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※一部Echoesの内容も含みます。
夢主:神竜ナーガの一族
どれほど眠っていただろうか。目覚めると世界が変わっているような、そんな風の匂いを感じた。所謂地下迷宮と言われる場所に眠り続けていた彼女がおもむろに石座の上から動くと、それはグラグラと揺れて崩れ落ちた。もちろん彼女もそれと同時に床に転がり落ちたがさほど痛みはなく、ふと自分の体を確認すると、その体を守るように布のようなものが巻かれていることに気がついた。
光のない地下迷宮でそれが何か判別するのは困難を極めるはずだったが、竜の血を引く彼女には容易なことであった。
金色が編み込まれた、薄汚れた白いストール。振れてみると、端には見慣れた紋章の刺繍が施されている。
彼女はそれに見覚えがあった。
「コ……ラート……」
名前は数年ぶりに発する彼の名前は掠れ、ほとんど声にはならなかった。これが現実か、なんて思いながら体に巻き付けられたストールを破かないように起き上がった。
あれから何年が経ったのだろうか、白かったストールが今では灰色になってしまっている。それを丁寧に畳み、名前はぺたぺたと石座の瓦礫を避けて土埃の積もる階段を登った。
外は彼女の知らない匂いで溢れていた。
ナーガがもたらしたバレンシア大陸、そしてドーマを打ち破った新しいソフィア統一王国、名前の記憶はそこまでで止まっていた。
「……ここ、は、」
もはや自分がどこで眠っていたのかも思い出せない。ここが何処なのか、どのように人々が生きてきたのかも分からない。くるりと辺りを見回して耳を澄ませると、微かに紙を捲る音がある。誰かいるのだろう思いふらふらとそちらに足を進める。敵だとか味方だとか、今の名前には何の価値も無い。襲われたとしても何一つ問題などない、と彼女は急げと体を動かそうとする脳に言い訳をしながらゆっくりと歩みを進めた。
ぺらり
ここだ、と名前は感じて木々の茂みを掻き分けて開けたその場所へと足を踏み入れた。そこは泉のほとりで、その隅に一人の青年が腰掛けて書籍を読んでいた。
突然現れた人物に彼が顔を上げた。
紫色の瞳が名前を映すと、彼女はその瞳を見て懐かしさと同時に不安を覚え、咄嗟に踵を返して地下に戻ろうとした。
「ま…待ってくれ!君は一体…!」
会ってはいけない人に会ってしまった、と名前は瞬間的に感じた。後ろからは彼が追いかけてくる足音がする。走って逃げようにも、眠っていたので体力がなく歩いて行くことしか出来ず、すぐに捕まってしまった。
すっと背筋が冷えるような感覚がして、名前は腕を振りほどこうとしたがそれは許されなかった。
「安心して。君を襲ったりしないよ。何か食べた方がいい、僕と一緒に来てくれないか?」
名前は恐る恐る彼を見上げると、再び紫色の瞳に自分が映った。怯えるようなその表情がだんだんと歪み、竜の姿をしているように感じる。怖い、と名前は目を瞑った。
「僕の言葉、わかるかい?」
「……わ、かる」
「それなら良かった。向こうに僕らの仲間がいて、今食事の準備をしているはずなんだ。一緒にどうかな?」
薄目を開けた名前が見たのは、過去に出会った彼と似た優しい笑顔であった。髪の色こそ違うが、まるで彼のようだ、と赤橙の髪色の優しい王子を思い出して名前は抵抗していた力を緩めて彼に従った。
「ソフィア?聞いたことないな。クロムは?」
「俺もないな。詳細な場所でも分かれば調べられるんだろうが…」
連れてこられた天幕には先客がおり、青い髪の――クロムと呼ばれた――青年は、彼のことをルフレと呼んだ。
ルフレ、と名前はその名を脳内で反芻した。過去出会ってきた中で、これといって思い当たる人物はいない。なのに何故、ルフレと会った時にあんな気持ちになったのだろう、と彼女は視線を落として足元を見つめた。眠りすぎたのだろうか。だが竜族というものは長く生きる生き物だ。コンラートもそれをわかって彼女と共にいてくれた。
時たまいるのだ、そんな物好きの人間が。
「名前を聞いていなかったね。君は……」
「私は、名前」
「名前……」
「?何か……?」
「あ、いや…なんでもないよ」
その時のルフレの顔は何とも言えず驚いたような、動揺したような表情をしていたように思えた。同じ名前の人間など世界中探せばそれなりにいる。この大陸にいてもおかしくはない、と名前は自分の中に渦巻く不思議な不安感にそう理由をつけて心の奥へとしまった。
ルフレのおかげで、イーリス軍の皆とは打ち解けてある程度会話も出来るようになった。しばらく眠っていたせいで最初は会話もままならなかったが、段々と昔を思い出して名前は当時の懐かしさに目を細めた。
「名前、少しいいかな?」
「何?」
「…君は、ソフィアから来たって言ってたね。それは……これのことかな。気になったから調べてしまったんだ。気に障ったらごめん」
開かれた古い書物。それに描かれたバレンシア大陸と、バレンシア統一王国の文字、そしてアルム、セリカという名前。ああ、なんて懐かしいのだろう、名前は嬉しくなって思わずその文献に手を伸ばした。
ルフレは驚くことなく名前へ静かにそれを託し、彼女の発する言葉を待っていた。
「ごめんなさい。夢中になってしまって」
「この時代から…生きているんだね」
「……そうね。ソフィアの……バレンシアでの一時は、とても、きらきらした日々だった」
「僕で良ければ、その話…聞かせてくれないかな?」
ルフレの提案に、名前は首を横に振った。あれは自分だけが知る思い出なのだ。バレンシア統一王国。アルムとセリカが治めた素敵なあの国での出来事を彼女は薄ぼんやりと思い出して、咄嗟に手に取ってしまった本を閉じてルフレへと返した。
そして一言だけ彼に伝えた。貴方は当時の王子によく似ていると。ルフレは首を傾げ、僕は王子ではないよと笑った。
「そうね」
「僕は軍師だ。イーリス聖王国の、ね。そして、君も今はその一員だ」
「……イーリスの…」
「ああ。クロムなら必ずこの国を良い方向に導いてくれるはずだよ」
しなやかな中に凛とした雰囲気を纏う横顔が重なる。コンラートが生涯独身を貫いたのは自分のせいだ、と名前はルフレを見つめながら思った。そして同時に、決して人間に恋はしないと誓い視線を外した。遺される自分のことを気がかりにしたまま命を落としていった彼のことを思い出すと今でも胸が張り裂けそうになるのだ。
「名前はいつも僕を通して誰かを見ているよね」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ…」
「いや、いいんだ。僕の方こそ変なことを言ってごめん」
「……ルフレは、不思議な人ね。初めて会った時から、そう思った」
「そうかな?僕は普通な方だと思うんだけど…」
ルフレと過ごす時間がとても心地が良いことは名前も感じていたが、一方で時折感じる不穏な視線を暴くことは出来なかった。
強い風が2人の間をすり抜ける。雲は青空を駆け抜けるような速さで過ぎ去って行った。この時間が長く続いてほしいという願いが叶った試しはない。そんなことを願うこと自体が無駄なのだとナーガに諭されたことを思い出し名前は雲を目で追った。
「僕は、名前と会えてよかったよ」
「…………」
「少しでも君の心に何かを残せたら嬉しい」
「……ルフレ、私は……」
あなたに、何か残せるだろうか。そう言いかけて名前は口を噤んだ。 竜族が人間に残せるものなど、今更何も無いに等しい。人間達は自分たちで考え、行動し、こうして立派に国を作りあげてきた。もはや何も言う必要などないのだ。彼らの“絆”は名前にとって羨ましいものでもあり、最も遠い存在だった。次の言葉を待つルフレの視線を感じ、なんでもない、と彼女は弱々しく首を横に振った。
「君は秘密の多い人だろうけど、僕で良ければ話を聞くから、一人で抱え込まないでほしいんだ。隠し事があるのは構わない。でも、それが君を苦しめるのなら僕はその隠し事を暴きたいと思ってしまうよ」
「優しいのね、貴方は」
「それは、名前……君だから、だよ」
「……ルフレ。貴方も大切なことを、私に隠しているでしょう?」
貴方の瞳の奥にいる“何か”がこちらを向いた。分かつ運命だとしても、そんな運命を変えるのが“絆”なのだとルフレは言った。それを少しだけ信じてみよう、と名前は彼の中にいるもう一人の彼に言葉を投げかけた。
「私はナーガの一族。ギムレー、私は貴方を許すことは出来ない。たとえ、ルフレの中にいるとしても。ルフレ自身が貴方自身だとしても、私は貴方と戦わなくてはならない」
ごめんなさい、そう心の中で唱えた。
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