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帝国を出てから、環境は大きく変わった。義兄が治めていた地に住む民には申し訳のないことをした、と名前はエーデルガルトに許可を得て再びその地を訪れることにした。
姉の墓に花を具え、現状を伝える。義兄は数々の愚行が民によって暴かれ、爵位を剥奪されるということ、我が家系に終わりが来るということ、そして帝国が、エーデルガルトがフォドラを変えていくということ。
姉さんには何もしてあげられなかった、と悔やんでも悔やみきれず名前は墓前で涙を流した。
政略結婚させられても義兄に対し献身的に支えてきたのにも関わらず、結局は姉の地位と紋章の可能性に賭けて“闇に蠢く者”たちと共謀して実験を繰り返してきた義兄を、名前は許しはしなかった。エーデルガルトに粛清を求め、力を貸してくれるよう民にも頭を下げた。
そしてやっと、この日が来たのだ。
「姉君に報告は終わったか?」
「ええ…。姉さんに会いに来れる回数も、減ってしまうから…」
「管理はこの地に住んでた、お前の信者達に任せるんだろう?それなら安心じゃないか。同盟で生きてきた俺にしたら、信じられないほど手放しで名前のことを信用してるみたいだしな」
「……民には、本当に助けられてばかりなの。情けないわ。今回だって、結局私の家がなくなる代わりにヘヴリング家に後を頼むことを伝えても、嫌な顔一つしなかった。もちろん、執務卿だからというのもあるだろうけど……」
すると、それは違うんじゃないかとクロードは首を傾げた。言葉の続きを待っていると、手を差し伸べられたので、名前は彼の手を取って着いていた膝を上げた。リンハルトは自分の研究分野以外に関しては惰性で動くような性分だが、ヘヴリング家の跡取りがそんな彼だからこそ、民の結束が高いこの地を任せるのには適任だった。
「名前が信じて任せたからだ。たとえそれがベルナデッタだとしても、ヒューベルトだとしても、同じ結果になると思うぜ」
「そう?だとしても私は直接統治したこともないし、父さんと姉さんの人望が厚かったのが影響しているでしょう」
「名前が任せるならそれを信じる、そういう人達なんだろ?この前お前が説明してるのを外から見てて、その強い信念みたいなものを感じたよ」
パルミラに行くということは告げなかったが、土地を放棄する、つまりアドラステア帝国に戻る場所は作らないという意味合いのある行動で、フォドラを出るという真意が伝わったかもしれない、と名前は自分の発言と民の表情を思い出した。
彼女の一族が治めてきたその土地は、特段裕福でもなければ貧しくもないという帝国ではごく一般的な土地であった。だからこそ普通に小競り合いも起きていたし、民同士での揉め事も発生した。だが、他の諸侯の治める地と違ったのが、名前の家の元で生きる、暮らすということに対しての誇り、つまりは忠誠心であった。
「あ、名前様……」
「姉さんに花を?ありがとう。きっと喜んでいるわ」
「名前様、僕は大きくなったらまた名前様のいる土地に行きたいです。ここに帰ってこれないのなら、僕達が行きます。だから、名前様もどうかお元気で」
「……ありがとう。嬉しいわ」
クロードは少年が近付いているのを察知してか、少し離れた木にもたれて腕を組みながら、ほらな、とこちらにウィンクを寄越した。姉の墓前に花を置いた少年は、クロードの姿を見て会釈をして走り去って行った。クロードはレスター諸侯同盟の元盟主、帝国に住む少年が知っていても不思議はない。彼を見て違和感を覚えなかったのだとしたら、民の中にはパルミラに行くという噂が広がっているのだろう、と名前は感じた。
「行きましょう、クロード」
「もういいのか」
「ええ。姉さんは、いつも私を送り出してくれた。きっと今回も背中を押してくれる。父さんには……叱られるだろうけれど」
「はは、名前の父さんか、俺は会わなくて正解だったかもな。こんな男となんて認めない!ってどやされそうだ」
「そんなこと言ってると、夢に出てくるわよ」
おっとそれは勘弁してくれと肩を竦めるクロードに笑顔を見せ、名前は心の中で家族に別れを告げた。隣にいる人物は、卓上の鬼神と異名を持つ次期パルミラ王。よもや自分がそんな人と肩を並べるなど思いもしなかった、と名前はクロードの腕に手を回して歩き出した。
「意外だったな、お前が二つ返事でパルミラ行きを承諾するなんて。正直、断られると思ってた」
「士官学校に入って貴方に出会って、私の心はだんだん固まったのかもしれない。それよりも、よ。なんで帝国との戦いであんな無茶をしたの。先生がいなかったら貴方は…!」
「ああ…。まあ、自信はあったんだ。賭けではあったが、先生がいれば助けてくれると思ったんだ。あの人なら、パルミラ軍が援軍に来た時点で俺のもう一つの顔に気が付いただろうし、エーデルガルトも王国の動きがある中でパルミラとの戦争は望んでないだろうしな」
飄々と語るクロードに本気で怒っている鋭い目付きの顔を見せる名前を見て、彼は悪かったよ、次からは相談するからと頭を掻いた。戦いはいつでも生きるか死ぬかの二択ではあるが、最初から死ぬことが決まってる戦いなどするべきではない。ましてや相手が帝国であるならば、ある一定の話し合いも可能であったのだ。しかしクロードは、敗北することを見越して全て動いていた。その事実が名前にとっては衝撃的であった。
勝ち目のない戦はしたくないが、かといって避けられない戦いもある。その狭間で何が一番有効か考えた上の行動だったんだ、そこは理解してくれ、とクロードは名前の髪に口付けた。
「誤魔化さないで」
「誤魔化してなんてないさ、ただ名前への愛を誓いたいだけだ」
「嘘ばっかり」
「おいおい、俺を軽薄なシルヴァンと一緒にするなよ?嘘なわけがないだろう」
それは知ってるけど、と歯切れの悪い名前にクロードは口角を上げて額に軽く口付けを落とした。街中でそんな事しないで、と彼女はクロードを遠ざけようとするも腕を掴まれ離れることは出来ない。この様子だけ切り取ると、戦争など無かったかのようにも感じるが、今フォドラでは大陸を懸けた戦争の真っ只中にある。民が自分達を見たらどう感じるか、と名前は危惧していた。
「クロード…!」
「そう怒るなよ、可愛い顔が台無しだぜ?っと…。名前、お前の見送りがいるみたいだな」
見送り?とクロードの視線を追うと、そこには見慣れた民の姿があった。特に名前を慕っていてくれた者で、彼らは2人に近付きクロードに失礼致しますと深々と頭を下げてから彼女に向き直った。随分と出来た人間がいるものだ、とクロードは彼らの様子を見守った。
「お立ちになる前に、こちらをお預けしようと」
「これは……!どうして、あなた達が…!」
「屋敷に勤めていた者が持ち帰ったようでして…。どうにか名前様にお渡し出来ないかと、我々に預けられたのです。勝手に屋敷の物を盗み出すなど、本来では褒められたことではありませんが…」
「いいえ、ありがとう…。本当に、感謝してもしきれません」
「名前様は我々の希望ですから…。どうか、お元気で」
彼女の手中にあったのは、一つの小さな写真立てであった。後でクロードが見せてもらうと、それは彼女の家族写真であった。若かりし頃の父母、姉、名前の笑顔がそこにはあった。過去は誰にも取り戻すことは出来ない。だが、未来は新しく作ることが出来る。
クロードはそれを眺めながら、懐かしくも切なげに家族を見つめる名前の頬を優しく撫でた。
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