やさしい檻のなか


北条氏政の末の孫は頭の中がお花畑である。と、敵国ではその凡庸さを嗤われるような男なのだが、それは本人である北条名前もよく理解しており、それで良いとすら思っていた。
北条家の血を引く優秀な若者は他に幾人もいる。数多くの孫の中の一人である名前は、その凡庸さゆえに猫可愛がりされるようになった。

名前が生まれた頃には、かつての苛烈さもなりを潜めすっかりと好々爺然としていた氏政に、頭の回らない子供らしい純粋さで「おじいさまおじいさま」と懐いたからなのだろう。名前以外の孫はその時分には嫁に行っているか元服済みかであったので、氏政はこの素直な孫にすっかり爺馬鹿になっていた。

春は花見、夏は西瓜を食べ、秋は紅葉狩りをし、冬は椿を愛でる。そういう風に生きるようにとお膳立てされ、そうである事に違和感を覚えずにこの年まで生きていた。

十五の時の初陣も、大事大事に本陣の奥で守られ氏政と茶を飲んで碁を打っていたらいつの間にか終わっていたので、本当に形式上の顔見せでしか無かったのだ。
結果、奥にこもる臆病者と嗤われても事実なのだから仕方ない。生まれた時から全て持っている者の優しさと傲慢さで形成された名前の人格は、お綺麗過ぎて良く好かれるか蛇蝎の如く嫌われるかの二択である。

「お前の名はなんと言う?」

膝をつく忍にそう問いかけた言葉もまた、ただ純粋な疑問であった。


「風魔小太郎とは襲名されるものなのだろう。生まれた時に父母にもらった方の、お前の名前はなんだ?」

突然雇い主の孫にそう問われた風魔小太郎であったが、その問いに答える答えなど持ち合わせてはいなかった。ない答えをひねり出せる訳も無く、ただわかりやすい意思表示にと適当に首を横に振ってみれば「そうか、忍の真名とは秘密なのだな?無理を言ってわるかった」と自己完結して微笑んでいる。

この、幸福に生まれ幸福に生きている男は、目に見える幸福の全てが人類共通のものだと思っている節がある。

一組の男女が愛しあったから生まれ、母の腕に抱かれ子守唄を聞いて眠り、父の膝に乗って文字を習い、飢えも渇きもせず祝福と愛情を全身に浴びて、そして人は大人になるのだと思い込んでいる。それはとても稀有な幸福の下に生まれた、選ばれし者だけが持てる特権なのだが、どうにもこうにもそれを理解していない。だから彼は頭がお花畑と言われるのだろう。貰った契約金の重さでしか物事を考えない小太郎でも、「頭が悪いなあ」と思う程度には愚かである。

「今年も鬼灯がよう咲いておるな。実が出来たら御爺様にもお見せしよう」

こたえもしない小太郎にひっきりなしに語りかける名前に、とりあえず肯定の意を示すために頷いて見せた。
満足気にニコニコと笑う男は、きっと今の時代に生れなければもっと長生きできたのではないだろうか。


既に衰えた栄光はじわじわと現実を突きつけてくる。近々、北条は落ちるだろう。風魔小太郎への契約金も、直に払えなくなりそうだ。次の更新で終わりか、さて次はどこへ行こう。


「ほら小太郎、おいで」


傷一つない男の手が、優しく小太郎の手を掴む。



この男はすぐに死ぬだろう。そんな未来が簡単に目に浮かんだ。


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