ひとすじのひかりか、垂れた血か、


 突然の凶行にしては、加害者は肩口で哀れっぽく泣いている。押し倒された名前は開いた両腕をどこへ置こうか悩み、しばし空中を掻いてから、自分に全体重を預けてくる相手の背を抱いて頭を撫でた。ざりざりとした硬い髪が手のひらに刺さるし、背中は自分より薄くてちゃんと食事がとれているか気になる。
 幼児期にあった誘拐、……たぶん、トオルくんと初めて会った日からの数日だろう。誘拐されていたのかなんなのかは未だに記憶が戻らないが、両親は誘拐だと言い切っている。
 義父は腕についた牙の痕をみて、吸血鬼に目をつけられたと言っていた。こういうのはしつこいから絶対にまた来る! と、どこかの研究所で開発された吸血鬼化防止薬を打たれた。しつこいかどうかは置いておいて、義父の言葉は正しかったと言える。

「なんで吸血鬼になってくんないの!?」
「いや……ごめんね?」
「俺、すごい覚悟を決めて噛んでるのになんでなんにも変わらないの?! 卑怯だ!」
「人には向き不向きがあるからね」
「90年で寿命なら30年丹念に噛み続けてるのは長期の吸血だろうがよお! どうなってんの、俺の読んだ本だとこれでいけるって書いてた!!」

 もう泣いているのか怒っているのかわからない。腰を思いっきり腿で挟まれている感触だけはするが、相変わらず下半身が透明なので不自然に上半身が浮いている怪奇現象だ。トオルくんは俺に何を望んでいるんだ……。
 腹に乗せたまま立ち上がるとバランスをとるために首に腕がまわされた。見えない尻を両手で支える。ぐすぐすと鼻を啜る音と怨み言めいた声音で、いつもの口癖である「名前くんは俺の人間なのに」という言葉が湿った温度で落とされる。


「トオルくんは俺の事が大好きだね……」

「はあ?」


 『はぁ』とはなんだ『はぁ』とは。散々人を特別扱いしておいて。可愛がっている犬くらいには俺の事が大好きなくせに、何もわかってないんだからなあ。
 自分の感情に鈍感な年上の友人の迂闊さが、ちょっとだけ面白くて可愛らしい。言ったら怒るだろうから言わないけれど。やっぱり、寿命が長い種族というのは情緒の発達が人より遅いものなんだろうか? トオルくんは吸血鬼の中では若い方だと言っていたし。




「あ、そっか!」

 ひどくさっぱりと、軽い声だった。さきほどまでの哀れさなど一欠片も見当たらない。こういう切り替わりの早さが彼の良いところだと名前は思っている。泣き虫で、悪い顔でにやにや笑うが、基本的にはさっぱりとした優しい年上の友人なのだ。

「俺、名前くんが好きなんだ」

「自覚してくれた?」

「あー、なるほど。だから死なれたくなかったし、俺の人間だったのか……」

「そういうこと。俺もトオルくんの事が好きだよ」

「りょうおもい」

「そうだねえ」

 機嫌を良くしたのか、こらえるような含み笑いが聞こえる。「そっか、そっかあ。好きだったんだな。わかった。へえ、ふふふ」楽しそうで何より。会話の合間に聞こえないくらいの小さな声が、ぼそぼそと続いている。


「こんど廃病院においでよ。俺の棺桶の場所、名前くんにだけ教えてあげるから」
「酔った時はそこに運べばいいってこと?」
「酔ったときはココ。違うよぉ、特別ってこと」


 内緒だよ、秘密の場所だよ、特別だからね。もしも、もしも、


「誰かに言ったら許さないよ」

 少し下の位置に見えたトオルくんは、いつものように悪い顔で笑っていた。顔中ぐしゃぐしゃでひどい有様だけど、落ち着いてくれたのならそれでいいや。


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