03


なんで手を繋いで洗面所に向かってるんだろうとなまえは思ったが、自分から離すのは少し違う。研磨の不器用な優しさに甘えることを彼自身が受け入れてくれている。それがどんなに嬉しいことか、と彼女は繋いだ手の温もりに思いを馳せた。

「あ、待って中身は!」
「え」

時すでに遅し。少し屈んでドラム式洗濯機の中を開けた研磨。中にはもちろん、ふっくら仕上げのシャツやキャミソール、そしてブラジャー。研磨の視界に触れないように彼を制止しようとした腕が洗濯機を掠めて彼に横からダイブ。
ぐぇと変な声がしたが床に転がることはなく、研磨は彼女を受け止めた。
落ち着いてよとか、なにしてんのとか、口から直ぐにでも出るはずだった言葉は彼の胸下あたりに当たる柔らかい感触に全て吸収される。それが何であるかは分からない男などいない。
黒尾がいたらラッキースケベと一生からかわれそうな状態だが、此処は幸運にも2人きり。

「ご、ごめん研磨」
「えっ、いや、おれの方こそごめん」
「痛くなかった?」
「うん、なまえは?」

何事も無かったように振る舞いたいがあの感触は忘れられないし、顔が赤くなっている気がする、と研磨が恐る恐るなまえを見ると、彼女も頬を赤らめて彼を見ている。こんな顔見られて幻滅しないだろうか、と研磨は思ったが、そもそもここに長居するのが毒だ、とリビング行ってるから、とそそくさ洗面所を脱した。

はぁ、となまえは研磨のいなくなった空間で息を吐く。そんなつもりじゃなかった。研磨は無害だからこうして一緒にいられると思っていた。でも違う、と彼女は自身の洗濯物を取り出してすっかり乾燥した下着を身に付け始めた。さっきの反応は、完全に男の子だった。
同年代にそういう風に見られるのが嫌だったはずなのに、動揺した彼の表情が忘れられない、と思わずパーカーの匂いを嗅ぐと、何故だか涙が出そうになった。

研磨はリビングへ戻って携帯ゲームを始めたが、煩悩が頭から離れなくて全く集中出来なかった。母の物とは全然違う、濃いピンク色のレースの下着。そしてあの柔らかい感触。
はぁ、とため息を吐いて少し疼き始める下半身から意識を遠のかせようと目の前の画面を見つめた。

「なまえ、ほんとごめん」
「いいよ、その…もう着けてるし…大丈夫だから」

研磨のことが好きだ、となまえは思った。いい匂いの人は遺伝子レベルで相性がいいんだって、というのは夜久に夢中の友人の言葉。研磨の匂いは好きだし、それに凄く強く感じる。すれ違うだけでも彼の匂いを感じるほど。それに、と彼女は下腹部に違和感があると感じていた。これが何か分からないなまえではない。好きでなければ、こんな風には決してならない。
昔の彼氏に、お前不感症なの?と言われたことを思い出す。研磨と少し体が触れただけでこんなになるなんて、あの当時の気持ちは恋じゃなかったんだ、となまえは思った。

「寝る?」
「うん。あ、てか研磨、ご両親は?」
「出張」
「そう…なんだ」

不安と高揚感の入り混じる気持ちに説明が出来ない。研磨が好きだと実感してから、まともに彼の顔を見れる気もしなかった。友人に電話しようにも、その内容を聞かれることは間違いないので、いっそのこと寝るしかない。
研磨は研磨で、なまえをどこで寝かそうか悩んでいた。客間は勝手に使ったら親になんか言われそうで嫌だったし、かと言ってリビングで寝かすのも悪い。あ、と彼は思い付いたように口を開いた。

「なまえはおれの部屋で寝てよ。おれはここで寝るから」
「明日も朝練でしょ?ここで寝たら体痛くなるんじゃないの?」
「うん。でも一日くらい大したことないし」
「私がリビングで寝るから、研磨は部屋行ってよ」

そんな問答をしばらくして、結局当初研磨が言った通りになまえが彼の部屋で、研磨がリビングで眠ることになった。なんも無いけど寛いでね、おやすみと言い残して彼は自分の枕を持ってリビングへと戻っていった。代わりに持ってきたのはリビングにあったクッション。
研磨の部屋は至る所にゲームが積み上げられており、モニターが何個もあるという以外は変わった部屋ではない。お世辞にも整頓されているとは言い難いが、気の知れた女子を手放しで部屋に入れられるところを見ると、やましいものは無いのだろうとなまえは感じた。
ベッドはそこに鎮座していたが、潜り込むのは憚られるような気持ちが彼女を襲う。

彼の匂いのする服に包まれて、彼の匂いのするベッドに入って、無事に眠れるのだろうかと悩みながら掛け布団をめくるとその瞬間研磨の匂いが強くなり、頭がくらくらするような感覚。立ち尽くしていても致し方ないので、なまえはその中へと足を滑らせた。
しばらく寝返りを繰り返していたが、至る場所から研磨の匂いがするのが耐え難くてなまえはクッションを持ってリビングへと向かうと薄ぼんやりと明かりが付いているので、声を掛けた。

「研磨、起きてる?」
「ん…?どうしたの、なまえ」
「うん、眠れなくて」

クッションを抱えて苦笑いするなまえを、研磨はパチクリと瞬きをしてじっと見つめた。ソファに横になって毛布を被っていた彼はうーんと唸ってもぞもぞと動いたと思ったら、毛布を持ったまま立ち上がって彼女の手を取って自室に向かった。

「え、何、まって研磨」
「なんで寝れないの?」
「そんなこと聞かれても」
「じゃあおれベッドで寝ていい?」

いいよ、と言うとちょっと待っててと枕をベッドへ放り投げて部屋を出ていったと思ったら、どこからかマットレスを持ってきて床に敷き、シーツ代わりのタオルケットをその上へと広げた。驚いたのが、じゃなまえはここで寝てと言われたことだ。
彼女が呆気に取られていると、おれ暑いの嫌いだからこっちがいいと毛布を取って、代わりにベッドの掛け布団を床のマットレスの上へ落として彼はベッドへと潜り込んだ。

「え…どういうこと?」
「おれも眠れなかったから。でもソファは痛いだろうし、リビングまでそれ持ってくの面倒だし」
「じゃあ私がここの部屋で…」
「客間使うと親になんか言われそうで嫌」

じゃおやすみ、と彼はなまえに背を向けた。今日の会話は終了とも言わんばかりの行動にしばらく呆けていたが、彼女もタオルケットをずらさないように布団へと体を滑り込ませる。
相変わらず掛け布団は研磨の匂いがするが客間にあったマットレスからはさほどせず安堵して目を閉じた。

ベッドに入った研磨は、予想外のことに驚いて目を見開いた。自分のベッドのはずなのに一瞬他人が入っただけでこんなに変わるものかと。少しの温もりは間違いなく隣で眠りに就こうとしている彼女が残したもので、この匂いもそうだ。さっき抑え込んだものが再び熱を持ち出すのを抑えながら、次は違う理由で眠れないんだけど勘弁してよ、と寝返りをうってなまえへと視線を向けると、暗い部屋の中で目を瞑って静かに息を立てる彼女の姿が目に入る。
手を伸ばせば届く距離だ。
研磨はそっと彼女の頬へと手を伸ばす。顔にかかる髪を拭ってやろうと指が触れた瞬間、なまえの目が開いた。

「え…?」
「……っ!」

何だ、今のは。なまえは彼の行動に驚きを隠せず、硬直していた。眠っているであろう自分の頬へ手を伸ばしていたのを目の当たりにしてしまったのだ。初めて見た顔だった、と彼の表情を思い出しながら、毛布を被って壁に向いてしまった塊を見つめる。
もしも、もしも彼が自分と同じ気持ちだとしたら、この手を伸ばすことも許されるのだろうか。なまえは天井へ手を伸ばしたが、それを少し動く毛布へと伸ばす勇気はない。研磨を求めたとして、拒否されるのが怖い。彼に拒絶されたら二度と音駒へは行けない。それならこのままこの気持ちに知らないふりをして高校を卒業して、過去のことだと流せるようになりたい。
でも、これを逃したらもう何も言えないような気がした。きっと日が昇ったら元通りだ。下着を見られたことも、胸が触れたことも、さっきのことも、無かったことになってしまう。深呼吸をして口を開いた。

「ね、研磨」
「…」
「私、嬉しいよ。研磨が駅まで来てくれて、傘に入れてくれて、家に呼んでくれて。ありがとう」

返事はないが、その代わりなのか毛布が大きく動いたのが目に入る。感謝の気持ちを込めて布の塊に手を伸ばすと、中に潜む彼にその手を掴まれた。

「何、それ」
「え…?」
「だから、何それって聞いてんの。ありがとうって何?なまえはおれが誰にでもこんなことするって思う?」

ギラリと毛布の中から覗く双眸はあの鋭い視線だった。これを逸らしてはいけないとなまえの脳が司令を送る。掴まれた手に汗をかいてきたが、研磨もその手を離しはしない。誰にでもしないことを、自分にしてくれた。それが何を意味しているのか分からないなまえではない。
緊張して喉が渇く。恋ってこんなにドキドキするものだったっけ、と自問自答するも初めてのことで答えは出ず、その代わりに掠れた声で彼の名を呼んだ。

「けん、ま」
「なまえ、こっち来て」

なまえはベッドへ腰を降ろすと、強い力でその中へと引きずり込まれた。彼女の目の前には研磨の顔がある。こんなに近い距離で彼を見たことがない。狭いシングルベッドの中で体が触れ合う距離。心臓の音が煩くて、彼に聞こえてしまうのではないかとなまえは思った。



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