疾うに矢は、
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だからと言って俺の何が変わる訳もなくて、過去の俺がどういう人間だったのかも今になんの影響もなくて、朝が来れば起きるし夜が来れば寝る。父さんの仕事についていって、いつかは俺も同じようにこの森で木を切って生きるんだろう。
視線の端にちらちらとうつる羽根帽子を手招きすると、「んふふ」と含み笑いが返ってくる。ご近所……と言っていいのかわからないが、俺の家のいちばん近くに住んでいる狩人の子供だ。同じくらいの年代の子供なんてほとんどいないし、俺は基本この森の中にいるから彼くらいとしか交流がない。
器用に足音も立てずに隣に来たその子はストンと座って、帽子を外した。
「ああモ・ナミ! 君と会えない時間が長すぎて、私は月を憎んでしまいそうだったよ。ねえナマエ、君はどうだい? 私の夢を見てくれた?」
「ルークの夢かあ。見たような見ていないような……」
「ふふ、じゃあ今夜は覚えていてね。君の夢に必ずお邪魔するよ」
にこにこきらきらと喋るこの美少年は名をルーク・ハントという。前世のような記憶があるせいで、年齢よりも大人びてしまっている俺は、彼のこの喋り方も知りたがりなところも「かわいいなあ」と見てしまうけど、同年代にはなかなかきついものがあるらしい。
おまけに、ルークは逃げられると追いかけてしまう悪癖があるせいで、ある意味いじめっ子だ。彼を笑顔で出迎えてくれる子供というのは貴重らしく、自然に俺とルークは仲良くなった。
「ルーク、今日は弓を持っているんだね。お仕事?」
「そう、今日は……ふふ、今日はね。君のおうちにお泊まりなのさ」
「嬉しいなあ。だから『必ず』だったのか」
「内緒にするつもりだったんだよ? でも嬉しくって。君を驚かせたかったんだけど、やっぱり無理だったよ」
森は危険生物が多い。先祖代々この森で木こりをしている我が家は、付き合いの長い狩人が何人かいる。その中の一人がルークの父親で、獣が肥える時期になると長く森に滞在して狩りをするのでその間の宿を提供している。
遠くから笛の音が聞こえた。 ルークの父親の笛だ。「行かなきゃ」と立ち上がったルークに、羽根帽子を被せて髪を整える。陽に当たってきらきらする麦わら色の髪は、パンの匂いがしそう。白い頬に散ったそばかすはミルキーウェイみたいできれいだ。そんなことを思っていると、ルークはくすぐったそうに笑った。
「私の矢でナマエを護ってあげるからね」
頼りになる一言と共に軽く手を振って、ルークは森の中に駆けていく。こんなに大きな動きをしても音がしないんだから、プロの狩人ってのは凄い。
狩りが始まる季節が来たということは、動物も増えたのか。一人でいることに不安を覚えたので俺も慌てて父さんの元へ向かった。俺はルークと違って逃げる術も戦う術もないんだから、父さんこそ、そのデカい斧で俺を守護ってくれよ。親の義務を果たしたまえ。
太陽が沈み夕食の支度が整う。
ルークの為の寝床を整えて帰りを待っていたが、なかなか帰ってこない。と思った頃に、「ボン・ソワール! 愛しい友人たち、待たせたかい? 君たちの狩人が帰ってきたよ! これはプレゼントさ、受け取ってくれ」と堂々登場した大男に、父さんが「お前は普通に入ってこれんのか」と渋い顔をした。本職は狩人ではないらしく、なんの仕事をしていて何故父さんと仲良くしているのかも分からない謎の人。ルークの父親だ。絶対嘘だが俺には「私は狩人さ!」と言い張っているので、そういうことにしている。ルークの父は血抜きを終えた鳥を三羽も掴み、肩にルークを担いでいた。
「ふぐ、ぅうう"、う"えぇえん っ!」
「ルーク! どうしたの、怪我したのか?」
「わ、わだ、私を、見ない、で くれ! う、ぐぅうう!」
「どうか慰めてやっておくれ、この子の痛みは君にしか癒せないだろう……。狩人として生きるからには必ず通る試練さ……」
「言わないで!」
「ならば自分で言うんだ。お前は涙を止められずにここに来た、もはや黙秘に意味は無い」
「ぅ、ぐぅ、ふ……っ」
「ルーク、俺の部屋に行こう。大丈夫だよ、涙を拭いて……ね?」
「ナマエ、ナマエ……」
「母さん、お願い。あとで部屋の前にご飯を置いて、明日俺が片付けるから」
泣くのを我慢しようとして妙な呼吸になってしまっている。背中を優しく撫でながら、「大丈夫だよ、何があっても味方だよ」と呪文のように繰り返し、ベッドに座らせた。
綺麗な顔が涙やなにかで汚れているので、タオルで優しく押すようにして拭う。
「どうしたの? ルーク。痛いところがあるの?」
「わた、私が、逃がして、しまった」
「うん」
「手負いにして、逃がしてしまった……!」
ルークは俺と別れたあと、猪を見つけたらしい。本当はまだ1人では狩ってはいけない獲物だった。大きすぎて、ルークの扱う矢ではよほど上手くやらないと倒せない。
でも、ルークの後ろには俺がいた。だから焦って矢を放ち、手負いにして逃がしてしまった。
手負いの獣は気性が荒くなる。射ったからには必ず仕留めなくてはならないのに、逃がしてしまったらしい。それはいつかまわりまわって、人を襲う獣になる。この森にいるのは俺と俺の家族だ。ルークの一矢が俺たちを危険に晒した。
「ごめ、ごめんな、さい! ねえ、あれは必ず私が狩るから、ちゃんと責任をとるから。ナマエ、どうか、お願い、怒らないで。私を嫌いにならないで……」
「怒るなんて! ねえルーク、君は俺を護ろうとしてくれたんだろ? 君の真心をどうして怒れる、どうやったら嫌えるんだ。ねえ、大好きなルーク。俺の眼をよく見てごらん」
熱くほてってしまった頬を両手ではさみ、潤んだハンターグリーンの瞳をみつめる。
「……君の瞳の中に私が映ってる」
「ルークの目の中に俺がいるよ」
ようやく笑みを見せてくれた友人の頬に親愛のキスをして、「ねえ、お腹空いただろ。今日は2人きりでゆっくり食べよう」と扉の外に用意された食事を持ってきた。
まだいつものような元気はないが、涙は止まっている。
俺は大人だった記憶が少しだけ残ってるせいで、子供が泣いていると落ち着かないんだ。良かった、泣き止んでくれて。
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