玉葱を刻むとき

玉葱を刻むとき

COCO MEMO TEXT

無味乾燥、とか

▽2020/02/28(Fri)例えば、毎晩見る夢のことを考える。
その中で示唆を汲み取るのだとしたら。それはいっそ、思い過ごしなのだろうか。

決まって、わたしは追われていて、人から問いただされる。どの場面でも、うまく言葉を話せない。まるで吃音症のように、わたしは舌がまわらず、頭の中でぐるぐる訴えたい気持ちだけが渦巻いている。
胸が苦しくて、誰か助けて、と泣きそうな気持ちでいる。言葉と同じように、気持ちも表現できない夢の中のわたしは、あいうえおを知らない子供のようにただ沈黙しながら、俯いている、だけ。

わたしは何も言えないのに、夢の中の人々は、わたしに様々な事を言っていく。目の前で死んでいく人もいる。黙っていることしかできないのに、何かを求められている、と思う、すごく苦しい。

寝ていても、息が詰まっている。
もう、ずっと昔から、夢見が悪いのは変わらない。
何が問題なのか、わからない。

一人暮らしを始めて、すごく楽になった。
でも、それはそれで大変なこともあった。
だけどひとりって、楽だっておもう。色々なことがあるけど、そんなの、すぐに忘れてしまう。
責める人がいなければ、忘れてしまうだけで済む。

だから、依存するのかもしれない。
便利屋さんみたいに仕立てて、都合のいいように一緒にいてくれる人がいるなら、と思っている。
なのに、反発している。
平凡で、標準的な人間関係と、互いに相互理解の行き届いた穏やかな関係に、憧れているから。
そんなの、自分自身の質じゃない?わかってるよ。もしかしたら、望まなければいいのかもって。ければいい、じゃなくて、べきじゃない、かもって。望むべきじゃない。

頭と、心は一緒のはずなのに、普遍性に望みを抱いて努力をしているはずだった。それなのに、自らを貶める価値観が跋扈している。
食い違うくらいなら、そのままでいればよかった、
だってそれが正しいことだったのかもしれない。
なんて、たぶんきっとあり得ないのは、ごはんを食べてもおいしくないことが、許せなかったからだね。

お腹が空いて、野草を食べて、おいしいと思っていた子供の頃。
ひとりで雑草を食べているのがまだしあわせだった。
悪さをして、家から締め出されてようやく、中に入れてもらえてから、用意されていた冷や飯を口に頬張れたときの。
惨めに思いながら、でも、生きるために食うなら。食うために働いてるのは。
死にたくなる。

食べたいものを食べたい。
おいしいものをおいしいって食べたかった。

たぶん、たった、それだけ。
疲れていると、味なんか、感じないんだもの。

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