玉葱を刻むとき

玉葱を刻むとき

COCO MEMO TEXT

実態がなくて、幻想に恋してるみたいだ。とでも表現してみればいい?

▽2020/06/07(Sun)例えば、肩に頭をのせたときの安心感、だとか。
向かい合っているときに、知らずのうちにシンメトリーになっている、だとか。
触れられただけで、それが特別なことだと思える、嘘にならない現実逃避。

彼に、恋をしたときのことを、わたしはよく憶えている。
もう半年だよ、とふと声をかけられたときの驚きと、喜び。いつだってわがままなわたしだけど、彼だってわからずや。
それなのに、思い出すのは、笑っている顔。
ふざけているときの、いたずらしているときの、おもしろがっているときの。
たまーに、真顔。
ああ、愛しているのかもしれない、と思う。

すきは当たり前で、だいすき、は甘えているから見えなくて。
でも、いつだって思い出していて。
会えないときは、もっと思い出していて。
会えないから、思い出していて。

頭が痛い。
もっとちゃんと、わかりあいたい。

どうしてなんだろう、と思うこと。

▽2020/05/10(Sun)目の前に、壁なんてないのに、壁だ、と感じてしまうのは、その表現を知っているからなのだろうか?
徒歩3分の距離でさえ惜しくなるわたしは、ただ耐えることを知らない。

お盆の計画を任せると言われたとき、果たして、どうすればいいのだろうと悩んだ。
率直に言って、パターンは決まっている。だけど、わたしは無知で、新しいチャレンジで打って出るようなたくましさと経験値もない。なので、まずは模倣から。

乗り越えていくべき壁は、人それぞれにある。
見誤れば転落するし、ひたむきに歩を進めれば景色が明るくなっているのかもしれない。
正しいということが、どれほど重要なのか、あるいはどこまで無責任なのか、図りかねるのは、日常。

例えば、目の前のクローバーの葉が、ハートマークに見えるのに理由がいるのだとしたら。

▽2020/05/01(Fri)失敗は、きっと仕方ない。
誰もがすることだから。
それに、必要な失敗だってある。
彼とも似たような話を、つい先日した気がするけど。
でも、繰り返すことは?
だめなことだとわかっていて、そうなる予想はついていて、それなのに失敗をしてしまうのは?

ささいな失敗を繰り返すのは、きっと、意識が低いせいだとわたしは決め付けている。
それから、努力が足りないのだ、とも。
けれど、その意識と努力が届かないことにも理由があるんだと思う。
本気じゃない、とか。そもそも失敗だという認識がない、すると、何も考えずに翌日がやってきて、まるっきしおんなじ失敗をする、あるいは自覚していても妥協してしまう、とか。

自らのしあわせな(気楽な)方向に行ってしまうのは、果たして生産的ではないはずで。

誘惑にそそのかされているときの抗い方は、ダイエット法を隅から隅まで調べ尽くしたって、おんなじこと。
目的はどこにあるのか?
達成するためには、耐えるしかない。
言い様はさまざまにあるけれど、結局はそういうことなんじゃないかと信じている。
楽をして得たものに、達成感がある?
がんばっているから、きっとなにかが欲しいんだとおもう。
逆説的に、なにかがほしいから、がんばっているのかもしれない。

きりがない。
本当は、結果主義な世の中。
勧善懲悪も、御都合主義も、悪霊退散も、テレビの中だけだと思っていなきゃ、中身からっぽの評価になってしまう。

移り変わろうとしているときの、

▽2020/05/01(Fri)初夏の感じがする。
夜道の空気に触れて、においで思って、ああ、とよみがえる心地がする。
夏が、間近に迫ってきているなあ、と思う。

初夏の、この感じがすごく好き。
きっといままで、いろいろなことがあったんだろうなと、自ずと省みてしまうような空気と、ちょっと先の未来にたのしい期待を抱くワクワク感がある。

今日は、16時間と30分も働いていて、すごくびっくりする。
お昼も食べず、休憩もせず、よくぞやりきった!と褒めてやりたいが、やり忘れたことがふたつ、それに致命的な忘れものをしてしまったので、まだまだだなと思う。
思考停止してしまうようでは、今後、ピンチも上手く乗り切れないだろうと、改める心づもり。

だれかに、すごくすごく褒めてもらいたい。
がんばったねって、言ってもらいたい。それくらい、ちょっと、大変な1日だった。でも、みんなそうなんだと思う。
そう思うと、わたしはだれかにそんなこと、言えるのかなって考えてしまうから、やめる。わたしが言うには、上から目線な気がするしね。
でも、わたしは、がんばったね、すごいね、と言われたいので、明日、上司によくがんばったよ、と言わせてやろうと思っている。
ただ、忘れものをいくつかしているので、ごめんなさいと、まずは言わなければいけないけれど。

長ネギ一本、99円。カレイは498円。

▽2020/04/04(Sat)我が家に洗濯機が来た。
先日電子レンジが替わり、嬉々としていた矢先。
今日は、帰宅すると洗濯機が二回りも大きいものに変貌していた。
というのも彼が引越しをしたので、ありがたいことに、続々と優秀な家電たちの一部が譲渡されることになったのだった。
ただ、ウチで洗濯機をまわすのは、いつだって彼なのだけれど(わたしは特に洗濯が苦手だ)。

しかし最近、モノが増えたなと思う。
断捨離は得意でも、捨てるのがイマイチ下手なので、相変わらず不要なモノを詰め込んだゴミ袋があちこちに放置されている。
越してきて一年経つというものの、今だにゴミの日がよくわかってないという致命的な欠落がある。
単純に調べればいいんだけど、それすら億劫なのだから、機会を待つしかないなと諦観してしまっているのは、本当に面倒だから仕方ないのだ。
(笑)

カレイを押売りされて、押しに弱い優柔不断な女子は、むげに要らないとも言えずに一尾、買ってきた。煮付けにしろ、と言うので、わかりましたと答えて長ネギも買ってきた。
だけど、疲れてしまったので、今夜はもう何もせずに寝ることに、いま決めたので。

おやすみなさい。
今日も一日お疲れさまでした。

日常以外の、悲観的な日常。

▽2020/04/01(Wed)帰宅してからというもの、今のいままで、どんなふうに過ごしていたっけ。

入浴を済ませて、湯冷めしないようスイッチを入れたホットカーペットの上で、小説の続きを読んでいた。いつのまにか、うつらうつらと船を漕いでしまっているのを自覚しながら、心地良い眠気に唆されるまま、居眠りをしてしまって。
不意に意識を取り戻すものの、眠くて仕方がなくて、うんうん唸りながら、なんとか体を動かして、キッチンへ向かう。
散らかりっぱなしの台所を片付けてから、夕食の支度を始めるわたしは、なんだかすっきりしているようだった。気休めにまどろんで、ここまで動けるなら十分だと満足に、彼が作っていってくれたお味噌汁をあたためて、冷凍してくれたごはんを解凍する。その間に、ウインナーを炒めて、ちょっとしたおかずをこしらえた。

空腹を満たして、缶ビールを一本だけ飲んだ。

現在、世界を震撼させている謎の疫病のせいで、仕事にも当然影響が出ている。私生活だってままならない状況に、素知らぬフリをしていたって、内心は恐々としている。
いつ、どのタイミングで巻き込まれてしまうかなんてわからない。明日は我が身で、束の間にこの個人的な世界ですら容易に一変してしまう。
どう考えて、どう努めても、わたしが出来ることは限られている。
その疫病のせいで、感染るのが嫌だから仕事を休む、と言い出す人が出始めた。会社の判断は、その意思を拒むことはしないとのことだった。

恐ろしいことが起きている、この瞬間、ニュースの解説を耳に流し込みながらも、わたしはやっぱり聞き耳半分で。身近は平和で、多少病んではいるけれど、実感が沸くほどの混乱はなく、中々難なく機能している。

途中の小説は、きっと予想では、救われない主人公の、まやかしのような恋愛を描いたもの。
描写のひとつをとっても、感傷的で、退廃的だ。思春期の頃にたっぷりと愛したものたちが敷き詰められているような小説に、ノスタルジーを感じる。
今更、投影しながらなんて読めないのは、わたしも少女から少なからず成長したということなのだろう。
足元でうずくまって、しくしく泣いている。ように見える、
可哀想なものを愛してしまう、損な、あるいは過信した男の人たちがそんな女の子たちを抱擁できるタイミングを見計らっている。
差し伸べられた手に、だけど、甘えるわけにはいかない理由が、女の子たちにはある。
いくらだって傷付いていて、何かと背負っていて、馬鹿みたいだと、心の底では思っている。きっと本当は解決できるのに、そのエネルギーとタフさがない。あるいは、ヤケクソで何をも顧みず、世界が崩壊してしまえばいいとさえ考えている。
ぐじぐじと甘ったれて弱いままでいる女の子が、非日常的な現実を過ごしながら、少しずつ変わろうとしていく。
そういう小説が、わたしは好きだった。

夕方に自宅に帰ってこれるなら、こんなにゆったりと進む時間の中に埋没して、ひとり気ままに自堕落を堪能できるというのに。
それを実感した今、どうして世界はこんなに危機感に煽られて騒がしいのだろう、とは言っても、本当に冗談ではなく危機的なのだけれど、悔しく思う。
平和は、かけがえない。

無題

▽2020/03/30(Mon)「一つだけ言うと、こちらの関係は合理的に保たれていますから」……「そう思います。こちらの関係は、無意味に保たれているので」。

考えてみるけれど、やっぱり恋愛ってうまくいかなければ、まるごと無意味になってしまうものなのか、とか。
確かに経験値にはなるかもしれない。
けど。
無闇に傷付いて、喪失感を味わうだけ、になることの方が多かったりして。
思い出は廃棄?

俺のきみへの役目は、きみも無償の愛を受け取れるよって知らせるため、そのための存在として出会った、
以前の恋人からの言葉を不意に反芻して、心がごわごわとする。
わたしにあまりに自己肯定感がなくって、卑屈で、見返りをほしがる恋愛しか知らなかったから。
さっさと服を脱いで、可愛がられて気が済んで、好きじゃなくなった、と言ったって、焦燥がおさまるまで待っててくれたのは、見守ることがどんなことかわかっているひとだったから。

学ぶことも、いっぱいある。
関係自体は確かに無意味かもしれない。
こうやって、美化してしまうし。
実際、うまくいかなかったんだから、二度目はないはずなのよ。

好きなようにしてみる、責任。

▽2020/03/21(Sat)意図なく積み重ねられるものに気付くと、心持ちも変化していくような、気がする。
目の前のこの人、その人、あの人たちは、きっと鏡だと言い聞かせてきたけど、やっぱりそんなのは幻想で、通じないものは通じないし、自身にない価値観は勝手にわいてはこない。
だけど、わたしの言葉や、振る舞いを変えれば、その人の振る舞いが変わるのはほんとうかもしれない。

そんなふうに、他人の立場を考えたり、思いやりを持ちながら常日頃人々と接するのは、中々案外難しい。
なんにしろ、忙しなく時間に追われる労働者は、作業の進捗と利益ばかりの頭になっている。
小学生の頃に学んだ“道徳”は、当時こそ、当たり前であったけれど、果たして将来に反映されているのか。
“人間性”なんていう言葉がすきだ。
シンプルな聞こえの表現なのに、複雑で。

仕事が楽しくなってきた。
出来ることも増えて、実現できるパワーも身に付いてきている。必要なものはもっともっとたくさんの場所に落っこちていて、今後も色んなところであらゆるものを拾い集めていかなきゃいけない。
子供がなんの変哲もない石ころを集めるみたいに、足元にあるものに気が付いて、それに心を動かされるような毎日にしていけるように。
あるいは、水平線を眺めて、あの先はどうなっているんだろうと疑問に思えるような毎日に、
またあるいは、空を見上げて、雲が流れるのをゆったりと観察できるすこやかな毎日に、していけるように。

一つ一つのことが、きっと繋がっていく。

もりもりお肉。

▽2020/03/14(Sat)昨日は、ふたりして食べたいと常々言っていた、焼肉を食べに行った。
それも、とびきりの。
わたしたちは食べることが大好きなので、事あるごとに目的をつくって食事をしに行く。
自分たちで作ることだってよくある。
仕事ですり減らしている分を取り返すように、美味しいものを食べ、たらふく酒を飲む。

特にわたしは、“すき”と“それ以外”が明瞭なので、これとあれ、に迷うことはあまりなく、追って気分屋なこともあって、チャンスさえあれば唐突に提案をしてしまう。
その日も、彼の中にはいくつかの選択肢があったようだった。キッチンで洗いものをしている彼は、普段通り、どうする?と訊ねてくれた。
せっせと皿を洗う後ろ姿に抱きつきながら、焼肉食べたい、なんて甘えてみるわたしなのだった。

家を出て、ふたりで歩いて行く道のりも、なんだかわくわくとして、たのしかった。
仲良く手を繋いで、ああだこうだとおしゃべりしながら、笑い合って、バスに乗り遅れて、また騒いで。
お店に着く頃には、すっかり冷えてしまった。

その日、アウターに染みついていた香りなのか、何やらすごくいいにおいのする彼に引き寄せられてかなわず、ぴったりとくっついていても、足りなく感じた。
バスと電車の中は、ゆるやかな午睡のひととき。
一日中の、しあわせだった。

ちょっとしたこと。

▽2020/03/10(Tue)顔にかかる髪を、掌でやさしく撫でて払ってくれる、
子どものころ、真夜中に帰ってきた父親がすっかり眠りについたわたしの、まだやわらかい髪を梳くように撫でる、そのときの仕草を思い出すの。
ふとにおう、スーツに染みついた人々の香水や、整髪料の、乾き切ったにおい。アスファルトのにおいまで連れてきて。急に温度が下がるから、わたしは父親が帰ると、だいたいの夜は、しっかり目が覚めた。だけど、眠っているふりをしていた。よく憶えてる。

撫でられていると、愛されている気がする。
額のキスも。すごくすき。

ちょっとしたことで、考えが変わってしまう。

触れられるだけで、こんなふうに心地よくて、じんわりと癒される。
ささいなことが、丁寧に大事にされるべきで、そのちいさなものの積み重ねが、しっかり、しあわせになればいいのに。

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