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鍵を開けて扉を開けて広がるのは誰一人いない暗い部屋が迎えてくれる。それが段々と当たり前になって、普通になった。玄関に荷物を置き去りにしてなまえは電気も点けずに椅子へ座り、息を吐いた。シンと静まる部屋に、時々外でバイクや車が通る音が聞こえる。
寂しい時は誰かを呼んだし、誰かが来てくれた。ライブを見に行ったりバイトしたり、時間を潰して寂しさを紛らわせた。今は研磨と別れて家に帰ってきた時ほど悲しい時間はない。ベッドで彼がゲームしていたら、向かいに座っていてくれたら、どんなに幸せだろう。

そうだ、久しぶりに顔を出すか、となまえは馴染みのライブハウスの予定を確認して、夕方から出掛けることにした。受験前の息抜きだ、と思ってやっと電気を点けて部屋を明るくする。
まもなく昼になるので周囲は明るくなるが、あまり日当たりの良い部屋ではないのでなまえはいつも電気を点けていた。暗いところで勉強すると目が悪くなる、というのが彼女の母の口癖だった。

「なまえちゃん!久しぶりだね〜、元気だった?」
「はい、元気です。ご無沙汰してます!」
「あ、そうそう俺達この前リリースしたんだよね〜!これ新譜!聴いて!」
「ありがとうございます!凄いですね、だんだん規模も大きくなってて」
「まあ、やっと此処の規模が普通に埋まるくらいにはなったかな〜」

関係者パスを出してもらい、ワンマンライブ前の楽屋にお邪魔する。さほど期間が空いていないので当たり前だが、変わった様子はない。ライブを見に来た別のバンドのメンバーやライブハウスの関係者に挨拶をして馴染みのバーカウンターへ向かうと、いつものスタッフがお!来た来たと顔を出してくれた。なまえが来ることを聞きつけて楽しみにしていたんだ、とドリンクをサービスしてくれる。未成年なことを知っているので中身はしっかりオレンジジュースだ。ストローに口を付けると、そういえばと口を開くのでなまえは顔を上げた。

「なまえチャン、今何してんだっけ?まだ学生?」
「はい、今年受験生ですよ」
「え!まだそんな若いんだっけ、うわ〜、忘れてた」
「あはは、一応ね。ここはそんな厳しくないし、演者も若い人いると関係ないですもんね〜」

そうだねーと彼は咥えた煙草に火をつける。深くを語らなくても誰もが笑顔を向けてくれるし、家族や学校のことなど滅多に話すことは無いし聞かれることは無い。あのバンドのアイツがやらかして、とか、最近はアイツらが凄いキてて、なまえチャンも売れそうって言ってたよね、とか、様々な話をしてくれた。
BGMが大きくなって暗転し、ライブの開始が告げられる。
そのバンドはなまえのお気に入りだった。激しすぎず優しすぎない音楽が心地よく、寂しい時はいつも聴いていたなと懐かしさに体を揺らした。
そういえば研磨と付き合うようになってから音楽を聴くことは少なくなったし、彼にそれを聴かせたいと思ったことも少ない。何故だろう、となまえはぼんやり考えながらステージを見つめる。

“果てのない道だとしても”
“また君に振り向いて欲しくて”
“If you're on your side tomorrow"

バラード曲もこのバンドの魅力だった。前向きな明るい曲調で前向きでない曲が心に染みるのだ、とうっとりしながらこの曲を聴くファンの姿を後ろから見つめる。夢を叶える姿が格好良くて眩しくて、音楽はいいなぁとなまえはストローに口を付けて少し薄くなったオレンジを喉へと流し込んだ。
楽しいワンマンライブはあっという間で、MCで次が最後の曲です、とボーカルが言うとえぇ〜!?とお決まりのようにファンが沸く。相変わらずこの人たちは格好いいなとなまえがセンターに立つ彼を見つめていると、不意に目が合ったような気がした。

『今日は、今まで僕たちを見守ってくれた女神が来てくれています。そんな女神に向けて書いた曲、最後聴いてください、Eden』

キャア、と黄色い声が上がる。きっと人気のある曲なのだろうとなまえは察しをつけた。このバンドを見ていたのは初期の頃だけで、最近人気が出てからの曲はあまり知らない。このEdenという曲も聞いた事はなく、タイトルから察するにさほど激しい曲ではないような気がすると思っていると、想像通りの明るくて優しい曲だった。ギターが心地よいビートを刻み、キャッチーなシンセが鳴り、Aメロへと入っていく。

“何となく通り過ぎていく日々を”
“当たり前の日々を”
“忘れないで”
“一人じゃない いつだって側にいるよ”

こんな優しい曲が今までにあっただろうか、となまえは目を細めてステージで演奏し、歌う彼らを見つめていた。こんなに沢山のファンに愛されて、きっと幸せだろう、彼らを見守っていた女神が何処にいるか分からないけれど、きっと彼女も同じように気持ちでこの曲を聴いているのだろう、となまえは目を閉じた。

「お疲れ様でした!」
「あ、なまえちゃん。今日来てくれて本当にありがとね」
「凄く格好良かったです。私の好きな曲もあったし、最後の曲も凄く優しくていい曲でした」
「あー…うん、ありがとう。Edenね、ライブでは初めてやったんだ。夏にリリースしたのに1回もやったこと無くて。」

えぇ、となまえが驚いていると、それを聞いていたらしいメンバーの1人がそういえばと口を挟んできた。打ち上げ行かない?というその内容に、なまえは戸惑った。久しぶりに話をしたい気持ちもあるが、明日は学校に行く日だし時間も遅い。悩んでいるなまえにタクシー代くらい出すし少しだけでいいよと助け舟を出したのはボーカルだった。
遅い時間に居酒屋へ未成年が入るのはお咎めものだろうが、自分はしっかり貞操を守るのだと酒を注がれないように席は立たないと誓っていた。
隣に座ったボーカルはビールを飲んでいたが、働いていて彼の悪い噂は聞いた事がないし、今だって大丈夫?となまえの様子を伺っていたので彼女も安心して目の前の酒のつまみに手を伸ばしていた。

「すごい人気でしたね、ビックリしました」
「ね、俺もビックリだよ!まさか売り切れるなんて。夏の終わり頃かな、フェスに出たのが効果あったんだと思う」
「え!呼ばれたんですか?」
「うん、一応期待の若手枠って感じでねー。朝だったしあんまり会場に人はいなかったんだけど、配信の方で見てる人が多かったみたいでさ」

彼はグイッとビールを飲み干して新しく注文を入れていると、なまえのグラスを見てなまえちゃんは?と気にかけてくれたが、彼女はもう少しで帰ろうと時間を決めていたので断りを入れた。それを察したのか、うん、そうだねと彼は頷いて店員を返した。
ガヤガヤとする店内、向かい側では焼酎を飲みながら他のメンバーが楽しそうに会話をしていた。

「Eden…って気づいた?」
「え?何のことですか?」
「あー、やっぱり。そうかなと思ったけど。あれね、なまえちゃんに向けて書いた曲なんだよ」
「…えっ?私に?」

キョトンとして固まるなまえに、ははっと笑いながら彼は運ばれてきたビールを受け取って一口飲んだ。MCの時ちゃんと目合ってると思ってたのになーという言葉に驚きながらも、あんな演出はいつもしていたしとなまえは困ったように薄くなったグラスの中身を見つめた。
隣に置いた鞄の携帯が鳴っている。覗き込むと差出人の名は“孤爪研磨”で、なまえはハッとして我に返った。

「あ、あの…私、そろそろ…」
「そうだね。タクシー乗るまで送るよ」
「えー、なまえチャンもう帰っちゃうのか〜寂しいな〜!!また来てよ〜!」
「はい、また是非。今日はありがとうございました!お疲れ様です」

メンバーやスタッフやPAさん達に手を振られ、彼とともに店を出た。ぴゅうと北風が吹き、火照った顔を冷やしてくれる。暫く歩いていると、なまえちゃんと名前を呼ばれ立ち止まる。

「俺さ、ずっと君のこと好きだったんだ」
「…え……」
「なまえちゃんは気付いてないの分かってたけどね。あの曲作った時、君は他のバンドの人と付き合ってた」
「あ……去年の、冬…?」
「うん、そう。あー、奥手にならずに行けばよかったなって後悔してさ。本当はリリースするかも迷ってて。リリースしても君がいないなら演奏する価値がないって思ってたから。だから今日、急遽追加した」

あの時は確かに少し荒んでいて、バーカウンターで働いている時の態度もあまり良くなかった気がする。いつも仲の良いスタッフやお客さんと話してばかりで、演者の人達をしっかり見ていなかった。なのに、何故?となまえは彼を見上げた。
鞄の中で再び携帯が鳴る。研磨だろうと彼女は察しをつける。返事がないことを不審がっているのかもしれない。もう遅いのだし、寝ないと朝練遅刻するのに、と思いながら。

「でも君は、また別の人を思い浮かべてるね」
「なんで…分かるんですか?」
「うーん、情けないけど好きだからじゃないかな。好きな人の変化ってよく見てるし気が付くもんだと思うよ」
「…好きな、人」

いよいよ痺れを切らしたのか携帯が永遠に鳴っている。電話だ、となまえが鞄から手に取ると、案の定彼からの電話だった。タクシー止めるから出なよ、と促されて通話ボタンを押す。

《何してんのこんな時間まで》
「え…」
《早く帰ってきてよ》
「え?研磨、それどういう…」
《おれ、待ってるから》

驚いたなまえの顔を覗き込んで、タクシー来たよと彼は肩を叩いた。あ、となまえが顔を上げると、彼氏?と画面を指さす。そうです、となまえが返事をすると、彼は乗りなと座席へと彼女を座らせる。

「今回はなまえちゃんが幸せそうだから諦めるね。じゃあ、気を付けて。おやすみ」

何も言えず、言うことを許されないかのように彼は手を振って扉が閉まった。え、となまえが声を出すも既にタクシーは出発しようとしており、一先ず行き先を告げるも彼の姿は見えなくなっていた。



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