17
>音駒に戻って少し練習した後になまえの家に行くことを零してしまい散々冷やかされた研磨は、彼女との待ち合わせの駅で一人時間を潰していた。送られてきた写真は穴が空くほど見たがまだいくらでも見ていられる、と2人が見つめ合う写真を再び開いた。なまえは確かに美人の枠に入ると思うが、それは女性としてであって、まさか男装してもこんなに見映えするとは想定外だった。とはいえ男装した彼女に欲情するような趣味は研磨にはなく、どちらかといえば猛虎の言う通りメイド服を着てほしいという意見に賛成だったが、部員に恋人のメイド姿を見られることと天秤に掛ければ男装で良かったのかもしれない、と彼はその画像とにらめっこしながら考えていた。
「お待たせ」
「あれ、もう普通…」
「何?髪型?化粧?」
「どっちも。戻したんだ」
「うん、流石にあのまま制服着たら変だったから」
いつも通りの雰囲気に戻っていたなまえに研磨は少し安心しながら彼女の家へと向かう足を動かした。色んな人が来る文化祭でどんな人と何を話したのだろう、知らない他校の生徒と何か話したのだろうか、女子校で生活するなまえを狙う輩がいたのではないか、と研磨が道中悶々としていると、来てくれてありがとうとなまえが口を開いた。
「面白かったよ」
「そう?男装カフェが?」
「うん、それもあるけど学校自体も全然違ったし、女子校なんて初めて行ったし」
「そうだね、私も研磨が来てくれて嬉しかった」
「終わりかけだったけどね」
それでも嬉しかったよと言うなまえに研磨は少し恥ずかしくなって顔を逸らした。先程まで彼女のメイド姿を想像していたなんて言えないし絶対に言わないと固く誓って静かに息を吐いた。そもそも猛虎が変なことを言うのが悪い、と人のせいにしながら道中の街を見渡した。住宅街に住むなまえの家への道のりは静かで、周りは足早に家路へと急ぐサラリーマンやOLの足音が目立つ。研磨の家は学校が近いこともあり子どもや家族連れが多いのでこの時間でも多少賑わいを見せているが、此処はそうではない。あそこにいる人はおそらく一人暮らしだろうとコンビニ袋をぶら下げたサラリーマンを見て思う。道行く人々を観察しているとなまえに名前を呼ばれて研磨は彼女に視線を向けた。
「私、家に彼氏連れていくの初めてなんだよね」
「だから浮かない声してたの?」
「えっ…」
「嫌だったら断って」
そう言って研磨は立ち止まった。彼女が断りきれなかっただけで本当は嫌だとしたら引くべきだし、家に行ってからでは絶対に後戻り出来ない、なまえを大事にしたいからこそ足を止めた。とはいえ彼女と2人きりになりたくて触れたいというのは事実で、断らないで欲しいと思いながら研磨はなまえの表情を伺った。彼女は研磨の視線から逃れるように伏し目がちに俯いており感情を読み取ることは出来なかった。
「嫌じゃ…ないよ」
「本当?」
「うん。研磨だから連れて行きたいと思った。でも、本当は…」
「何?」
「その前に紹介したかった…から…父さんに…」
ごにょごにょと恥ずかしそうに言葉を濁すなまえが可愛くて研磨は言葉を詰まらせて目を泳がせた。単身赴任する彼女の父は月に1回程帰ってくるらしいと以前聞いたので会うまで待つことも難しくはないが、今日はもう我慢ならないし早くこの腕に閉じ込めたい気持ちが勝った。
正直彼女の父と会うのは気が引ける、というか人付き合いの苦手な自分が何を話したらいいのか分からないし緊張するけどその時はその時で考えればいいか、と家路へとなまえの背中を押した。
「それはまた今度ね」
「ありがとう、研磨」
「今日はいいでしょ。おれ我慢できない」
「え、ちょ…!」
早く、となまえを急かして2人は早足で彼女の家であるマンションへと入った。外で手を繋がないのは恥ずかしいという以上に意味はなかったが、その分2人きりになればいくらだって触れ合えるのだから我慢したらいいと研磨は思っていた。
オートロックのエントランスを抜けてエレベーターに乗り込むと彼女は8階のボタンを押した。扉を開けた15階建ての8階にある彼女の家は狭くもなく広くもない2人の父娘で暮らすには十分な広さで、彼女の父がこれ以上家族が増えないことを予期して選んだことが窺えた。週に数回家事手伝いの人が来るだけあって家は整頓されており、玄関からも彼女1人で住んでるとは思えないほど掃除が行き届いているのがわかる。
玄関の扉が閉まった瞬間に研磨はなまえを後ろから抱き締めて髪にすり寄ろうとした瞬間、いつもと違う匂いに動きを止めた。
「まだワックスついてるよ?」
「あー…だからなまえの匂いしなかったんだ…」
「心底ガッカリした声して、何するつもりだったの」
「…別に」
口を尖らせて不満な様子を見せる研磨になまえはくすくすと笑いながら上がってと彼の腕の中からすり抜けて靴を脱いで家へと上がる。研磨も寂しくなった手で頭を掻いて、致し方なく靴を脱いで彼女の後に続いた。リビングもさほど広くはないし、テレビも大きくない。月に1回ほどしか父親が帰らないと聞いていたが、ここまで物が少ないのかと研磨は見回して思った。
きょろきょろと色んな場所を見ている研磨を横目になまえは冷蔵庫から茶を取り出してグラスへと注ぐ。友人がよく来るのでグラスはいくつも置いてあったが取り出したものは新品で、友人が彼氏と使ってねと誕生日にくれたものだった。
「研磨、今日は泊まるの?」
「そのつもりで来てるけど…ダメなんて言わないよね?」
「ダメだったら家に上げてないよ。じゃあ明日学校でしょ、洗濯しなきゃ」
「なんかなまえ、母さんみたい…」
「私は明日授業ないからね」
え!と研磨が目を丸くするとなまえは笑いながらグラスを口へ運び、文化祭があったから翌日は自由登校なのだと言った。いずれにしても研磨は土日も部活があるため、いつ彼女の家に来たとて休みではない確率の方が高いのだが、以前と同じ状況に不満そうな様子を顕にした。
「ふふ、でも私も学校行こうと思ってるから、研磨と一緒に出るよ」
「自由登校なのに?」
「うん、家だとあんまり勉強出来なくて。音駒まで見送ろうか?」
「それは恥ずかしいからヤダ…」
「言うと思った」
彼女が見送ってくれるのは嬉しいが、一人で学校に来られるとまた騒ぎになりそうだし、手を出す輩が居そうで嫌だから一人で来ないでほしいと研磨は素直に思っていた。この前だってそうだ、彼女が来た翌日、研磨となまえの様子を見ていたクラスメイトから散々持て囃されてその日中は話題にされたことを思い出して彼は渋い顔をした。
孤爪の彼女は美人だった、孤爪と付き合うとか変わってる、黒尾先輩との方が似合いそう、など彼らは好き勝手話題にするものだから、研磨はそれが嫌で休み時間の度に教室から抜け出したのだった。
「どうしたの?」
「なまえ、音駒来る時は皆で来てよね」
「うん…まあ、予選までは約束してるし皆で行くけど、なんで?」
「何でも」
もうクラスメイトからあんな視線を送られるのは御免だ、と研磨が口を尖らせて不満な顔をすると、なまえはクスクスと笑いながら彼からジャージを受け取った。
>
戻る top