間違っていること、正しいこと。その区別は一体どこから分けられているのだろうか。歩みを進める足がゆっくりと止まった。空は澄み渡り、いわし雲が風に流れていた。
木立の中、私は立ち止まり木々の間から雲の流れてゆく様子を見守った。

時はこんなにも儚く過ぎていってしまう。私達が意識せずとも、徐々にではあるが確かに時は刻まれている。それを実感すると、この時が次の瞬間には過去になっているということを受け入れることが出来た。

「何をしているんだ、こんなところで」
「ジョルジュ…」
「空を見ていたのか?」
「…ええ、とても綺麗だったから…」

彼は私の見ていた空を見上げた。私もつられて空を見ると、いわし雲の大群はもう消えかかっていた。上空では速い風が吹いているようで、あっという間に最後の雲が去って行ってしまった。

「…ああやって、儚く消えて行くのかしら」
「何が言いたいんだ」
「怒らないで、ジョルジュ。これは変わりようのない事実なの」

不治の病を抱えることにもはや後悔はない。短いこの人生を受け入れることで、今まで見えなかったものが見えてきた。皆が笑っている日常が、空気が澄んで美しい朝が、こんなにも特別で素敵なものだったなんて。

「諦めるな」
「ジョルジュ…」
「俺は、お前と共に未来を生きていきたい」
「…え……?」

ふ、と思った瞬間に私はジョルジュに抱きしめられていた。
何故なんだろう。決して彼を好きになってはならないと心に誓ってから、彼を見る度に気持ちが高ぶっている自分がいた。
だがこのまま気持ちを伝えずに逝く時、きっと私は後悔するのだと思う。
やりたいことと、頭で考えていることが矛盾しているのは既知だ。それでも、私は心のどこかでジョルジュと過ごす未来を望んでいたのかもしれない。

「だめよ…ジョルジュ…私との未来なんて望んではいけないわ」
「名前…」
「いつ死ぬかも判らないんだから…未来なんて大層な言葉、私には似つかわしくない」

互いの顔が見えぬまま、私達は言葉を交わした。このまま時が止まってしまえばどんなに良いだろうか。私は在りもしない幻想を心に描きながら、彼の体温を感じた。
ジョルジュの姿を視界に入れる度に思った。きっと彼以上の人物は二度と私の前には現れないだろう、と。

「俺とて戦いの最中、命を落とすかもしれん」
「それは無いわ。だって…貴方のことは、私が精一杯守るもの」
「ならば名前のことは俺が守る。決して死なせない」

ゆっくりと体が離れて、私達の間に緩い風が通った。ジョルジュは強い眼差しで私の瞳を捕らえていた。
こんなにも想われて私は幸せだったが、それと同時に酷く胸が締め付けられた。
彼との未来、そんな些細な願いすらも神に届くこと無く、泡沫の夢の如く儚く消えてしまうのだろうか。

「貴方の好意は…私が受け取るには勿体な過ぎる」
「名前…!」
「ごめんなさい、もう行かないと」
「…逃げるな」

辛かった。想われて苦しいなんて、初めて感じる思いだった。いっそ逃げ出してしまえば、一生会わなければ楽だったのかもしれないが、もはや私はジョルジュと言う名の鷹に捕われてしまった兎でしかない。

「名前、愛してる」
「…ジョル…ジュ…」

逃げるように去ろうとした手を掴まれて引き戻された。一瞬だけ周りの風がぴたりと止んで、この世界には私と彼以外の人間が存在しないかのような錯覚に陥った。