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第3章 再会
第9節
苦しみも悲しみも喜びも、どの感情とて永遠に続くものでは無い。いつかは薄れ、何かに変わり、そして再び薄れる。そうして人間は色んなことを忘れながら生きていく生き物なのだ。だとしても彼らを視界に入れる度に支配されるこの感情に答えを付けるとしたら一体なんという名前なのだろうか。
遠くではレベッカとウィルが彼に話しかけているのがわかる。あの2人がいてくれたからこうして自分も少しずつ笑えるようになったのだ、と感謝を込めて本名は目の前の敵に剣を振り下ろした。
「偽名さん、あたしも加勢するね!」
「ニノ、ありがとう」
「うん!アーマー兵なら任せて!」
「ええ、遊牧騎兵には気をつけてね」
彼女も凄惨な人生を辿ってきた一人だ、と隣で魔法を振るった少女を横目で視界に入れつつ向かってきたウォーリアの斧を避けて剣で反撃する。兄のように慕ってきた人間が敵となり自分たちの道を阻むなど、本名には想像も出来なかった。彼らを倒しここまで来て、ついに立ちはだかるはモルフの最高傑作リムステラ。それはまもなくこの戦いが終わることを示唆している。
「ニノ、偽名、平気か!?」
「うん!大丈夫、エリウッド様!」
「行こう!俺が道を拓く!」
戦いの終わりの足音は本名の心をざわつかせていた。平和が怖いと感じる理由は分かっていた。このまま家に帰ることなど出来るわけもなく、かと言って彼に許しを乞うなど言語道断だ。未来が真っ暗だがそれに向かって進まなければならないなどこんなに苦痛なことがあるものか、と本名は苦笑しながら敵の攻撃を剣で受け止めた。相手はモルフ、人間ではないのが不幸中の幸いか、と遊牧騎兵を両断すると造られた人形は煙のように消えていった。
先頭部隊が敵将に辿り着いたという連絡を聞いて湧き出てくる増援を倒す手にも力が篭もる。間も無く終わるのだ、この無意味な戦いが。終わってしまうのだ、ぬるい水のようなこの軍で共に過ごす生活が。
リムステラを倒した一行はネルガル達が待つ遺跡の中へと入る。本名はレイヴァンの姿を探していた。別部隊で動いていた彼が何処に行ったのか、もし重傷を負っていたら守ると豪語したのにも関わらず守れていないではないか、と彼女は焦る気持ちを抑えて周囲を見回した。
「偽名、どうしたの?誰か探してる?」
「レベッカ…」
「レイヴァンさんならあっちだよ」
「え…?」
「今までどれだけ一緒にいたと思うの?ほら、行って」
背中を押された先にいたのは紛れもなく彼で、本名は緑色の三つ編みを揺らして笑う彼女に礼を告げてその場所へと向かうと、見慣れた赤茶色の髪を見つける。
彼が行ってしまう、と思った瞬間本名はレイヴァンの服の裾を掴んでいた。それは完全に無意識で、勝手に体が動いたとも言えるほど俊敏な動きであった。
勿論当人であるレイヴァンの足は止まり、彼女を振り返り見た。その表情は驚きを隠せない様子で、二人はしばし見つめ合っていた。
「…ごめんなさい。私…」
「本名、何か言いたいことでもあるのか?」
「本当に…何でも無いわ。ごめんなさい…」
口をついて出る謝罪の言葉に、レイヴァンは眉をひそめた。何も無いのに、なぜ引き留めるのか。きっと今の行動には理由があると見て、彼はその場を去ろうとする本名の腕を掴み軽く引き寄せた。
すると彼女は小さく悲鳴をあげ、バランスを崩してレイヴァンの腕の中に収まった。しかし彼も予想以上の衝撃に尻餅をついてしまった。
「レ、レイモンド…!?大丈夫?」
「すまん。本名、怪我はないか?」
「ええ、私は大丈夫よ。それより貴方は何処か打ってない?怪我は?腕は平気?どこか痛むところはない?」
「俺も何も無いから、そんな顔をするな。大袈裟すぎるぞ」
これだけのことで彼を心配する本名がおかしくて、レイヴァンは口角を上げた。そんな彼を見て本名は何とも言えない表情を見せた。彼が笑っているのは嬉しかったが、取り返しがつかない事が起きた後では遅いのだ。
何も無いと言っても表情の変わらない本名に、レイヴァンは一つ息を吐いて頭を撫でた。
「本当に心配ない。だから少しでも笑ってくれ。俺は本名の方が心配だ」
「レイモンド……」
そのまま彼は本名の頭から頬に手を動かした。まるで泣いているかのような表情を見せる彼女が、レイヴァンにとっては心配であった。彼女の父が犯した罪を許すことは出来なくても、それが彼女の罪にはなることはない。父の罪を背負って苦しむのは、レイヴァンにとって望むことではなかった。
それは、なにより彼自身が本名を愛しているからに他ならなかったのだが。
「罪の意識を感じるな、と言っても無駄だろうな。お前が俺の一言で考えを改めたりしないことは分かっている。だが…本名に苦しんでほしくはない。たとえ俺がお前の父親を許せなくてもだ」
「貴方の優しさには…とっくに気付いてるの。それでも、私は貴方を守りたい。それだけで私の父の罪が償われるとは思ってないし、貴方が父を許すことが出来なくても、守りたい。私は二度と失えないから」
「本当に頑固だな、本名は」
頬に添えた手を後頭部に回して、レイヴァンはゆっくりと彼女に口付けた。はじめは戸惑っていた本名も、流れ込んでくる彼の感情に応えた。
彼が自分に好意を寄せてくれるのは素直に嬉しかったが、脳裏によぎるのはやはり家が背負う罪。彼女にとって、それが重いかどうかは問題ではなく、その罪を背負って生きることが大切なのであった。
「私も、出来ることなら貴方と同じ道を歩んでいきたい…でも……」
「それくらい簡単な話だ。俺はお前となら、どんな道のりでも乗り越えてみせる。今でも険しいくらいだろう」
「そんなの…許されない…私だけ幸せになるなんて…」
「それは違う、本名。俺にはお前が必要だ。俺を思うなら、俺のために生きて、共に来てくれ」
レイヴァンの痛いほど熱い視線が本名へと突き刺さる。罪の意識と愛の狭間で揺れる苦しみは計り知れないものであったが、彼も今回ばかりは折れるわけにはいかなかった。二人の未来の全てがかかっているのだ。彼女がどんなに拒もうとも、諦めるつもりはなかった。
「本名、顔を上げて俺を見ろ」
目を伏せていた本名に投げかけた言葉は優しい音で彼女へと届いた。まるで音符が踊るように、軽やかに。
「せめて俺の前で泣いてくれ。女の涙は苦手だが…お前が苦しむ時は側にいたい。どんな時も、どんな日でも」
それがこの世界の終わりの日だとしても。彼は心の中で付け加えた。愛しげな眼差しに変わるレイヴァンに、本名の瞳からはふわりと涙が溢れて止まらなかった。
こんなに幸せでいいものだろうか。
こんなに愛されていいものだろうか。
背負う罪が重くなるようで彼女は怖かった。それでも彼の自分を想う気持ちに歯止めを利かせてはくれなかった。
「レイ…モンド…!私も、貴方と共に…隣で生きていきたいの…!」
涙ながらに自分への素直な気持ちを口にする彼女に、レイヴァンは更に愛しさを募らせた。この言葉を伝えるのにどれほどの苦悩と葛藤があったことだろうと想像しようとも、彼にはそれが理解出来なかった。
返事の代わりに彼女の頭を肩へと押しやる。ふわりと頭に手を置いて、本名が落ち着くのを待った。愛しくて堪らない存在が此処にある。レイヴァンは彼女を守ることを誓った。
被害者も加害者も、月日を重ねる毎に苦しみは深いものになって双肩へのしかかる。相手の立場へと立ち回ることが出来ないほど彼らは互いの足元を固めてしまった。それでも彼女を愛したのは、憎しみが解けたからか、他の理由があるからか、彼自身にも分からなかった。
「行くぞ。敵はまだ終わってはくれない」
「ええ…貴方のことは、私が守る。必ず……」
「本名のことは俺が守る。だから二人で生きて帰るぞ!」
そして再び二人は歩みを進める。
平和、和解、そして未来への一歩。
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