王国は分断し、西部は帝国に支配されている。ガルグ=マクで肝心のディミトリは心を閉ざし皆はそんな彼を腫れ物して扱っているような、まさに気の休まらない状態が続いていた。
どこかに味方がいないものかとフラルダリウス家のロドリグに兵力を要請した一行だったが、そんな彼らの元に思いもよらぬ人物が訪れる。

「……っ、」
「なんだ、フェリクス。幻を見たような顔をしているな」
「俺もあれと同じく頭でもおかしくなったのかと思ったぞ」
「ディミトリが生きているというのは聞いた。心を閉ざしているそうだな」

結われた灰色の髪が風に揺れる。そう、彼女はローべ家の親族である名前。無論ローべ家といえばコルネリアに王国を売ったと専ら噂だが、彼女の家自体がどのような選択をしたのは話題にも上っていなかった。ローべ家の派生故、旧王国派だとしても戻る場所はない。彼女の父はどうしたのか、何故ここにいるのか、どこからディミトリの生存を聞きつけたのか、フェリクスには聞きたいことが山ほどあった。

「なぜお前がここにいる」
「ああ、ここに来る前にロドリグに会ってな。書簡を送っただろう?それを見せられたんだ。ここへ来れば旧王国派の嫡子達にも出会えるだろうしな」
「親父殿と会ったのか。それで、何故ここに来た。来る必要は無かったはずだ。お前の家は……」
「父は帝国兵が攻め入るとわかった途端に逃げ出したさ。私の従者を付けたから、今頃どこかでこっそり生きているとは思うがな。私は旧王国派を謳いつつ帝国領を視察に行ったりと色んな地に赴いていた」

話が見えん、とフェリクスは頭を抱えた。そもそもどうやってガルグ=マクに入ってきたのだと名前の荷に目を向ければ、そこには見慣れた家の紋章が縫い付けられた腰布がある。そういうことか、と納得するフェリクスの視線を追い、彼女はその紋章の縫われた布に手を伸ばしてロドリグに貰ったんだと言った。
フラルダリウスの紋章が刺繍されたその布を見せれば、確かに門番達も彼女を迎え入れるに違いない。もし敵だったとしても一人であればどうにか抑え込むことも可能だろう。とはいえ、もし彼女が間者だったとしたら厄介なことこの上ない、と彼はため息を吐いた。

「聞きたいことが山ほどあるという顔だな。だがゆっくりもしていられまい。そろそろギルベルト殿の元にロドリグからの返事が戻るだろうからな」
「今更それを言うか。それで……お前はどうする?俺は久しぶりにお前の剣捌きを見たいのだが」
「私は私でやることがある。ここに来たのは確認のためだ。ディミトリに会ったら直ぐに発つつもりだ」
「そうか。後悔するなよ、あれはもう昔のあいつではない」
「ああ、大筋は聞いている。妄執に囚われているとな」

太陽に照らされた名前の灰色の髪は銀色に輝き、その眩しさにフェリクスは目を細めた。彼女の真っ直ぐな視線も意志も、何一つ変わっていない。
彼らは昔、ある一時婚姻を結ぼうとしていた時があったのだ。結局その後“ダスカーの悲劇”が起きたため婚姻は結ばずに終わったのだが、今でもフェリクスの中では彼女の返事が消えずにいた。
いいぞ、フェリクスがその気なら私は構わない。確かに彼女はそう言ったのだ。

名前の父はグェンダル卿の妻の弟で、彼女の一派はローべ家の血を引いている訳では無いのだが、彼女の父は狡猾な人物で瞬く間に階級を上げていき現在の地位を確立した。
彼女はそんな父とは異なり、自分の正義を貫くような美しい生き方をしている。今でもそうだ。旧王国派に付いてはいるが、おそらくやりたいことがあるのだろう。一人でどこまで出来るのかなんて、たかが知れていると言われようと、おそらく彼女の選ぶ道は変わらない。そんな人物だ。

「フェリクス、私に惚れ直したか?」
「チッ……煩い。あれは恐らく大聖堂だ、行ってみろ」
「なんだ、案内はないのか?私は余所者だぞ?道中で傭兵を雇ったとて文句は言えまい」
「はぁ…面倒なやつだ……。来い。大聖堂はこっちだ」

大聖堂に向かう道中はまるで見世物小屋に入った気分でフェリクスは何度も悪態をついていた。その一方、ガルグ=マクの王国兵達が何者かと2人を物珍しそうに見てはコソコソと話している様子を見て、名前はあっけらかんと笑っていた。

「何が楽しいんだお前は…まるで理解出来ん」
「私まで腫れ物扱いか、面白いな。フェリクス、彼らは私が何者かを理解してあの反応をしていると思うか?答えは、否だ」
「突然何の話だ?」
「灰色の獅子が倒れたとしても、私は変わらない。更に言えば、私の家は変わらない。フォドラが帝国の手に落ちようが、王国が勝とうが、立場を変えずに生き延びるさ。誰に咎められようと、な」

凛とした表情で真っ直ぐ前を見る名前の横顔をフェリクスは見つめた。そうだ、どんなに人に笑われ咎められても、彼女はいつも自分の信じる道を歩み続ける人物だ。この戦争の最中でもそれは変わることなく、彼女の歩く道を照らしていることにフェリクスは少しばかり羨ましさすら感じた。
家柄と紋章と兄に縛られる自分と、自由な彼女。無論名前とて紋章を持っているが、彼女の生き方を見ているとそんなものどこ吹く風といった程に軽々しく思える。
そんな時、名前が足を止めて彼を呼び止めた。

「なあ、フェリクス」
「なんだ」
「この戦争が終わったら、私は傭兵として各地を回ろうと思っている。貴族の地位や紋章の力など無くても、縛られることなく生きていけることを証明したい」
「……縛られずに、か」

大聖堂までの道のりはあっという間で、真っ直ぐ進んできた2人の前には仰々しい大きな門がそびえ立っている。ディミトリに会えば彼女はガルグ=マクから去っていくことは明確だ。
フェリクスは前に進もうとする名前の腕を咄嗟に掴んだ。
それは無意識だった。何事かと振り向いた彼女に、フェリクスはハッとして握った腕を見つめた。

「ッ……何でもない」
「私は必ず帰ってくる。だからフェリクス、お前も死ぬなよ。約束だ」
「約束……か。ああ、いいぞ。約束してやろう、名前」

腕は暖かくも細いその腕で傭兵など、と感じたが彼女ほどの器量があれば心配不要だろうとフェリクスは穏やかな名前の表情を見て道を引き返した。