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※FEHアスク王国にて
ふわりと目の前へと落ちる薄桃色の花びらが、春の訪れを知らせる。鳥達は楽しそうに飛び回り、時折その枝を揺らしてみせる。名前はその様子を物憂げに見つめていた。春の到来は必ずしも喜ぶべきものではないと、彼女はぼんやりと空を見上げた。
いつかまた武器のぶつかる音がするのではないか。騎馬兵の足音が聞こえてくるのではないか。シャガール王の声がすぐ側で――
「名前」
「、っ!…エルトシャン…」
「何をそんなに驚いているんだ?」
「いえ、何でもないの。ただ少しびっくりして」
そう、シャガールなどもういない。この世界は、この国は、不思議な空間だ。アスク王国と皆は呼んでいる。ユグドラル大陸に存在しない竜族や獣族、様々な人種がこの国には沢山いる。エルトシャンとこの国を訪れた名前は、自分たちが生きてきた世界の狭さを実感した。
また花弁が、ふわりと風に乗って流れていく。
「桜、というそうだ。あの木は」
「素敵ね」
「ああ。だが、七日ほどで散ってしまうと聞いた」
誰に聞いたのだろう、アルフォンスだろうか、それとも博識の騎士達だろうか、と名前はこの国で出会った人物を思い浮かべた。
あの頃は花の名前など気にかける余裕もなかった。思えば、見えていなかったのかもしれない。花も、空も、美しい風景も何もかも、見る余裕が何も無かった。きっとあったのだろう。ノディオンにも。
「まるで貴方のようね」
「何がだ?」
「桜という木が。美しく散っていくというのが、貴方と一緒でしょう?」
「全く、お前という奴は…」
冗談だって言い合える。もうあの場所には戻れないけれど、戻れなくても良いかもしれない。名前はエルトシャンの優しい表情を見上げた。獅子王がこうして微笑んでくれる世界であるのならば、もはや何も望むことなどないのだと。
そんな名前へエルトシャンは手を伸ばし、その髪へと触れた。あの戦いに挑んでから、彼女に触れることなど二度と出来ないと思っていた。それが今、こうして隣で笑顔が見られる。出来すぎた夢を見ていると、今でも彼は思っていた。
「エルトシャン」
「何だ?」
「貴方は、ノディオンに戻りたい?」
どんな答えが返ってくるのだろうと名前はある程度想像していたが、どれも不明瞭で確信が持てなかった。アスク王国に来て彼がどんなことを感じているのか、彼女は知ろうとしていた。それが自身の望みと違っていても恐れることはない、と。
「戻りたい…か。もはや、俺があの地を治める資格はない。だが、許されるならば見に行きたい、と言ったところか。アグスティに生まれ育ったことに変わりはないからな」
「…そう……」
「なんだ?帰りたいと言ってほしかったか?」
「いいえ。そうではないけれど…」
煮え切らないな、とエルトシャンは名前の表情を覗き込んだ。彼女の目は伏せられ、長い睫毛が影を落としている。空はこんなにも晴れ渡っているというのに。
エルトシャンは桜の花びらを掴もうと空へと手を伸ばした。しかしそれはするりと彼の手をすり抜け、ひらひらと気ままに遠い空へと飛び立っていった。
「名前、俺はあの時の決断を決して後悔はしていない」
「それは……私もしていないわ」
「ああ。だからこそ此処に呼ばれたのかもしれないな。もはや俺たちはノディオンに戻ることはないが、それでも構わないと思っている」
「それほどアスク王国が気に入ったの?」
名前が顔を上げると、満足そうにエルトシャンは微笑んだ。問いに対しての答えはない。答えなどなくても最初から分かっているけれど、と名前は釣られて微笑んだ。
彼がノディオン以上に愛する地などない。だが、ここではシグルドやラケシス、キュアンにも再会することができた。2人だけではない。二度と会うことの無いと思っていた息子のアレスにも。そんな不思議な空間なアスク王国で感じることは人それぞれだろう。それでも、名前はエルトシャンの答えを確信していた。
「美しい花だ」
「ええ、本当に。ユグドラル大陸にも咲いていたのかしら。イザークであれば、咲いていてもおかしくないけれど」
「そうだな。もう少し、様々な場所を回っても良かったかもしれないな」
「……エルトシャン、」
彼は笑っていた。そうだ、いつだってこの人は前しか向いていない。名前はその横顔を見て、不安に感じた自分の心を押し留めた。そんな彼女の心情を見越してか、エルトシャンは彼女の方を抱き寄せた。
風が吹くと少し肌寒く感じる季節、それが桜が咲く季節なのだという。今は、まさにそうだった。
桜の花びらがふわりと舞い、2人を包む。名前は彼の温もりを感じながら目の前に現れた桜色の花びらにそっと触れた。
「俺は、お前となら何処へだって行ける。ここではない別の世界へ行くことになったとしても恐れはない」
「……私も同じ気持ちよ。だからこそ、あの時だって貴方と同じ道を選んだ」
「すまない、名前。お前の幸せを願ってやれなくて」
「ふふ、何かあったの?突然そんなこと言うなんて、貴方らしくないわ」
こちらは好きでこんな世界までついて来たというのに、と名前は笑った。ノディオンに迎え入れてくれたのも、今なお隣にいることを許してくれているのも、全て彼の計らいだ。これ以上に願うことがあるだろうか、と彼女は天を仰いだ。
青い空には雲が流れている。その速度は早く、あっという間に過ぎ去っていく。その様子はまるで私たちの人生を表しているようだ、と名前は感じた。
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