○4


寮長のつまらない自慢話を「すげー、ソンケイしちゃう」と適当に聞き流している時に、視界の斜め下でアズールがスマホの画面を覗いていた。

「これはこれは、大変だ」
「何がァ?」

何も大変ではない顔をしてアズールが言う「大変だ」は、「今から仕事だ」の意味である。
片割れは「所用があるので少し抜けますね」とクラスメイトとどこかに行ってしまった。だから今、フロイドはアズールと一緒に良い子のフリをして寮長たちに媚を売っている。にこにこ。にこにこ。こういう顔はジェイドの担当なのに、飽きた。昨日買った雑誌読みたい。ここにいる全員絞めたら証拠隠滅って事で許されない? ほんとにダメ?

フロイドは全てに飽き飽きしていた。せっかく会えたのにナマエは来てくれない。話しかけたのに笑ってくれなかった。
そもそも、オクタヴィネルじゃなくてサバナクローに入寮してるのもサイアクだ。もうみんなで転寮すればいいじゃん〜〜ナマエんとこ行こーーよーーと駄々を捏ねたが、口の中いっぱいにホヤを噛んだような顔をしたアズールに「この立地がないと計画がはじまらないんだよ!」とキレられた。言ってみただけだし、わかってるし。

人魚だからといってオクタヴィネルに集まるという訳じゃない。種族的に海の魔女への尊敬が厚いから、自然にオクタヴィネルに多くなるというだけで、ハーツラビュルにもイグニハイドにもディアソムニアにも普通にいる。もちろん、サバナクローにだっている。何もおかしなことはないが、だから良いという訳では無い。絶対絶対、ナマエはオクタヴィネルの方があっている。あの鏡が適当なことを言ったんだろう。慈悲の心なら、どう考えたってアズールよりもジェイドよりもオレよりも、ナマエの方があるじゃん。でも不屈の精神持ってるナマエ、すごい格好良いからこれはこれでいいんだけど。
寮は離れたけど、人魚は海が好きだから遊びに来てくれると思ったのに、ぜんぜん来てくれない。サバナクローに行きたくてもツテがないと、あそこは縄張りに勝手に入るとめんどくさいからと寮長から禁止されている。
フロイドは今の寮長が好きではない。頭は確かに良いのだろうが、そんなものアズールの方が良い。煽てておけば都合よく動くのも便利でいいが、アズールだって煽てるとそれを理解して反撃してくるし、いつの間にかオレたちを上手く使って結果を出す。どう考えたってつまんねえ奴なのに付き合ってやってるのは、必要な情報を絞れるだけ絞っている最中だからだ。

胸ポケットに入れていた自分のスマホが震える。送り主の名はジェイドだ。ここで友達と遊んでる写真とか送られたらキレそ〜〜と思いつつ、通知からメッセージを開く。




「はあ!!?! 絞め潰すぞ!!!」
「な、なんだ!?」
「信じらんねえ、ジェイド、あいつ! アズール!! これみて!」

寮長が飛び上がったがそれどころじゃない。フロイドはアズールに向かって泣きつくように片割れの非情を訴える。メガネに押し付けられたスマホを「見えるわけあるか!」と叩き落とすように受け取って画面をみたアズールも、「野郎!」と普段言わないような口調で短く叫んだ。

「ジェイドだけナマエと遊んでる!!!」
「ふ、ふざ、ふざけ、ふざけやがって……!」

アズールの口元に充てられたハンカチがみるみる黒く染まっていく。画面の中にはにっこりと笑顔で両手でピースをしたジェイドが、ナマエに寄り添って座っていた。ハァーーッハァーーッと長く続く呼吸で己を落ち着かせようとして失敗しているアズールが、突然の後輩たちの変貌に怯えをみせる寮長にニコリと貼り付けたような笑顔を見せた。


「という訳でして、先輩。決闘をしましょう? 寮長の座が今すぐ必要になりました」
「はぁ!?」
「貴方が悪いんですよ? 1年は寮長のままで都合よく動いていてもらいたかったのに、ナマエを出禁になんてするから……」
「は? だからナマエ来れなかったの? 許せねえ絞めるぞてめえ」

「ミョウジ、あいつは僕の可愛いクエ子を……!」とかなんとか言っていたが、関係ない。これはこれでムカつくが、会いたくないから来なかったというわけではなかったらしい。アズールが先程スマホをみて「大変だ」と言っていたのはこの事なんだろう。てかオレにも同じやつ送ればいいじゃん。なんでわざわざ挑発すんの。

ジェイドが居ないと少し手間が掛かるなとは思ったが、向こうも寮長・副寮長で二対二だ。ここで頑張る分、アズールが寮長になったら副寮長なんて面倒なものはジェイドに押し付けよう。オレが頑張ってるあいだに抜けがけした罰。


「それでは先輩方、可愛い後輩に胸を貸してください♡」

「返さねえけどねぇ♡」



そんなこんなで、アズール・アーシェングロットはオクタヴィネルの新しい寮長に。つやつやきらきらで帰ってきたため、タコ殴りにされて反撃して寮の一部を破壊した力を見せつけたジェイドが副寮長になった。出禁なんてものはとっとと解除したし、遊びに来てね♡の手紙も書いた。なのにきてくれない。なんでえ。

いつでも遊びに来て貰っていいように、モストロラウンジは通常の何倍もの資金と人材を使って作り上げられている。人材は人財、モストロラウンジの未来の従業員こそが財産。だから外壁工事もさせるし倒れる間際まで魔法を使わせて工事の効率化を推進する。助け合う心の大切さを学べますね、とはアズールの言葉だ。とんでもない陰険タコちゃんだ、最高。


「ナマエ今日も来ないのかな〜〜〜」鏡の前でごろごろ転がって、たまに出てくる寮生に「働けよ」と威嚇を繰り返す。便所と飯と睡眠以外でモストロラウンジ(予定)から出るんじゃねえ、絞めるぞ。


「ナマエ〜〜〜〜〜…………」
「なんだ」
「オレとあそぼ……」
「……漁の許可を貰ったから、今日のところは一緒に泳ぐってやつでいいか?」
「うん……………うん!?」

床でぐねぐねと丸まったり伸びたりを繰り返していたが、ぼんやりと繰り返していた独り言に返答があったと今更気づいた。顔を上げると、記憶の中よりもずっと精悍になったナマエの顔が近くにある。

「あ、あはぁ[V:9825] あのねえ、オレ、フロイドっての……」
「俺はナマエだ」
「知ってるよ、教えて貰ったもん……」
「誰に教えて貰ったんだ?」
「イルカたち」
「なるほど」

会いたい会いたいと思っていたが、目の前にその人が現れるとどうしていいか分からない。フロイドは体を小さく小さくして、ちらちらと上目遣いにナマエをみた。

「あのねえ、オレ、ナマエにありがとうって言いたかったの。オレの事、たすけてくれてありがとね……」
「助けたことがあったか?」
「忘れてんなら、いいの。オレが覚えてるから、いいの」

そんでね、えっとね。
せっかく言葉が通じるのに、出る単語は子供の頃よりもずっと拙い。言いたい言葉が喉で渋滞を起こして、なんにも言えなくなる。あのね、あのね……


「オレと、仲良くして、ね?」
「嬉しい。俺もお前たちと、また仲良くしたかったから」

本当はバアッと抱きついて、力いっぱいギューッとしたかったのに、フロイドは動くことが出来なかった。小さくもじもじと視線を震わせながら「あのね、うれしい」と内気な子供のように言うのが精一杯で、こんなことでは気持ちなんて伝わらないだろうと自分にガッカリする。それでも、恐る恐る見上げたナマエの瞳があの海で見たのと同じようにまっすぐ自分を見つめていたので、今のところはこれでいいかなと思った。だってまだオレたちには、時間が沢山あるから。


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