落とし穴


 今年で三十五になる名前には、吸血鬼の友人がいる。
出会いは六歳だかそこらで、ちょうどその頃に母親が再婚して吸血鬼の義父が出来た。なので、「自分たちと食べるものが違う」「自分をかわいがってくれる」といった、ふわっとして好意的なだけの知識しかなかった。そのタイミングで出会えたのが彼で良かったと思う。
 痩躯で足が透けていて、腹をさすって「おなかすいた……」とビルの隙間に生えた闇に佇む姿を見て、怪奇現象の一種だと思わなかった自分を褒めたくも思う。おばけという概念は知らずとも、吸血鬼という存在は知っていた。

「おなかすいたの? のむ?」
「えっ」

 別に献身的な幼児だった訳ではない。食べちゃいたいと腕を甘噛みしてくる義父に慣れていたので、吸血鬼とはそうやって人の血を飲むものなのだと思い込んでいただけだ。

「え、本当に? そこからハンターがなだれ込んだりしない?」
「だれもいないよ、おなかすいたんでしょ?」

どうぞ、と差し出した腕に、汚れた地面にしゃがみ込んだ青年が手を伸ばした。ひんやりとした指が触れ、それよりも冷たい舌が皮膚をなぞる。強く食い込んだのは牙か、押し当てられている感覚があったが、痛くはなかった。

「うれしいな。美味しいな。おなかがすいて、死んじゃうとこだった」

 それはさぞかし辛いことだろう。幼い名前はそのような体験がなく、年上のお兄さんがべそべそと泣いてる姿は可哀想で、目の前にある白い布に覆われた頭を撫でてやった。

「おなかがすいたらいつでもあげるから、ないちゃだめだよ。おれがいるからね」

「いつでもくれるの?」

「うん、あげる」

べそべそえんえんと泣いていた吸血鬼は、くり抜かれた穴の向こうにある眼を輝かせぴょんぴょんと飛び上がりながら喜んだ。

「やったー! 俺の人間だ。俺の人間だ!」

 嬉しい嬉しいと笑って抱き上げられて、……それからどうなったか。当時の記憶はよく思い出せない。
 気づいたら数日経っていて、号泣する母と何故だか忙しそうに動き回っている義父に抱きしめられた。全てが夢だったのかもしれないと思いもしたが、あのビルの隙間を覗けばいつも彼がいたし、ウェルカムボードを窓に置いたら勝手に遊びにくるようになっていた。吸血鬼というのは、そういうものなのだろう。


 独り立ちした今も、三日に一度は部屋に来ている友人は、出会ったあの日から変わった様子がない。二十代前半ほどの見た目で、おばけのコスプレをしていて、名前のことを【俺の人間】と呼ぶ。 よい友人だ。


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