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当たり前に側にいたことを疑いもせずに愚かだったと今更気がついたところで、何かが変わるのだろうか。強い風の吹く外の景色を見ながら考えるのは、自分と共に戦いながら最後に別れた彼女のことであった。
未来は何も分からない戦いだった。透魔王国という第三の大国ではもはや白夜も暗夜も関係なかったが、それが終わってしまえば再び彼らは自らの国へと帰っていく。
彼女もまた、そうだった。
戦いが終わったら暗夜に帰るのかという問いに対して、彼女は最後まで答えなかった。そして彼に別れを告げることもなく去っていった。脳裏に焼き付くのは切なげに白夜の景色を見つめる瞳、身を呈して彼を守る小さい背中。
タクミは一つ長いため息を吐いた。守られてばかりで何の恩返しも出来なかったと改めて悔やんでも、彼女は遠い暗夜王国にいる。終戦後に関係が改善して行き来が出来るようになったとはいえ、相変わらずそう簡単に渡れるものではない。
「名前…君は今、何してるんだ?」
届かない思いは彼の中で渦を巻き、重く心にのしかかった。暗夜王国に戻った彼女は笑えているのだろうか。あんなに悲しい顔をしていないだろうか。尊敬する王女の元で、元気に過ごしているだろうか。
「僕は何をやってるんだ…」
「悩み事か、タクミ」
「兄さん…」
全く読み進んでいない書を見られまいと閉じ、彼は兄の元へと歩み寄った。白夜の王になった兄を彼は尊敬していた。以前とは違い兄の役に立ちたいという気持ちが強くなった彼は、こうして日々様々な知識を飲み込んでは白夜王国の発展へと尽力していた。
「随分と深い悩みのようだが、俺に話せることか?」
「それは……」
タクミは迷った。この思いを恋煩いなどと一蹴するような兄ではなかったが、改めて相談するとなると恥じらいが生まれる。しかしこのようなことを言えるのは兄以外にはいないという結論に至り、ぽつりぽつりと話し始めた。
あの戦いの中で出会った彼女に心惹かれていること。何も伝えられずに終わってしまったこと。暗夜王国の正式な場には一切姿を見せず会うことが叶わなかったこと。
「タクミ」
「ごめん、兄さん…。僕、本当に好きなんだ…名前のことが、本当に…」
「暗夜へ行くことを頼まれてくれ。俺の遣いとしてで構わない」
「兄さん…」
リョウマは真剣に自分の気持ちを吐露する弟を後押しした。相手の彼女がカミラ王女の部下だということは知っていたが、あの後から一度も会えずにいたことは初耳であった。ずっとその思いを隠して執政で自分を支えてくれた弟を、これ以上苦しめるわけにはいかない。
「俺はマークス王に渡すものがあるのだが、ヒノカがカミラ王女への贈り物があると言っていた。それを受け取って暗夜へ出向けば表向きは問題ないだろう」
「兄さん……僕は…」
「その気持ちを彼女へ届けてこい、タクミ」
兄に言われるがまま、彼は少ない護衛を引き連れて暗夜王国へ馬を走らせた。名前に会いたいという一つの心がタクミを動かし、彼女と共に歩んだ道を辿って彼女の元へと向かっていた。
太陽の光が反射して輝く海が美しい、夕陽が沈む様子が儚くて悲しい、そう言って白夜王国を映していた彼女の瞳を思い出しながら。
暗夜王国に着いてからはマークスとの簡単な会合を済ませ、レオンやエリーゼとの他愛もない会話を楽しんでいたが、本当に会いたい人に会えないもどかしさがあった。
公的な場所で会えないのならばと兄が与えてくれた絶好の機会を無駄にする訳にはいかない、と彼はカミラ王女を探した。
「確かこの辺りだったような……!!…なんだ?今の音は…」
彼が廊下を歩いていると背後でガシャン、と大きな音がしたので振り返ると、そこには廊下の端に置いてあったであろう大きな花瓶が割れていた。何事かと急いで近寄ると、そこには不思議と誰もいない。まさか、とタクミは辺りを見回して近くに僅かな隙間が空いた部屋があるのを見つける。
「……名前」
返事のない扉の向こうに誰かがいる、タクミは確信していた。そしてそれが彼の探していた名前であると。
ゆっくりと扉を開けると、暗い部屋に気配を感じた。そして鼻腔を擽る香りは間違いなく彼女のもので、タクミの手に力が篭った。
「僕は…ずっと後悔してた。暗夜に帰ることが君の幸せだと思って自分に言い訳をして今まで過ごしてきた」
タクミが語り出しても影は動く気配を見せなかったが、彼は深く息を吸ってそのまま言葉を続けた。
「でも、どんな公的な会合でも君に会えなくて、もうそんな下らない言い訳で逃げられなかった。あの時当たり前に側にいたことがどんなに幸せだったか思い知ったんだ」
「……っ…」
微かに聞こえた声は涙を堪えているようにも思えたが、彼はまだ彼女への思いを語るには不十分だと思った。心焦がれるまで煮詰められた気持ちは留まるところを知らない。
「名前、僕は君が好きだ。ずっと側にいたい。君の笑顔を守りたい」
「……どう、して……」
掠れた声は部屋の奥から聞こえてきた。彼ははやる気持ちを抑えつつ、一歩ずつその声の主の元へ近付いていった。
「あんなに…避けたのに……忘れて、ほしかったのに……」
「忘れられるわけがないよ」
暗闇の中で彼を見上げるきらりと光る瞳をタクミは見逃さなかった。探し求めていた人物が目の前で座り込んで、きっと涙を流している。彼は床に膝を付いて彼女に目線を合わせて、腕を伸ばした。
濡れた頬が彼の掌に収まった。そのままもう片方の手を伸ばして、彼女を引き寄せて抱き締めた。
「僕はもう後悔したくない。名前じゃなきゃ駄目なんだ…!」
「タ、クミ……っ…!」
「大好きだ、名前…」
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