あの時からよほど追い込まれていたのだ、と私は彼の過去を思って息を深く吐いた。
「名前さん?何かお悩みがあるのですか?」
ルセアの言葉で我に返ると、本隊の天幕から随分離れた場所までやってきていることに気が付いた。当たりは夕暮れが近いのか橙色に染まりつつある。私は適当な場所に腰掛け、ルセアを隣へ呼んだ。そして彼の方へと向き直り、ルセア、と名を口にした。
「はい、何でしょうか」
「無責任だと分かっていても、私は貴方を守りたい…。貴方の感じた苦しみを、悲しみを、貴方だけに背負わせたくない。私にも手伝わせてほしいの……」
「それは……」
少し間があってから、出来ません。と彼は微笑みながら返した。ルセアならそう言うだろうと予想していた私はさほど驚くことなくその言葉を受け止めた。
「私の過去のことは…最早どうすることも出来ません。ですが、嬉しいです…。名前さんが、そう言ってくださって…」
私は微笑むルセアの手を取った。苦しい時に誰にも頼れず、辛い時に寄りかかることも出来ず、彼はいつでも一人でその傷を抱えてきたのだ。この手が人々を癒すのも、魔道書を手にするのも、彼自身が決めたことだけれど。
それでも私は彼の苦しみを思うとやりきれない気持ちになった。孤児とはいえ両親の温かみを知っているルセアは、一人になった時にどんなに悲しく寂しかったか。それを打ち明ける人がおらず、どんなに心細かったか。
「あの…名前…さん?」
「ルセア…。貴方は、何をしている時が幸せ?どんなものが好き?」
「えっ……ど、どうなさったんですか?」
「どうもしないわ。ただ、貴方のことを知りたくて。いつも聞いてもらってばかりでしょう?」
聞き手に回ってばかりのルセアのことを私は何も知らない、と思った。遠い昔の、彼がまだ孤児院に居た時に一度会ったというだけで私は彼のことを知ったつもりでいたのだ。
ルセアはいつも他人の幸せや平穏を考えてくれた。人の心を穏やかにし、いつだって私のことを心配してくれる。そんな彼のことを密かに思う人は多いはずなのに、口に出す人は少ない。
それは何故か。ルセアがさらりと躱してしまうのを分かっているからだろう。
「それは……。私は、皆さんの話を聞いている方が楽しいですから……」
「ルセア、私は我慢しないでほしいの。貴方が一人で苦しむのも悲しむのも、もう見たくない。貴方がしたいことをしてほしいし、好きなものに囲まれていてほしい。だから、何でも言って?」
「名前さん……。私は貴女に再びお会い出来て、本当に幸せです。あの時、貴女に会えたから……」
一つ間を置いて、だから今、此処にいられるのです。とルセアは私へ微笑んだ。あの時、それは幼い頃に孤児院で会ったことを示しているのだろうが、私にはそうとは思えなかった。あんなに短い時間を重ねただけの浅い思い出が、彼の心に刻みつけられているなど考えられなかったのだ。
しかしそれを伝えても、彼は静かに首を横に振った。
「いいえ…。あの頃の私にとって、名前さんと過ごす時間は最も心休まるものでしたから……。名前さんのおかげです」
「ねえ、ルセア」
握ったままだった手を離し、私はルセアを抱きしめてその金色の髪を撫でた。彼は随分と驚いて慌てていたが、構わずそのままにしていると困ったような声で私の名を呼んだ。
私がこんな行動に出たのは、ルセアは何もしない、などという浅はかな考えでは勿論ない。彼は両親を失ったあの時からこのように抱擁されることは果たしてあったのだろうか。安心できる温もりに包まれてほしい、その一心だった。
「大丈夫よ、もう苦しまなくていいの……」
「名前さん……。ふふ、何だか温かくて擽ったいです…」
「少し安心してくれた?」
「はい、心が安らぎました……。しかし、恥ずかしかったですよ……とても…」
少し顔を赤らめながら笑うルセアの表情が、いつもの微笑みとは違って私は幸福感に満ち溢れた。慈悲深い微笑みも美しいが、やはり本心で見せてくれる笑顔の方がずっと素敵だ、私はそう思った。
誰よりもルセアが幸せになれる世界へ導いていこう。たとえどんな結末になっても、ルセアが笑っていられる世界に。
「そろそろ戻りましょうか、名前さん」
既に夕暮れを通り越して、陽は地平線の向こうへと沈みかけている。私はルセアの言葉で立ち上がり、彼へ手を伸ばすと、迷うことなくその手を取ってくれた。
立ち上がった後も2人で手を繋いで歩く道程は、行き道よりも少しだけ明るく見えた。
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