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地上で過ごす時間は不思議な気分で、少し居心地が悪い。食堂に行けば周りは目を逸らして距離を取られ、温室に行けばあからさまに避けられる。めんどくせぇ、とユーリスがため息を吐いて寮の前を通ってアビスに戻ろうとした時、彼女は椅子に座っていた。
何をしてるんだろう、とユーリスは直感的に思った。彼女は本を読んでいるわけでもなく、手芸に励んでいるわけでもなく、ただぼんやりと空を見上げて時折目を瞑っていたが、どうやら眠っている様子ではない。
「何してんだ、こんなとこで」
「……ユーリス」
「待てって。なんで俺を避けるんだよ。歌わせようとしたからか?でもそれ、逆にお前が天使の……」
「やめて、それ以上言わないで」
「分かったから、待ってって言ってんだろ!」
衝動的に逃げ出そうとする彼女の腕を掴むと、予想外に名前は抵抗する様子はなく彼の力によってバランスを崩した。自分も体格の良い方ではないが、こんなに軽かったのか、と驚きつつユーリスは彼女を抱き留めた。
一方倒れると思ったのも束の間、温かみに包まれてまさかと恐る恐る目を開けると目と鼻の先にユーリスが居て、名前は驚きと焦りでバッと体を離した。
慌てる彼女を見て目を丸くしていたユーリスだったが、可笑しくなったのか笑いを堪えようと口に手を当て体を震わせている。
「何!」
「何って、お前が可笑しいんだろ…慌てすぎ」
「だっ…て、それはユーリスが……!あんな風に…!」
「あんな風に、何だよ?」
ムカつく、と言わんばかりの表情をする名前を見て吹き出しそうになるのを抑えてユーリスは再び逃げ出しそうな彼女を宥めた。始まりは、帝国の町外れで優しい歌を歌う彼女を見かけてから。そして今は、天使の声と呼ばれハピとは逆で魔獣に効果のある力を持つ名前に興味を持っている。それ以上に、他意はないはずだった。
名前はあまり人と馴れ合う性質では無かったが、こうして戦いが厳しくなるとそうも言ってられないようで、時折レアに呼ばれては彼女も戦場に出ていた。とはいえその声を使ったことは未だ無いのだが。
レアの指示で戦闘に参加している、となれば皆もその力に期待するのだが実際の名前はさほど魔力が強いわけでも、特別な魔法を使う訳でも無い。しかし何があると踏んでいるクロードやリンハルト達は彼女に真意を聞き出そうとしているが、失敗に終わっている。
「用がないなら、もういいでしょ」
「良くねぇよ、お前も大概講義サボってんだろ。大司教に叱られないのか?」
「…別に、私から此処に置いてくれってお願いした訳じゃないし、セイロス教徒でもないし」
「関係ないってか。ま、俺もどっちでもいいけどな」
「じゃあ問題ないでしょ。私もユーリスのこと見逃してるんだから良いじゃない」
そっと逃げ出しそうな彼女の行き先を塞ぐように立ちはだかり前方を塞ぐと、ため息をついてまだ何か用かと見上げてくる名前。ユーリスはそんな彼女の頭に手を置くと、よしよしと撫でるようにその髪に触れると、再び名前は慌ててその手を退けようと暴れ始めた。
「な、何!?さっきから、おかしいよ、ユーリス!」
「何もおかしくねぇけど?」
「おかしいよ!やめて、もう!」
「俺がおかしいなぁ……。ま、確かにそうかもな。名前のおかげで調子狂うんだよ」
庇護欲と言う言葉で合っているのだろうか、そういう感情だと思っていた。アビスに住む住民たちに向ける気持ちと同じような、ある種の仲間意識のような感情。だが、どうやら違うらしい、とユーリスは気がついた。
群れない名前が誰かと親しげにしていたり、こうして彼女のペースを乱したり、慌てる姿を見たり。その度に自分の中に知らない感情が湧き上がってくるのを感じていた。
退けられた手を頬へ添えると、名前は体をビクつかせて彼に視線を合わせた。
「なあ、名前」
「な、に」
「……はぁ。俺様も意外と意気地がねぇよな」
「今日のユーリスすごく変だよ…!何考えてるか全然分かんない」
「分かんなくていいんだよ。寧ろ分かられたらたまったもんじゃねぇし。ほら、行くんだろ?」
もう何もしないから行っていいぜ、と一歩下がって手を広げると、あろうことか名前の方が一歩近付いて彼の額に触れた。熱は無いね、と不思議そうな表情をする彼女に頭を抱えたい気持ちを抑えて、ユーリスはため息を吐いた。
「お前さぁ……そんな感じで、今までよく無事に生きてこられたな」
「何それ。これでも野良猫みたいに這いつくばって生きてきたけど」
「だとしても、だよ。はぁ……名前、俺はお前が怖ぇよ」
「全然意味がわからない。ユーリス、今日本当に変だよ。何かおかしなものでも食べたんじゃない?」
まさに鈍感、と思ったところでユーリスはハッとして訝しげな表情をする名前を見つめた。何に対して鈍感なのだ。そう自問自答して返ってくる答えはただ一つで、彼は自分が抱いていた感情に驚いた。うさぎのように逃げ足が素早く、戦いが苦手で姿をくらませるのも上手い彼女を守らなければと思い込んでいたのは自分だけだった。
本心に探りを入れるのが怖いなんて久しぶりの感覚だなとユーリスが名前の頭を再度撫でようとすると、彼女はさっと身を引いてその手を避けた。
「何で!?」
「いや、つい撫でたくなってな」
「……なんかの病気にでもなった?」
「ひっでーのな、お前!俺様に撫でられて嬉しくねぇのかよ」
「何か企んでるとしか思えない。不気味。違和感」
何だそれ、と笑うユーリスを横目に、名前は彼の真意を探ろうとしたが流石の策士は隙も見えずため息する。昼下がり、皆が講義に出る中での一時は、ゆったりと過ぎていく。
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