02



「風呂場、そっち突き当たりだから」
「あのねぇ…」
「何、まだあるの」
「私制服以外の着替えないし、もちろん下着もないし、お風呂入ったあとどうしようもないんだけど」
「あー…」

忘れてた、と研磨はため息を吐いた。当たり前だけどクロとは違うんだった、とそこで彼女が女性であることを再度実感する。自分のものは渡せないし、さてどうするか、と考えているとなまえが口を開いた。

「まあ下着くらいならコンビニで買えるから…。洗濯さえさせてもらえれば…」
「いいよ」
「何が?」
「洗濯機貸すから、コンビニ行ってきなよ。部屋着はおれのでいい?」

雨の中また出掛けるくらいならもう帰りたいと思ったが、暗い道を一人で歩いて誰もいない家に戻るくらいなら、ここで研磨と過ごすのも悪くないかもしれない、なんていう感情が自分の中に湧き上がっていることに気が付いて少し恥ずかしくなった。
濡れていた靴下を脱いで、洗濯機に入れる。制服の下に着ていたキャミソールや靴下など、バイト前に身につけていたものも、いそいそと放り込んだ。研磨は自室に行ったようで、姿は見えない。
駅で会った時とは違い、自分のことを女だと認識してなかったんだろうなとガッカリする気持ちを抱いていることが不思議でなまえは自嘲気味に笑った。

「研磨、行ってくるね」
「あ、うん。行ってらっしゃい」

そう言って手を振る研磨を見て、なまえはそれに応えて家を出た。外泊するのなんて、なんて久しぶりだろう。昔付き合っていた彼氏の家に泊まった時以来かもしれない、と苦い記憶を思い出した。
年上のバンドマンで、所謂ヒモ男だった。自分のファンの貢ぎ物で生きているような男。ファンからの貢ぎ物で生きていけるほど営業がうまかったようだったが、やはり彼女の自己肯定を強める要因にはなり得なかった。

「た…ただいま」
「おかえり。ごめん、先風呂入った」
「いいよ。借りる身だし」
「タオルと部屋着は置いてあるから」
「うん、ありがとう」

部屋着って一体何を着させるつもりなんだろうと思って不安げにカゴの中に置かれた服を見ると、彼のTシャツとパーカー、そして半パン。絶対足冷えると思ったがそれこそ足の長さが合わないだろうからいいか、という結論に至った。
とりあえず早めに洗濯を済ませておかなければ、それこそノーブラで彼の服を着る羽目になる。でも絶対に間に合わないだろうからそうなってしまうだろう。
研磨とそういう関係になることは考えられなかった、というか彼が手を出してくるところが想像できなかったので無事でいられるだろうと思ったが、彼の両親がこれを見てなんて言うだろうか?間違いなく、そういう関係だと思うはずだ。

「もう、わかんない。どうにでもなれ!」
「なまえ、何騒いでんの」
「ちょ、ダメ、着てないから!ダメ!」
「え、」

その辺にあった洗剤を入れて洗濯をスタートさせ、なまえは脱衣所に逃げ込んでカーテンを閉めた。人の気配がするので、多分まだ研磨はそこにいるのだろう。こんなに焦ったの久しぶりだ、と一息ついて風呂場の扉を開けた。

一方の研磨は、着てないという単語に体が硬直し、携帯を持ったままパチクリと瞬きをして立ちすくんでいたが、シャッと脱衣所のカーテンが閉まり、風呂場でガタガタと音がし始めて、そっと洗面所を覗くと、彼女の姿はなかった。
洗濯機が動く音に紛れて聞こえるシャワー音に、再び胸が高鳴る。なに期待してんの、と頭を振ってリビングへと戻った。

なまえが風呂から上がってきたのは、今絶賛取り組んでいるゲームのボス戦に差し掛かったところだった。オートセーブなのでいつでも再開できるが、夢中で指を動かしていると彼女が近づいてくる気配に気が付かなかった。
少し空いてソファが沈むのを感じて、ちらりと目を動かすと、ほかほかとした表情で髪を拭くなまえの姿があった。

「もう少しで終わるから」
「え?別にいいよ。ドライヤーどこ?」
「洗面所の棚の上」
「はーい」

研磨の服はなまえには少し大きく、太もも辺りまでパーカーの裾が及んでいる。無論、下には彼のハーフパンツを履いているので何も問題は無い。研磨の匂いがすごく強いことを除けば。
なまえは教えられた通りの棚を開け、ドライヤーを取り出した。ちらりと洗濯機を見たが、まだ脱水が始まったところ。残念ながらまだかかるな、と大人しく熱風を髪に当て始めた。
半分ほど乾かしたところで、ひょいと後ろからドライヤーを取られたので何事かと思って振り向くと、研磨がいつもの表情で背後に立っていた。

「ゲーム終わったの?」
「うん。髪、乾かそうか?」
「どうしたの、至れり尽くせりで」
「なまえに風邪引かれたら、今日はおれのせいな気がして嫌だ」

何それ、となまえが笑うと研磨は不服そうになまえをリビングへと誘導し、彼はソファへ、彼女はその下に引かれたラグの上に座ると、濡れた髪へドライヤーの風を当て始めた。彼が髪を梳く指が心地良い。バレー部だから当たり前のように爪も短いし、引っ掻かれることもない。目を瞑って背中を研磨の足に委ねると、安心感が彼女を包んだ。

「終わったよ……って、なまえ、寝てる?」
「ん…」
「なまえ、終わったよ。ほら起きて」
「……けん、ま…?」

ここで寝られても困るし、起こすしかなかった。時刻は23時を回ったところ。両親が帰ってこないなと冷蔵庫に貼られたホワイトボードを見ると、“出張”の文字。だから今日部活の皆で夕飯食べたんだった、と研磨は数時間前の記憶を思い出した。
そろそろ寝ないと明日に響くかなと部屋で寝るよう促すと、なまえは突然飛び起きて洗濯終わった?と彼に聞いた。

「乾燥かけてるならまだかかるんじゃない?」
「そっか、乾燥…。家だと使わないから忘れてた」
「なんでそんな洗濯機気にしてんの」
「え、だって…」

ブラジャー着けてないし、とは言えなかった。流石に無欲そうに見える研磨とはいえ思春期の男子と人の家に2人きりの状態。変なことを言って気まずくなるのも嫌だったので、制服乾いてないと不安だし、と言っておいた。制服も不安だが、それよりも下着の方が不安だったが。
研磨はふぅんと言ってソファから立ち上がると、洗面所へ向かった。何をそんなに気にしてるのか、と洗濯機を見ると、あと5分の表示。もうすぐ終わることを確認してリビングへ戻ると、ちょこんと端に座るなまえがいた。

「あと5分だったよ」
「そっか、良かった」
「起きてられそうだから?」
「まあ、それもあるけど…」

研磨が少し空けてなまえの隣に座ると、ソファが沈んだ。しばし2人は無言で、時計の秒針の音がリビングに響く。時々外から車やバイクが通る音が聞こえる。
ふぁ、と研磨が欠伸をする声が聞こえて隣へ視線を向けると、バッチリ目が合う。研磨の目は時々怖いとなまえは思っていた。全てを見透かしたような鋭い眼光で見つめられるとどうしても逸らしたくなってしまうのだが、今日はどうしてか逸らせなかった。

しばし2人は互いの顔を見つめ合っていた。研磨って男子高校生にしては肌が綺麗だし色も白いとか、なまえはすっぴんの方が可愛い、とか各々そんなことを考えながら絶妙な距離感を保っていた。

ちょっとだけ気を許した異性の友達。
否、友達とは形容しがたい不思議な間柄。
特別仲がいいわけでも、よく喋るわけでもない。隣にいるのが心地良いと思う。ただ、それだけの存在。

それって研磨くんが好きってことじゃないの?
なまえ、恋は理屈じゃ語れないよ。
友人に言われた言葉が頭の中に浮かんでは消える。こんなに隣が心地良いと思える人に会ったことがないので分からない、というのが彼女の答えだった。

なまえは友人達と一緒にいても騒いだりしないで静かな方だし、考え方も大人っぽいと研磨は感じていた。だが、今日の彼女を見てると少し違う。なんで駅にいたのか、なんで家に連れてくるのか、とにかく理由を知りたくて、分からない分からないと駄々をこねるような言葉の数々。第一印象とは裏腹に、自分の存在価値を見いだせない彼女の一面を垣間見た気がする、と彼は思った。
ただ何となく、この天気でも音駒に来てくれると思ったから。くしゃみをするなまえを見て、風邪を引いてほしくないと思ったから。それ以上に理由なんて存在しないのに、彼女はその理由を受け入れてはくれない。

「おれの言葉、まだ信じてない?」
「突然、なんの話?」

ピー、ピー、と洗濯機が乾燥の終わりを告げたが、なまえは立ち上がらなかった。それを見て研磨は彼女の距離を拳一つ空けた場所に座り直し、膝の上に組まれた手を取ると、少し震えているように感じた。

「じゃあなんでそんな泣きそうな顔してんの」
「そんなことない」
「なまえ」

乙女心なんて知らないし、知りたいとも思わない。だってなまえはきっとその辺の女子高生とは違うから。理解したいと思う彼女の心だけ分かればそれでいい。
しかしなまえの心の扉は重く、研磨はその扉を開くのを諦めそうになった。

「研磨」
「ん」
「信じても…良いんだよね?」
「うん。おれ嘘つくの苦手だし」

そうだよね、顔に出るしとなまえがぎこちなく笑って言うので、少しむっとして研磨は彼女の手を握ったまま立ち上がった。ほら、乾燥終わったよ、と。



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