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緑色の髪が風に揺れるのを彼女はじっと見つめていた。彼にはシレジアの森も似合うが、海も似合うのだと波の音と青く広がる海を思い浮かべた。シレジアとは異なる海の匂いを感じながら名前は空を見上げた。風も人も街も、故郷とは違う。当たり前だがここはレンスターだ。
「どうかしたか?」
「…えっ?」
私のことを見ていただろう、とセティは振り返って彼女の方へと歩み寄る。名前はなんでもありません、と笑って首を振った。精霊たちがふわりと彼の周りに現れてこちらに微笑みかけるのを、彼女はドキリとしながら堅い笑顔で応えた。何でもないです、と言わんばかりに精霊へ必死に視線を向けていると、いつの間にか目の前まで来ていたセティの存在に驚きひっくり返りそうになった。
「きゃっ…!セ、セティ…様…!」
「その呼び方はもうよしてくれと言っただろう」
後ろへ反っていく名前の体を軽々と引き寄せたことに慌てふためく彼女を見て、セティは笑いながら体勢を整えた。セティ様、と呼び名を変えようとしないのは名前の癖だ、と分かってはいたがなかなか変えられないものらしい。母同士が友人だというのに、彼女は幼い頃から彼のことをセティ様と呼んでいた。父の存在が大きいことは彼も十分に理解していたが先程かけられた言葉が頭から離れない。妻も子もいないと決めたという、あの言葉が。
「セティ…様?」
「ああ…いや。何でもない」
精霊が二人の周りをくるりと回って離れていく。彼女がそれらを認識できるのは父の家系が理由であることを知ってはいたが、母からそれについて話されたことは無いし、聞くつもりもなかった。セティやレヴィンと違って直系でないことは彼女自身が察していたからだ。
セティの様子がいつもと違うことに気がついたのは精霊の様子が違ったせいもあった。先程レヴィンと話してからというものの、言葉数も少なく考え込んでいるように見える。
「お話出来ないことであれば構いません。ですが、私はセティ様のお力になりたいのです」
「お前は、シレジアの兵士ではない」
「はい。私は学者です。それでも、お話を聞くことは出来ます」
家を出てトラキアで学問を学んでいて巻き込まれた戦争。その最中に再会した故郷の王子。暫くの間シレジアに戻っていなかったが、名前にはついて行かないという選択肢はなかった。
学者になりたいと思ったのは幼い頃でセティと顔を合わせるよりもフュリーと話す方が多かったように思える、と彼女はセティを見つめながら思った。
「時々、名前が母上に似ていると思う時があるんだ」
「フュリー様には母共々随分とお世話になり、私の憧れでもありますから…」
「……お前は、父上がどんな気持ちでいると思う?」
「レヴィン様は…決して軽薄な方ではありません。きっとフュリー様もご存知かと…思います」
それでもあの方は帰ってこなかったんだとセティは唇を噛み締めた。後悔しているのだろう、と名前は感じた。母が最も愛している人と会わせられなかったことを、連れてこられなかったことを、救えなかったことを。
名前はフュリーが語るレヴィンとの話を思い出した。いつだって彼女は幸せそうにレヴィンとの思い出を語ってくれた。そして決まって寂しげにシレジアの遠い空を見つめるのだった。
「フュリー様は、今も見守ってくださっていると思います。セティ様のことも……レヴィン様のことも」
「…母上……」
「…っ!も、申し訳ございません。出すぎたことを…」
「いや、構わない。それに、私はお前のことを部下だと思ったことはないと言っているだろう」
敬語も気にするなとセティが笑うものだから、名前は目頭の奥が熱くなるのを感じて唇を噛み締めた。なんてずるい人だ、と。苦しいのは自分のはずなのに、この王子は何故笑いかけるのだろう。涙を押し留めてセティ様、と彼の名を呼ぶとシレジアの王子は優しく返事をしたが、彼女は何を言えば良いのか分からなくなり口を噤んだ。
「名前?」
「お辛い時は、私に頼ってください。頼りないことも沢山あるかと思いま…っ」
彼女の話を途中で遮ったのはセティの唇だった。彼の手はそっと名前の頬へと添えられており、その手に涙が吸い込まれていくのを感じて名前は目を閉じて彼に委ねた。
セティに想いを寄せていると感じたのはシレジアにいた時で、フュリーにもそれを見透かされていたこともあり彼女と話す機会が増えた。息子に好意を寄せる友人の娘をどう思っていたかは分からないが、彼女はいつでも名前を優しく迎えてくれたのだ。
「セティ、様…!」
「名前」
「…は、はい…っ」
「好きだ」
順番がおかしいです、と彼女がセティに詰め寄るもひらりと躱されて頭を撫でられる。セティ様と呼ぶのはいい加減に止してくれ、と彼は笑って名前の肩を抱いた。そんな二人の様子を精霊達は嬉しそうに飛び回り、2人の頭上では1つの星がきらりと瞬いた。
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