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第一印象を覚えているほどの印象すらない相手だった。邪魔にも有益にも感じない無害な傭兵。腕は立つという話だったが共闘したこともなくその予定も今のところはない。ガルグ=マクの中でもすれ違うことすら殆ど無いに等しく、ヒューベルトが彼女のことを考えることなど一度も無かった。
しかしそんな日常も、彼女が主君であるエーデルガルトと親しくなったことで一変する。
「此処にいらっしゃいましたか。探しましたよ、名前殿」
「探さずとも貴方なら居場所くらい突き止められるでしょう、私はそこまで此処に馴染んではいないのだから」
「シャミア殿ほど、ですか」
「…そこまでは言ってないわ。雇い主が違うとここまで違う、ということよ。それで、何?私を探していた理由は?」
ええ、とヒューベルトは頷いて用件を話し始めた。名前と話すのは苦ではない、むしろこんな軽口すら楽しんでいる自分がいると感じていた。
主であるエーデルガルトと名前の仲が深くなればなるほど裏があるのではと疑っていたのだが、どうやらそうでは無いというのが分かってからというものの、自分も主と同じように彼女の顔を見に行くのが少し可笑しかった。
「ヒューベルト。私はダグザに未練もないし、フォドラがどうなろうと興味はない。女神の存在も、紋章のことも、私には関係の無いこと」
「なんです?藪から棒に」
「それでも貴方達を助けるのは、ただ見てみたいからよ。貴方達が目指すこの世界が、どんなものであるのか」
名前が空を見上げると、そこには灰色の雲が空をゆったりと流れていく様子が目に入る。ダグザで見る空も、フォドラで見る空も変わらない。変わるのは一つ、周りの景色だけ。人間もさほど違いはない。ブリギッドやダスカーとて、同じ人間だ。
彼女はこの世界に期待などしていなかった。これ以上の繁栄も発展もしないと思っていた。互いに潰し合い、互いに食い合う3カ国の混乱の時代だと予期しながらガルグ=マクへと足を踏み入れたのだ。
しかし、名前の予想に反して皇女や王子たちはそれぞれ違った信念を抱いていた。最初こそ迷ったのだ、誰を信じるか。
「ダグザの空は、どんな色でしたかな」
「……同じ色よ。繋がってるもの、この世界は」
「確かに、仰る通りです」
「ヒューベルトが空を見上げることがあるのね。意外だわ。ずっと建物に篭っていそうだもの」
「くく、そうかもしれませんね」
何時ぶりだろうか、ヒューベルトは空を見上げながら思った。そもそも、こんな風に時の流れに身をまかせてのんびりと時間を過ごした記憶など皆無だった。いつも何かを考え、目標や理想を追い求めている、と彼は自分自身を振り返った。
ヒューベルトが名前をちらりと見遣ると、彼女は変わらず遠くの空を見ている。何を考えているのか、何を見ているのか、彼は理解する術がないことを歯痒く思った。主君や学級生の考えることはある程度予測がつくというのに、彼女は全くもってそうではない。
「無理は禁物よ」
「傭兵らしからぬ物言いですな」
「私は死なないようにやる。貴方も、命を投げ出すような真似だけはしないで」
「えぇ……善処します」
彼は再び流れていく雲を目で追いながら、ひとつの塊が遠くの空に消えていくのを見て、まるで人間のようだ、と感じた。掴もうとしても掴めない。追いかけるほどにそれは遠ざかっていく。目を細めるヒューベルトを、名前は珍しそうに見つめた。何を考えているか分からないのはお互い様だ、と思いながら。
「ねぇ、貴方は……この世界に何を望む?」
「突拍子もないことを聞きますね。望むこと、ですか…。我が主の赴くまま、といったところでしょうか」
「……そうね、ヒューベルトはエーデルガルトの望む世界が行き着く先。私はそれを見てみたい。どう?それだけじゃ、信頼には値しない?」
心を読まれたようだ、とヒューベルトは驚きつつも鋭い観察眼を持つ名前が自分の味方であることを実感してほくそ笑んだ。初めから名前は黒鷲の学級と近しい位置に居たためそれが彼の疑念であったのだが、彼女の言い分だと最初からエーデルガルトに期待していたという意味に捉えられる。実際のところどうなのかここで軽く話すような人物でないことは分かっていたので、ヒューベルトは頷いて彼女の言葉に応えた。
「十分ですよ。貴女がこちら側に着いてくれる事ほど、心強いことはありませんから」
「貴方が素直すぎるのも違和感があるんだれど……」
「クク……では、これが本心かどうか、確かめてみては?」
彼がそう言うと、名前は少し考えた上で首を振ってそれは今度でいい。貴方が私を信頼してくれただけで今は十分だ、と。真っ直ぐな視線でそう言って再び風に乗ってそよぐ木々を見上げる名前に、次こそヒューベルトは驚いた。
ダグザの民が雇い主を裏切ることは無いということは有名な話だが、名前の今の雇い主は大司教レアである。どんなに主君と親しく信頼を寄せているとしても、彼女の雇い主は違う。それが何を差すのか分からないヒューベルトではなかった。だが、彼女はそうではないと言う。
「エーデルガルトの進む道が茨の道だとしても、その先の未来まで棘が生えてるなんて限らない。美しい楽園が広がっているかもしれない。誰も予想しなかった世界が、ね。それを感じさせる力を持っているのよ、彼女は」
「ええ、その通り……ですな。流石は名前殿」
「私は私の信じる道を進む。ただそれだけだから」
紋章も人種も関係なく過ごせる世の中を望むエーデルガルトに少しの期待を寄せることが、今の名前の道しるべのようなものであった。そしてその道には必ずヒューベルトもいる。そんな不思議な感覚が心地よいと感じるほど、彼女は心を寄せているのだと実感した。ヒューベルトは、そんな名前を穏やかに見つめた。
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