>
アリティア王子マルスが率いる軍に加入してから暫くが経つが、やはりこの軍には馴染めないとエルレーンは周囲を見回した。夜の帳が今にも落ちそうな紫色の空が隊舎を包み、西の空には橙色の太陽が沈もうとしているようだった。はぁ、とエルレーンが息を吐くとそれは空気を真っ白に変え、気温が低いことを知らせる。それもそうだ、彼らは今ガトーのいる氷竜神殿へと向かっているのだから。
「エルレーン、ここに居たのね。夜はもっと冷えるから、中に入らないと…」
「俺はいい。お前は何しに来たんだ?」
「夕食時に貴方の姿が見えなかったから…。何かあった?」
何も無い、とエルレーンは首を横に振って彼女の言葉に答えた。ただ彼はウェンデルから言われた一言を思い出していたのだ。
“嫉妬や妬みが彼を破滅に導いた。エルレーン、わかるか”
それはウェンデルが彼を仲間に引き入れる時にした若かりし頃のガーネフの話の最後にエルレーンへ伝えられた台詞であった。下手をすれば自分がガーネフのようになっていたかもしれない、その過ちに気付かずにマリクを、ウェンデルを憎んでいたかもしれない、そして世界を―――
「エルレーン、大丈夫?」
名前から声をかけられて彼は我に返った。ハーディン皇帝を信じたいと言っていたオレルアン出身の彼女にこの話をしたら何と言うだろうか。弱気だと思われるだろうか、とエルレーンは自身の考えをふっと鼻で笑った。
「名前は前に言ったな。ハーディン皇帝は悪くないと。もし、俺がガーネフのようになったら、お前はどうする?」
「どうするって…。元のエルレーンを取り戻すだけだよ。当たり前でしょ」
「元の俺を、か」
「生まれにして悪人の人なんていないもの。そうなってしまうのには必ず理由がある」
名前は白銀の世界で氷竜神殿の方角を真っ直ぐ見つめて語る。彼女は自分よりずっと強い信念を持つ人間だ、とエルレーンは感じていた。オレルアンの人間と接することが無かったのもあるが、ハーディン皇帝の惨状を目の当たりにし、どんな野蛮な人種なのだろうと思っていた過去の自分が恥ずかしいと彼は名前の横顔を見つめた。
辺りにはいよいよ夜が訪れようとしており、先程まで彼らの周りにいた人々も各々の天幕へと戻ってしまい、この寒空の下に二人は取り残されていた。
「名前なら、出来るだろうな」
「えっ?」
「いや…何でもない。もうこの話は忘れてくれ」
「……何があったか分からないけど、エルレーンは悪人なんかじゃない。道を違えたら戻ればいいだけだよ。大丈夫、明けない夜はないもの…」
まるで自分に言い聞かせるように名前はぽつりぽつりと話していた。彼女が信じていたハーディン皇帝は、一体どんな人物だったのだろうか。もし師であるウェンデルがそうなってしまったら、自分は彼女のように真っ直ぐな道を進めるだろうか。エルレーンは考えたが、きっと昔の自分には出来ない、とすぐに結論を出した。
「明けない夜はない、か」
「世界がどんなに歪んでも必ず太陽は昇る。太陽の照らす道を歩けばいつかきっと正しい道に辿り着けるだろう。って、昔ね、ハーディン様に教えてもらったの」
「正しい道……」
「…今のハーディン様はきっと暗闇を歩いてて、太陽が見えてない。私たちの呼びかけも聞こえなくなって……」
ふと、俺の太陽は明日も昇るのだろうか、とエルレーンは考えた。ハーディンのように、ガーネフのように、暗闇から逃れられなくなって、孤独に取り残されてしまうのだろうか。だがそんな考えは彼女の言葉を思い出して払拭された。
大丈夫だと言う彼女の強い心が側にあれば、きっと太陽を見失うことはない。
「つまらんことを言ったな、名前」
「エルレーン、」
「何だ?」
「……ありがとう、私、貴方に会えて本当に良かった。自分の信じる道を真っ直ぐ進みたいと、改めて思えたから…」
名前の言葉にエルレーンは目を丸くした。ウェンデルに心が弱いと言われた自分が彼女に一体何を与えられたというのだろうか、と彼は暗い視界で名前の方を見つめたが、彼女は先程と変わらない瞳で遠くの地へ思いを馳せているようだった。
彼女の見つめる先に何があるのか、エルレーンは知りたかった。
「俺にも見せろ。名前の進む道を」
そして、その先へ、共に。
>
→