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第3章 再会
第10節
黒い牙との戦いは想像以上に激しさを増していた。黒い牙の四牙と強力なモルフ達が彼らの前に立ち塞がり、行く手を阻む。激しい戦いの中で本名はレイヴァンの姿を探し、ルセアとプリシラの様子も案じていた。共に生きていきたいというのは彼女の本心であったが、積年の思いを変えるのは中々難しいもので、彼らを守らなくてはならないという使命感に駆られるのはいつ何時も同じであった。ルセアが遊牧騎兵に狙われているのに気づけば身代わりになって矢を受けたし、プリシラが遊牧騎兵の射程圏内に入ればすかさず救出した。それをレイヴァンが面白くないと思ったとしても、体が勝手に動くのだから致し方ない、と本名は自嘲気味に笑った。
「本名さん…」
「はい、プリシラさん」
「レイモンド兄様を、よろしくお願いします」
プリシラは真剣な面持ちで本名に頭を下げ、直ぐに体制を整えて怪我を負った者の元へと駆けて行った。残された本名は呆気に取られて彼女の後ろ姿を見つめていたが、ふと感じた気配で戦いへと戻る。剣を振りながらプリシラに言われた言葉を頭の中で反芻させる。一体どういう意味だったのだろうか、と。
戦場を駆ける深窓の令嬢の背中は遠くなっていく。怪我をした仲間の元か、それとも敵の元か本名には彼女の行先は分からない。
妹がいる、と彼に言われて少しだけ顔を見たことは覚えている。話したことは無く、その時もお互いに一言だけ交わしたにすぎない。プリシラがあの時の幼い少女だと言われても本名は正直分からないと言うのが本音であったが、彼と同じ髪の色が記憶の中の少女と合致する。
「あんたも妙なもん背負わされてんな」
「え?」
「さっきの話、聞こえちまったんだよ。ま、別に俺には関係ないことだ。口外するつもりはないけどな」
「貴方…ラガルト、と言ったかしら。あんた“も”というのは?」
「それはこっちの話だ、気にすんな。兄弟ってのは、いつでも勝手だからなぁ」
肩を竦めて、お互い最後まで精々死なない程度に気を付けようぜと彼は去っていった。普段から話す訳でもなく、これが初めての会話ではないかと思うほど接点のない人だったが、遠くを見据えるようなその表情に本名の心がチクリと痛む。最後の言葉が暗に黒い牙を指していることは彼女でも分かった。ラガルトはどんな気持ちで戦ってきたのだろうか、家族同然に過ごしてきた彼らと戦うことを、倒さなければ進めないこの状況を。
もしレイモンドを、プリシラを、ルセアを、と想像しただけで本名は寒気がして考えるのを辞めた。
最後の戦いの記憶はぼんやりとしか残っていない。ネルガルを倒したあとはとにかく必死で、総力をかけて火竜を倒したことは覚えているが、誰がどんな風に、というのは鮮明に覚えてはいなかった。本名は全てが終わって遺跡から脱出した時、太陽に照らされる森の中に、世界の広さを実感した。
この戦争は黒い牙だけによって起こされたものではない。様々な思惑や人々の憎しみや悲しみが募って起きたものなのだ、と本名は考えた。そもそもの始まりは、黒い牙ではなく八神将の時代に遡るほど。ネルガルはあの時から狂い始めたのだとアトスは言った。この戦争はここ数年の浅いものではなく、何百年と積み上げられてきた負の感情によって引き起こされたものだったのだ。
仮に家族や仲間を失ったニノやラガルトがエリウッド達を恨めば、そこでまた新たな憎しみが生まれる。レイモンドがこの戦いの最中で怒りと憎しみを乗り越えたことには大きな意味があるのだ、と本名は感じた。
「終わったのね、全て…」
「ああ。終わったな」
「まだ夢のようで信じられない。あんな大きな火竜を前にして、こうして生きてるなんて…」
「夢…か。そうだな…あの壮絶な戦いを生き抜いてきたんだ、俺達は」
魔の島からの帰りの船の中、2人は今までの戦いを振り返るようにぽつりぽつりと語り合っていた。思えば魔の島に辿り着く前にも船が襲われて戦いになったのだと本名はバドンを出た後のことを思い出した。広がる青空は素知らぬ顔で2人を通り越して雲を先へ先へと流していく。これからのエレブ大陸のこと、オスティアのこと、様々な話題が尽きなかった。いざ戦いが終わると次に何をすれば良いのだろう、と本名がふと口にすると、レイモンドはさも当たり前のように口を開いた。
「俺と共に来てくれるんだろう?」
「え?」
「9年前の約束を、今回果たしたとは言えないからな」
「…そう…ね。一緒に見たとは……決して言えなかった」
今年見た流星群は手放しに美しいとは言い難いものであった。空に輝く星が憎らしく、何も出来ない自分が悔しくて、苦しかった。だが今は違う、と本名は潮風で靡く髪を押さえてレイモンドへと歩み寄り、肩が触れ合うほど近くまで来て足を止めた。白波がざばんと船にぶつかる音や、鳥たちの鳴き声が聞こえる。ともにこの戦いを乗り越えてきた仲間たちの姿も数人甲板に見え、その表情には時折笑顔が垣間見える。
「ああ、しかし俺はまだこの先の道を見つけられてはいない。まずはそれを探す旅、だな」
「旅……」
「不満か?」
「いいえ、まさか。どんな時でも共に…と、貴方が言ったのよ」
そうだな、とレイモンドは自身の発言を思い出したのか、ふっと笑って視線を外した。白波の狭間に魚が泳いでいるのが分かる。その影はゆるりと船から離れ、やがて波の中に姿をくらました。両親の敵を討つために旅してきたこの数年、人を憎むことで力の源としていたが、真実を知った今、どうにとやりようの無い感情をぶつける先は無く、彼は手を握りしめた。本名のことは愛しており、それ以外の感情はない。ヘクトルへの誤解が晴れたとてオスティアに定住したいと思うかは別の話だ。
フェレ、オスティア、キアラン、そして黒い牙。様々な境遇の人間に出会い、共闘し、心を触れ合った。ヘール・ボップ彗星が導くドラゴン座流星群は、予定よりも1年早くこの地に訪れた。それはまるで2人の再会を後押しするかのようだったと彼は記憶を辿る。 今まで歩んできた間違いだらけの道筋を肯定するように、淡く照らされているような感覚がした。
「俺はオスティア侯ヘクトルを仇だと憎み、お前は俺の家に罪滅ぼしをすべく生きていた。だが、その中で再会できたことは紛れもない事実…。俺はやっと気が付いた。全ては繋がっていたのだということに」
「無駄ではなかった、ということ?」
「俺は聖女エリミーヌを信じはしないが…もし神がいるのならば、お前が信仰していたお陰だな」
「それならば、きっとエリミーヌ様は仰るわ。それは私たち自身の力だと……」
戦いの終結は決して終わりではない。各侯爵は戦地となった街の復興に勤しみ、アトスの遺した“ベルンの地から来る凶星”に備えなければならない。失った仲間、失った命、生きている者は彼らの記憶を、共に過ごした思い出を心に灯して生きていく。
本名は空を見上げた。遠くに見える竜のように翼を広げた凛々しい雲は、遠くの地へと旅立つ彼らを見送っているようだった。
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