○4


見上げた先、海面に近いところで、二本の尾びれがひらひらしながら太陽光を切っていた。あの子だ と、ジェイドが呟く。それを聞いたフロイドは嬉しくてたまらなくなった。今すぐにでもこの岩場から飛び出して、話しかけに行きたい!
でも、そうする前に尾びれが二本の人魚は真っ直ぐ自分たちのところに向かってきていた。

「来た、来た!」
「ああ、どうしましょう。なんてご挨拶しましょうか」

狭い岩場の中で身を寄せあっていたジェイドとフロイドは、くすくすと笑い合いながら彼が来るのを待った。きっとここにいるのが分かったから会いに来てくれたんだ。彼も僕たちと友達になりたいと思ってくれてたんですよ。どきどきする。この心臓の鼓動で水が変に揺れてしまわないか心配だった。だって二人分だ、小魚ならショックで気絶するくらいの水流が出来るかもしれない。
でも、目が合った瞬間にその子はたくさん泡を吐いて海面に向かってしまった。慌てて追いかけながら話しかける。

「ねえ、名前なんていうの」
「仲良くしましょう。僕たち、あなたと友達になりたいんです」

小柄な人魚だ。アズールよりも小さい。それなのにつよい! こたえてくれないけど追い払ってはこないから、喋ることが苦手な子なんだろう。名前を教えてもらえないのは悲しいけど、ないのかもしれない。ジェイドもフロイドも、もう少し小さい頃は『こどもたち』とまとめて呼ばれていた。兄弟が減って分かりやすくなったから名前がついただけだ。

フロイドが名前のない友達の前に回りこみ「はい!」とモリを渡そうとした。

「これ返す! あのねえ、拾ってね、使わなかった! 狩りする時使ってるでしょ、だから俺これ返すの。よいこだろ」

「………」

びっくりした顔をして、少し考えて、その子はフロイドを少しだけ押した。モリを指さし、その後ゆっくり指をフロイドに向ける。

「……くれんの?」

ジェイドとフロイドの名前のない友達は静かに頷いた。「ジェイド、貰った……!」「良かったですね、フロイド!」「うれしい! うれしい! やったあ!」フロイドがくるくると回る。その水流を避けるようにすいすい泳ぐ背中をジェイドが追いかけ、少し遅れて両手でギュッとモリを抱きかかえながらフロイドが続く。

きっと彼はあの時、ジェイドとフロイドに気付いていたのだろう。フロイドという獲物の血がここまでサメを引き寄せていた。彼ほどの強さを持つ人魚なら、それくらいわかっていたはず。
襲われるだけの弱い人魚を庇うために、戦ってくれたのだ。だって今、彼はフロイドにモリをくれた。使い慣れた武器を誰かに渡すというのは、守護の誓いだ。言葉を使わない彼が、何よりも雄弁に護ってやると言ってくれた!
フロイドは噛み締めるようになんども「うれしい」を繰り返す。うれしい。武器は大切なものだ。特にモリのような鉄を使ったものは、人間のところに行かないとなかなか手に入らない。難破船の中に転がる錆だらけの鉄の棒は、かつては剣だったらしい。このモリはサビてはいるけど綺麗だ。大切に手入れをしていたんだろう。彼は今、違うモリを持っているが、これだって宝物だったはずだ。違うのがあるからこれはいらない、なんてあるわけない。きっとフロイドが血を出していたから、あの場で一番弱かったから、「護ってあげる」と言ってくれた。フロイドはなめられるのは嫌いだが、優しくされるのは大好きだ。強者の庇護ほど嬉しいものは無い。だって、人魚は好きじゃないと護ったりなんてしないんだから。


フロイドがうっとりしているあいだ、ジェイドは名前のない友達が魚を狩っているのを見ていた。モリで一突きにして腰に付けた網に入れていく。一人で食べる分には多すぎる量だ、きっと沢山食べるからあれほどの強さを手に入れられたんだろう。何回か海面に顔を出すのは、きっと風の向きを見ているに違いない。ジェイドはまだ分からないが、風というものが海の奥まで影響を与えるらしい。同い年くらいなのに、もう『風』がわかるなんて、アズールと同じくらい頭が良いのかもしれない。そしてちょっと不良。だって本当ならミドルスクールで習うことだし、危ないから、子供だけでは海面に出てはいけないと強く言われている。
「危ないですよ、人魚攫いがいるかもしれませんよ」
「………」
ジェイドが話しかけても答えてはくれない。でも真っ直ぐに自分を見て動きを止めているから、聞いていない訳では無いらしい。
「あなたほど強かったら怖くないかもしれませんが、人間は何をするか分からないので気をつけてくださいね」
次々と魚を狩る背中を追いかけて、彼が打ち逃した魚が横を通ったので捕まえた。
「差し上げます」
渡そうとしたが、受け取ってくれない。どうしてだろうか、フロイドにはモリすらくれたのに、もしかしたらジェイドとは友達になりたくないのだろうか。少しずつ悲しくなってきたが、ふと思った。借りを作るのが嫌なのかもしれない。アズールだってそうだ。平等じゃないと受け取りにくいのかもしれない。

「半分こです! あの……受け取ってくださいますか?」

バリッと一口で魚の頭を噛みちぎると、周囲が真っ赤に染まった。それもすぐに元に戻る。
彼は頷いて受け取って、一口食べてくれた。よかった、正解だった。全部は食べなかったけど、きっと家に持ちかえるんだろう。そろそろ陸が近い。「ジェイドぉ、そろそろ帰んなきゃ怒られる……」とフロイドの声がしたので、尾びれを止める。
新しい友達も尾びれを止めてくれた。

「また明日遊ぼうねえ、アズールもつれてくるよ。たこちゃん、頭が良いんだよ」
「名残惜しいですがお先に失礼します。僕たちは先に帰りますが、あなたもどうか気をつけて」

手を振ると振り返してくれた。うれしいうれしい。よかったよかった。ジェイドとフロイドは二人で手を繋ぎ、家まで急いだ。明日学校でアズールに自慢しよう。いっぱい仲良くなったんだよ、つよくてえらいのにやさしいんだよ。だからアズールのことぜったい虐めないから、安心して一緒に遊ぼうね。


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